三鷹

人はただ存在するだけではなく、生きていかねばならぬ。 https://twitter.…

三鷹

人はただ存在するだけではなく、生きていかねばならぬ。 https://twitter.com/carpediem_104

最近の記事

僕と祖父

僕の祖父に対する記憶は薄いものでした。ただ酷く僕の事を労わっていたのは覚えています。心配性な祖父は僕が少しでも高い所へ登れば降りてくれ。という程でした。 父は東京に出てきたので祖父の実家とは遠かったのであまり会えていませんでした。僕の祖父に関する記憶は前述と祖父の死についてのみでした。 眠るように死んでいる祖父を見て子供ながらに死を意識しました。 葬式の業者が儀式として僕ら遺族に少し縄で唇をさすってあげて欲しいといわれました。 正直な所僕は拒否してしまいたかった。死に対する恐

    • 未知の恐怖

      子供の頃、暗闇が怖かった。寝る時ですら暗い部屋で寝たくなかったものだ。今思えば何に恐れてたのだろう?考察すれば僕は暗闇そのものを恐れてたんじゃなくその奥から出てくるかもしれない”未知”を恐れていたんだと思う。暗闇からすっと幽霊が出てきたら?ゾンビが?死体が出てきたら?そんな想像が子供の想像力にかかれば現実に思えてくるものだった。 スティーブンキングという作家がいる。彼によると彼は子供の頃、スタークウェザーという州を渡り大量に人を殺した殺人鬼、彼の邪悪さに興味を持ち新聞のスク

      • 子供おじさん多し。

        唐突。当方引きこもり歴5年以上のベテランである。僕は物書きでもないので導入なんぞ要らん。 引きこもりである当然の帰結。つまりは物を知らない。井の中の蛙どころか子供の頃ペットボトルに入れてやったアマガエル以下である。つまりはですね。すげー焦ってるのです。引きこもって凍った時にウラシマ効果が発生し、心は15で今年19。もう恐怖の20が目に見えてきた。逆コナンである。 ですがこんなわたくしにも社交の場はありました。twitterと道場である。前者のゴミは兎も角として道場という土地

        • 闘いの神 GSP 恐怖なくして勇気なし。

          一年間で最悪の一日は、僕にとっては試合をする事だった。キツイし耐え難い。 思ったんだ、僕のメンタルはこのスポーツに向いてないんじゃないかって。 なぜなら周りを見ると俺は闘うのが待ちきれない!闘うのは幸せだ!ってやつばかりだった。 僕は思ったよ。「こいつらはイカれてる」って。 僕はビビッてた。闘いが終わるのが待ち遠しかった。 本当に怖かったんだ。 でもいつしか気づき始めたんだ。 ”恐怖なくして勇気なし”ってね。 決して恐れるな!ってことは実は恐れていることを認めてるってことなん

        僕と祖父

          ゲームの素晴らしさと思い出のTくん

          僕には小学校に親友と呼べる友達がいた。名前はTくんとでもしておこう。小学中学年くらいだろうか明るく陽気な彼は色んな人に好かれていたし僕も彼のことを好いていた。饒舌に喋る典型的な小学生のバカな男子といった彼と仲良くなるにはそう時間はかからなかった。 そしてもう一人仲の良くなった友達のYくん、僕らは自分たちのことを3人組と呼んで特にTくんとはお互いのことを”相棒”と呼んでいた。刑事ドラマやロードショウで見た貧弱な語彙だが僕たちは友情というものの最高の表現をそう感じてお互いのことを

          ゲームの素晴らしさと思い出のTくん

          自分にとっての格闘技

          自分の格闘技との明確な出会いは小学三年生くらいの事だったか、記憶は朧気だ。初めて見た試合はボクシング。 祖母が流しているテレビ中継…内藤大助選手の試合だったか…八ラウンドあたり、パンチが当たってどちらかの選手が思い切りダウンした。眉をカットしてただ血を流してダウンしている選手の姿が衝撃的だった。 僕はそれを見てひどく暴力的だと思った。 この日本でお互いが傷つけあう拳闘が支持を集めているのを見てコロッセオを野蛮だと思う現代人のような感覚を抱いた。 そこから数年後僕は友達とよくケ

          自分にとっての格闘技

          メンヘラが嫌い(同族嫌悪)

          僕はメンヘラが嫌いだ。理由は明確女々しくて気色悪いから。女々しいという言葉に昨今のLGBT的な価値観でいうと批判されそうですが僕はかなり前時代的な思考の人間なので普通に女々しい女も男も嫌いです。敵を間違いなく増やしそうですが界隈のリスカ話とかキショイ恋愛話聞いてゲボ吐きそうになるくらい嫌悪してます。ですが僕は精神不安定で詳しい経緯は省きますが病棟に入った時、メンヘラに囲まれて自分がメンヘラであるということを嫌というほど自覚して今振り返れば今更って感じなんですが急に恥ずかしくな

          メンヘラが嫌い(同族嫌悪)

          普通になりたかった

          私は小さいころから普通になりたかった。 発達障害的な面でもそうだし環境的な面でもそうだった。 しかし願いは叶わず、心の中でコンプレックスが渦巻いている。 しかしながらまぁ年も取りそれなりに成長をし客観的に自身の心のコンプレックスを観察してみた。 薄々わかっていたことではあるが別に私は普通になりたいわけでなかったのだ。”普通”であることで享受できる精神的な優越、安心が欲しかっただけなのだ。 能力的には”普通”になることは不可能ではなかっただろう。 しかしながら自身の複雑なプライ

          普通になりたかった

          「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ! 」があんまり好きじゃないって話

          ~って話って書けばnoteっぽくなると思っている浅はかな奴の雑語りです。 まぁタイトルで察せる通り私は「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ! 」的な言説が好きではない。 ちなみに別にルフィは本編でこんな事を言ったことはない(知ってる) 別にこれはネタ画像として使われているアレではあるのだが自分の観測範囲ではこれ紛いの論法が散見されるような気がする(気がするってなんだよ) なぜ私が以上の論理を気に食わねぇのか、このnoteでは自分の主観と客観、以上の論理を陳述する人々の心

          「何が嫌いかより何が好きかで自分を語れよ! 」があんまり好きじゃないって話