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年2回会えばもう親友。


どうして好きな人と飲むお酒は、こんなにすぐ酔いが回ってしまうのか。ハイボールで軽めにスタートしたつもりが、すでに頬がピンクに染まって熟れた桃みたいに、いやそんな可愛いものじゃなくて、たぶん茹で蛸アンパンマンみたいになっている。ああ、お恥ずかしい。

先日、幼馴染と半年振りくらいに会う約束をした。彼女は遠目から見ても本当に美しい所作と整ったお顔立ちで、いつ見ても惚れ惚れする。待ち合わせで第一声、「今日も美人だね、遠くからでもすぐ見つけたよ」だなんてキザな言葉を思わず吐いてしまうほど、私は彼女にゾッコンである。そんな彼女とは3歳の頃からの間柄で、境遇も近しかったためか、細く長い関係が続いている。自慢の幼馴染である。

カフェではお喋りはせず筆談で(笑)
この日のお話もまた別の機会に。



たったこの一年を振り返っても、幼馴染、友達、仕事仲間やよく行くお気に入りのお店の定員さん、いろんな人と時間を交差した。ただ、残念ながらすべての人や場所との予定を年に何度も立てられているか、といえばそうではないのが事実だ。
目の前の生活に一生懸命で予定を立てることが億劫になってしまったり、会いたいけど、行きたいけど、なんだかんだとしていたら予定がのびのびになって、「また会おうね」なんて言葉が社交辞令になってしまったりなんてことは、本当にあるあるのあるあるすぎる…。


ある友人が言うには、社会人になって年に1回会えば友達、2回以上会えば親友だ。仕事に家事に、もちろんそれぞれの人間関係や生活がある中で、誰かと会う時間の創出はそう簡単なことじゃない。そんな中でもお互い会おうと時間を作り合える関係性は、当たり前にできるものではない。だからこそ何度も会おうとする存在は貴重なのだと。
純粋に、お互いのことを年に数回は思い出し行動している、その事実だけで心がほっこり嬉しくなるよね、と。会う回数が親密度と必ずしもイコールではないとは思うけれど、たしかにお互いのために限りある時間を使い合えるのはもうちょっと喜んでいいことかもしれないぞ、とその言葉を事あるごとに思い出している。
ちなみにその友人とは2ヶ月に1度、年間6回ほどは会っているので、もはや親戚くらいの立ち位置かもしれない(笑)

おさんぽを愛する私と、それを写す友人。


幼馴染もその友人も、私と年に複数回会う時間をくれる大切な存在だ。もちろん、いま仲良くしている関係がずっと変わらないなんて思うのはお門違いで、何かのフェーズで私たちの関係性が変わることもきっとあるはず。だからこそ、いまのこの時間を共に過ごしたいと思うのでした。

来年の目標にも書いた通り、2024年は大切な人たちとゆっくり腰を据えて食事を楽しみたいと思っている。胃が弱く少食がちな私は、夜の食事、特に外食へ誘われても、誘われても、誘われても…行かないなんてことばかり。

これを読んでくれているかいないか、そんなことはわからないけれど我が大切な人たちへ。来年は美味しいお酒と美味しい料理を楽しみましょう。懲りずに誘ってね。胃を鍛えてお待ちしてますぜ(笑)


※今回のヘッダー写真は私が敬愛するカメラやさんが撮ってくださった写真。一緒に写ってるあの子は、今年何度もいろんな個展で出会した。趣味が一緒だなあ、なんだかうれしい。

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