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丁寧に生きるって。


丁寧に生きるとか、丁寧な暮らしとか、
ここ数年言われているようなものと
自分が考えるそれには、今は少し差がある。

手抜きや楽をしないで毎日丁寧に料理をしたり
様々なものを市販のものではなく手作りしたり、
暮らしに関することを行うというような、
近年言われるいわゆる「丁寧な暮らし」

もちろん、見ていてすごいなぁとか
素敵だなぁと思ったりする。
けれどそれって、いわゆるSNSで
見えているような表面上のことでしかなくて。

SNSなどでそういうのを見たとしても、
すごいなーと思うと同時に、
キラキラ女子と同じ、よく見える一部分を
切り取ったものかもしれないし分からない
と思ってしまう自分もいる。

いや、わたしが同じようには出来ないから
そんなふうに歪んで見てしまうのかもしれない笑
わたしはどちらかといえば雑な方だという
自覚はしっかりあるため、どうか許してほしい。

けれど、そういった表面的な丁寧さは、
その人の心の内を表したものとは限らないし、
なんならそこに焦点は当たっていない。


わたしが思う丁寧に生きることや
丁寧な暮らしというのは、
「自分を雑に扱わないこと」だ。

自分の世話をできるだけちゃんとすること。

日々面倒だと感じる自分がいる反面、
自分の世話を手抜きしすぎたり
雑にすることというのは、
結果的に自分の心身に悪影響を及ぼすと思う。
だから、バランスが大切だ。
疲れている時は甘やかす、そのために
手抜きすることも必要だったりする。
けれど手抜きばかりはしない。
自分のために。
そういう、バランス。

誰かのために努力するのと同じように
誰かを丁寧に大切に扱うのと同じように
自分のことも丁寧に大切に扱うこと。

自分をお風呂に入れて髪や肌のお手入れをする、
ヨレヨレのパジャマや服を着せないこと、
穴があいた靴下も履かせないこと、
コンビニやスーパーのお惣菜や冷凍食品、
ファストフードなどばかりを与えないで、
食べたいと思うご飯を作ってあげること、
温かいお布団でゆっくり眠らせること。
誰かに優しくするように自分に優しくすること。
そういう本当なら当たり前のこと。

当たり前だけど、忙しかったり疲れていたり、
心身が元気いっぱいじゃない時も多いし、
現代人にとってはそういう当たり前のことも
簡単じゃない日は多いから。

表面的なハードルは上げなくていい、
けれど、自分のことを雑に扱わないこと、
自分を丁寧に大切に優しく扱うこと。
それこそが本当に必要で大切な
丁寧な暮らし、丁寧に生きること、
なのではないかなと、今は思っている。


わたしは、雑な暮らしもよくしてしまうが、
それはそれで、悪くない。たまにはいい。笑

だからやっぱり、
丁寧な暮らしができないわたしの
負け惜しみなのかもしれないけど。笑


12月に貰った手作りの乾燥唐辛子。
貰った時、魔除けみたいだねと笑った。
このままで何だかすごく可愛いこともあり、
魔除けとして家にぶら下げようかと思ったけど…
「いや、食べて!笑」と言われた。笑
1月の間飾って楽しんだので、
今後は少しずつ、料理などに使いたいと思う。笑




それでは今日はこの辺で。


最後まで読んでくださってありがとう。

また気が向いたら、来てくださいね。






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