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「愛する」ということ

先日、ポリアモリーという関係性を選択している方から、

「パートナーに好きな人ができてしまった」

「好きな人のところに彼女が出かけていくのを見送るのが寂しい」

というメッセージをいただきました。


ポリアモリーという関係性は、究極の真実のような憧れもあったし、自分はそれなのかもしれないと思ったこともありました。

今、私が思うのは、「愛する」というのは、「能動的に生きる」ということだと辿り着きました。


何人も好きになるという気持ちはすごくわかるのだけど、

何年も1人の人と一緒にいると、自分の人生に新しく登場した相手の方に心がときめくのは、心理学的に当たり前のことです。

けれど「愛する」というのは、例えば一つのデニムをボロボロになっても大切にする。

お手入れしながら、ずっと一緒に生きていく。

みたいな、意志のことだと思うのです。


特に夫婦とか、暮らしを共に過ごすパートナーになると、価値観の違いや日頃のちょっとしたすれ違いは、感情に大きな影響をもたらすし、

子供・お金・家・食事など、たくさんのものを共有する場面があるから、「好き」の気持ちを持ち続けるのは結構難しいです。


「子供のため」

「世間体な理由から」

とか、そんな風に自分を"犠牲"のようにして、人生1人の人と添い遂げるなんて生き方は、もちろん共感できません。

でも、「この人が嫌になったから別れる」「他に素敵な人が現れたからそっちにいく」というのは、必ず同じことを繰り返すと思います。

相手に原因があったんじゃなくて、新しい出会いこそが運命の相手だったのではなくて、

人の心は、そういう風に出来てるだけなのです。


魂の再会だと思うような恋愛をする時は、それは確信であり、私自身も旦那と暮らし続けることが完全なエネルギー漏れのように思っていたこともありました。

けれど私は、この人と結婚することを「選択」し、子供を産むことを「選択」し、全ては私が選択していたことを思い出しました。

誰かのために一緒にいたんじゃなくて、私が選択していたのでした。


「愛する」ということは、究極、相手は関係ないのです。

相手が誰であれ、「愛する」ということをするのです。
その意志のことなのです。


それは丹田に力を入れて、自分の人生を能動的に生きるということのような感覚で、腑に落とすことができました。


魂の再会だと思うような恋愛って、最高の気持ち良さと、心をボロボロに苦しめるような壮大な体験です。

だからこそ、気付けるんだと思います✨


そこからでも遅くないし、

そこからでしか始まらないようにも思います。


私は、旦那のことを心から愛せるようになったし、

愛する人のことを、大切に出来るようになれました。

私の人生はやっと、やっとここからだなって思います。


アメリカでは、
カウンセリングルームにやってくるポリアモリーの方の1番多い症状は、『嫉妬』なのだそうです。

「愛する」ということを、本当に学ぶルートですね。

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