見出し画像

【短編小説※ホラー】八尺様

 セミの鳴き声が鎮まり、ひぐらしが鳴き始める夕方。西の空を真っ赤に染めた夕日が、一人歩く少年の顔を赤く染める。
 門限に遅れまいと必死に走る額には、汗の雫が赤く光っていた。腕で目に入りそうな汗を拭いながら必死に走る少年は団地に入る角を曲がる。
 すると、遠くからでもわかるほど、道路の真ん中に真っ白いワンピースと白い帽子を被った髪の長い女性が後ろ向きに立っていた。
 あんな人いたっけ?
少年は近所で見たことのない人影を少し疑問に思いながらも、女性の方に向かって走っていく。
重いランドセルを揺らしながら、その手には友達に借りた漫画本を持って息が切れるほど走っていた。
 段々と女性が近づくにつれて、少年は違和感を覚える。
「…?」
その女性の姿は遠くから見ていた時よりもはるかに大きく、身長は二メートルを遥かに越す身長だったのだ。
少年の今まで見てきたどんな人より大きい彼女についつい目が釘付けになる。
もうすぐそばまできて、今にも横を通り過ぎようとしたその時。
女性の顔が少年の方へグリンと向いた。体は向こうを向いたまま、顔だけこっちをじっと見つめる彼女の顔は、目も口も暗い夜のように黒いのだ。
少年は走っていた足を止めて、その場にたちすくんでしまう。
額にかいていた筈の汗はいつの間にか引いており、その代わりに背中には嫌な汗をかいていた。
 思わず一歩後に引く。
すると、女性は顔をこちらに向けたまま、今度は体がグリンと回転し少年の方を向いた。
やばい。
少年は心の中で小さく呟き、今来た道を猛ダッシュで駆け戻る。
先ほどよりも早く、激しく息を切らしながら走り続ける。みるみる心拍数は上がり、次第に走るのが辛くなってきた。
 少年は立ち止まり、膝に手を当てる。息を切らしながら、ゆっくりと後ろに目を向ける。その瞬間、少年の顔は一気に青冷めた
すると、白いワンピースをきた女が長い髪を振り乱しながらものすごい形相でこちらに走ってきていたのだ。
「うわああああ!」
思わず叫びながらまた走り出す少年の後ろに二メートルを超える女が追いかけている。
 こんな状況を見たらまず警察に通報されるだろう光景だったが、何故かこんな時に限ってその団地にも、団地の外に出ても、あたりには人一人いなかった。
夕焼けが次第に黄昏時となり、夜が訪れそうとしたその時。
「翔くん?」
一人の女性の声が背後からした。
 少年はハッとして後ろを振り返る。
声の主は先ほどまでいた友達のお母さんのものだった。
少年は安堵し、ゆっくりと立ち止まる。その足はガクガクと震え、息も激しく上がっていた。
自分でもわかるほど激しく打つ鼓動をゆっくりと沈め、友達のお母さんの元へ歩いていく。
「どうしたの?こんなところで。お母さん心配してるんじゃない?」
「あ、あの。えと、さっき女の人が…」
「女の人?」
突然の出来事に、うまく言葉が出てこない。
「えっと…」
何かを言い淀み下を俯く息子の友達の姿を見て、彼女は少し不思議に思ったが何を言うまでもなく、少年の手を引き少年を家まで送り届けた。
「ありがとうございました」
「いいのよ。気にしないで。また遊びに来てちょうだいね」
「はい」
少年はポケットから家の鍵を取り出し自宅のドアを開ける。

 翌日、少年はいつものように家を出て、友達の家に向かう。
昨日の出来事を忘れられず、あまり寝付けなかったこともあり、道中は何度も欠伸をしていた。
ピンポーン。
友達の家のインターホンを押して友達が出てくるのを待つ。
ガチャっと空いたドアの向こうには、靴を履き始めてる友達と、昨日助けてくれた友達のお母さんがいた。
「ごめんね、待たせちゃって。ほら、早く履きなさい」
「わかってるよー」
よくある親子のやりとりを見ながら、少年は友達のお母さんに何か言いたそうにしていた。
それに気づいた友達のお母さんが少年に話ける。
「翔くん?どうかしたの?」
「あ、えっと。昨日はありがとうございました」
昨日、女の人のことは言えなかったけど、それでも家まで送ってくれたお礼を改めて言う少年。しかし、友達のお母さんは何やら怪訝な顔をしていた。
「えっと、お菓子のことかしら?そんなの気にしなくていいのよ」
「?」
「えっと、昨日家まで送ってくれたやつ、です。ありがとうございました」
確かに昨日遊びに来た時にお菓子をご馳走してくれたが、少年言いたいこととは違う。改めて詳しく言い直す。
「昨日?昨日は、家でバイバイした後は私は家から出てないわよ?違うお母さんじゃないかしら」
「え、でも、翔くんって言って、そのまま家まで送ってくれて…」
「んー、ちょっとわからないけど、昨日誰かに送ってもらったの?」
「はい…」
友達のお母さんの言ってることがわからず、少年はもやもやしたまま学校へ向かう。

 1日が終わり、友達の家まで二人で帰る。今日はまっすぐ帰るよう言われていると友達に言って彼の家を後にし、家まで歩き始めた。
昨日の女がいないことを確認しながらゆっくりと歩き、できるだけ道の端を歩いていた。
「今日は…いない…?」
何事もないいつも通りの道。昨日の女姿もなく、少年は安堵し帰路に着く。
家の前まで何事もなく着き鍵をさしてドアを開ける。
「ただいまー」
大きな声でお母さんに声をかける。
「おかえりー。もうご飯の準備できてるから、早く手洗ってきちゃいなさい」
「はーい」
少年はランドセルを置き、手を洗いに流し場へ。
今日はカレーかなぁ。そんなことを考えながら手洗いを済ませて食卓へ向かう。カレーへの気持ちに心弾ませながらリビングへのドアをあける。
 途端、少年の顔は一気に青冷め、嫌な汗が背中を伝う。どくどくと心拍数が上がり、息も浅く、早くなっていく。
お母さんが立っているキッチン。その横に、昨日の大女が立っているのだ。
「?どうしたの?早く席に着いちゃいなさい」
「おか、お母さん…。その人は…?」
「その人?何言ってるの?誰もいないわよ。ほら、早く食べちゃうわよ」
お母さんは何事もなく席につく。少年は膝を震わせながらゆっくりと席に着こうとしたその時、女の顔がこっちをいていることに気がついた。
少年の心拍数はますます上がり、全神経が女の方に向いていた。
すると、瞬きをした瞬間、視界から女の姿は消え、あたりを見回してもその姿は亡くなっていた。
急にバタバタとする息子を軽く叱りつける母の声など耳に入らないまま、あたりを見回す。
完全にいなくなったことを確認した後、ふーっと息を吐き、カレー用のスプーンに手をつける。
すると、耳元に誰かの息が掛かる感触を、少年は感じた。
視界を向けることはできず、ただ耳にかかる息に神経を集中させていると、暗く、しかしどこか寂しそうな女掠れ声が微かに聞こえてきた。
息と同時に、何を言っているのか恐る恐る聞こうと耳を傾けると突然、はっきりと聞こえる声で

「はやくたべさせて」
少年はあまりの恐怖に気を失い、目が覚めると一日たった後の自室だった。

 あの日以来、少年は女の姿は見ていない。
そのことに安堵しつつも、別の場所であの女が違う人の元へ現れていると思うと、少し心を痛めながら、少年は今日も真っ赤に染まる夕焼けの中をゆっくりと歩いていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?