祖母と過ごした3か月日記

 私の母方の家系は、とても頭がいい。死んだ祖父も秀でた人物だったと周りの人は語る。ただ、父方とは違ってどちらも終戦日の放送が聞こえないレベルの田舎の出であったのだ。田舎というのは嫌な風習がある。祖母は小学校を卒業していない。祖父は親に学校に行く許可を貰えなかった。だから、どちらも学歴はない。きっと祖父が生きていたら私は学費も自分で払わずに済んだだろう。塾の費用を稼ぐために意味不明なバイトもする必要もなかっただろう。たらればは嫌いなのでこの辺で。

 祖母と衣食住をともにすることになった経緯は単純で、実習先が祖母の家から出ないと通えなかったからだ。実習ガチャの外れくじらしいが、私は楽しみにしていた。というのも私は今年の2月に苗字を変えたのだ。母方の姓を名乗ることとなった。姓というのは特別で、私は初めて母方の人間としてあの家に行くことができるという何とも言えない喜びを覚えていた。

 私は祖母の家で、初めて普通の家庭というのを長期間体験することになった。朝ご飯が出てくる、洗濯を干す人がいる、夜ごはんも出てくる、寝るベッドがきれいになっている、それが毎日続くことに暖かさを感じた。一応祖母の介護も任されていたが、どちらかというと私が介護されていた。トイレをすれば「ちゃんと出たのか」と聞かれ、ご飯を残せば「体調が悪いのか」「味付けが悪かったか?賞味期限は大丈夫か」と悩まれ、夜起きれば「足元が危ないから気をつけろ」と電気をつけられた。90歳を過ぎた老人に介護される23歳というのはなかなかレアではないだろうか?お世話というよりは完全に介護であった。子供扱いをされるのが鬱陶しいと思うこともあったが、とてもうれしくて、楽しくて、幸せだと思える日々であった。

 寝室は一緒で、私が介護ベッド、祖母は敷布団を使っていた。私は、同居生活で夜が嫌いになった。毎日、毎日息をしていることに安堵するからだ。夜中祖母が起きるたびに安心する。朝早く起きていることを確認して私も息ができる。朝ご飯が出来ているのを見て泣きそうになり、いつもの暖かい気持ちになる。あんなに夜を愛していた私が、朝が来るのを怖がっていた私がここまで真逆になるのかと驚くほどに、朝の光と祖母の「おはよう」に依存した。

 3か月というのは高齢者からしたらとても長いらしい。確かに同居を始めたときから終わるまでで、可動域は減っていた。私は祖母が朝起きるのが遅くなっていき、睡眠時間が増え、食事が徐々に減っていくのを目のあたりにした。老衰というのはこういうことなのかと実感した。人が死に向かう過程を見せつけられるのは慣れていたつもりだが、健康体の人が死へ歩いていく姿というのは心に来るものがあった。健康体といっても悪性貧血とかの病気はあるが。

 私はこの3か月で祖母孝行をすると決めていた。死んだ二人の祖父にはできなかったから。もう一人の祖母にはできないから。母方の祖父にひどいことを言ったのをずっと後悔している。だから、どれだけけんかをしてもその日の夜には謝罪をこちらからして、笑顔でいようと決めていた。朝喧嘩したとしても「いってきます」までには落ち着けて、ちゃんと言葉を発していた。きっと祖母が死んだとき私はまた後悔するのだ。だとしても、この3か月のことを色んな人に話して、祖母が生きた証を残しておきたかった。結局祖母孝行ができたかは不明だが、祖母曰く「おまえは本当にできた孫だ。色んな人に自慢しちゃったよ」とのことだったので、悪くはないと思う。

 祖母が3か月私に言い続けたことは「私は学がないから。勉強だけはたくさんしておくんだよ。馬鹿にされるから。辛くてもなんでも勉強だけはしなきゃだめだよ。みじめになるから。」であった。デイサービスで、大学を出ている利用者の方にきっと何か言われているのだろう。一瞬だけ今の学歴にしたのを悔やんだが、祖母は学歴ではなく私の頭の良さを見ているのだから関係ないなと吹っ切った。確かに医学部にいっていたらもっとすごいと周りから言われるだろうけれど、私が行きたくないのにいっているというのを知ったら祖母は怒るだろう。嫌々やるならやめろと。だから今の道でいいのだ。

 最後の日、いってきますというのはなんだか変だと思って「ありがとうございました」といって玄関を閉めた。とてもさみしくて、帰りの高速で泣いてしまった。

 残した手紙を読んだ祖母が、母の前で初めて涙声になったらしい。これは親戚中で大騒ぎとなっているらしく、私の手紙は額縁に入れて祖父の仏壇に飾られたそうだ。お盆と命日で来てくれる人が全員読んでいるらしく、その全員が祖母にやさしい言葉をかけているとのことである。祖母が泣く姿も声も私は想像ができないが。きっと私がそれを茶化しても否定されるので、ほほえましいと心にしまっておくことにする。

 きっと祖母はあと2年も生きない。死ぬまでにあと10回も会えないだろう。ちゃんと祖母に「大好き」を伝えられてよかった。こんなふしだらな孫だけれど祖母の前では子供でいられるから。後悔を少しでも減らすために私は祖母の言葉通り勉強をして好きなことをして生きていく。祖父に持っていく手土産に私の武勇伝だけじゃ恥ずかしいから私の可愛いところ、間抜けなところも記憶に残しておいてね。


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