【連載小説】第四部 #2「あっとほーむ ~幸せに続く道~」神様に導かれて
前回のお話:
4.<めぐ>
我が家の週末はとても賑やかだ。九十歳を過ぎた祖母をはじめ、悠くん、翼くん、そして祖母の世話をしに来る伯父までもがいっぺんにしゃべるからだ。まなでさえ、話さない代わりにおもちゃのピアノを鳴らして自己アピールする。ここはさながら幼稚園のよう。
そんな中でも伯父の声は良く通る。伯父は、まなとわたしの前に腰を下ろして言う。
「そう言えばめぐちゃん、水沢先輩に会ったんだって?」
「はい。孝太郎さんのやろうとしていることが気に入らない様子でした……。わたしとしてはちょっと残念な気持ちです。お友達なら、協力してくれてもいいのに」
「まぁ、永江先輩はやっぱりすごいキャッチャーだし、優れた指導者だとも思うからそう言いたくなる気持ちは分かるけどな。……ああ、おれがその場にいればなぁ。もうちょっと言ってやれたんだけど」
伯父も孝太郎さん同様、孫であるまなが一日でも早く言葉を話すようになって欲しいと願い、時短勤務に変更してまでクラブ発足に携わっている人間の一人だ。
「おいおい、また飲み物ぶっかけて伝説作ろうとしてんの? やめてくんない?」
そこへ、耳聡い翼くんが眉をひそめてやってきた。しかし伯父は首を横に振る。
「曲解にもほどがある。そうじゃねえんだ。実は、水沢先輩がクラブの方針を聞いて怒り出すなんて妙だなぁと思ってな。確かにあの人も野球で出来てる人だけど、家庭的な家で育ったって聞いてるし、妻子もいたはず。何よりも、一番永江先輩の身の上を心配してたはずの人が、新たな生きがいを見つけた永江先輩のことを歓迎しないなんて」
「確かに妙ですね……」
「長く生きてりゃ、考え方の一つや二つ、変わるもんじゃねえの? なぁ、この話は終わりしようぜ」
翼くんはうんざりした顔で言うと、話題を変える。
「ねぇ、めぐちゃん。さっきウェブ閲覧をしてたときに見つけたんだけど、これ。一緒に聴きに行かない?」
翼くんが見せてきたスマホの画面をのぞき込む。そこには『K市の歌姫、ゴールデンウィークのイベントでミニライブに出演!』と書いてあった。わたしは画面に表示されている顔写真を指さす。
「この歌姫って、レイカだよね? 昔の歌手だけど、翼くんは好きだったよね?」
「そうそう。ギターを一本ひっさげて一人で歌う姿。そして心に染み入る歌詞がたまんないんだよなぁ。しかも今回のライブは無料らしい。行けば誰でも自由に聴けるそうだよ」
「へぇ! じゃあ行ってみようか。まなの面倒は……伯父さん、お願いできます?」
ちょっと上目遣いで頼んでみる。が、伯父はいつものようには頷かず、むしろ唸った。
「レイカ……。これも何かの縁なのか……」
「え、何々?」
戸惑う翼くんに、伯父が説明する。
「いや、実はその歌手、今し方話してた水沢先輩の実のお姉さんらしくてな」
「えっ!!」
「すごーい! 確かに縁を感じるかも! ねぇ、翼くん。そういうことなら孝太郎さんも誘っていこうよ! 伯父さんも行きます?」
「……そうだな。何かが起きそうな予感もするし」
伯父は相変わらず渋い顔でいい、遠くを見やった。
*
わたしがメール連絡を入れると、その日の夕方に孝太郎さんから電話がかかってきた。一応、都合がつくという内容だった。しかし声は暗く、あまり乗り気ではない様子が伝わってきた。気になったので恐る恐る尋ねてみる。
「レイカが水沢さんのお姉さんだから……ですか?」
『……麗華さんの歌には助けられた経緯があってね。聞けば当時を思い出すんじゃないかと。それに……』
「それに……?」
『ライブには庸平も来る気がしている。広い会場で会うとは考えにくいが、会わない保証もない。平生なら問題はないだろう。だが、麗華さんの歌を聴いたあとで庸平に会えば、心情が揺らいでしまうかもしれない。彼女の持ち歌には野球を題材にしたものがいくつかあるからね』
「なるほど。だけど、大丈夫ですよ。わたしも伯父さんも翼くんも一緒に行きますから」
『何かあれば君たちが力になってくれる、と……? 確かに、野上親子が相手では庸平も手こずるだろうな』
ようやく孝太郎さんは笑った。
『そういうことなら一緒に麗華さんのライブを聴きに行こう。一日空けておく。その代わりと言ってはなんだが……ライブのあとはまなちゃんに会わせてもらえないだろうか』
「もちろん! ライブ中は悠くんとお留守番しててもらいますけど、孝太郎さんと一緒に帰ったらきっと喜ぶと思います!」
『よし、一つ楽しみが出来た。それじゃあまた、当日に』
そう言って孝太郎さんは電話を切った。
「ふふ……。本当にまなのことが好きなんだなぁ……」
通話を終えたあと、彼がまなをあやす様子が浮かんできて口元が緩む。家族は皆、あの孝太郎さんを虜にするなんて、まなも人を笑顔にする才能があるに違いないと口をそろえて言う。しかしわたしは、まなにはそれ以上の力があると感じ始めている。これは母親の勘に過ぎないけれど、まなの中には大きな力が眠っていて目覚めの時を待っているように思えてならないのだ。
まながしゃべり出したら日常ががらりと変わる――。そう確信している一方で、変化を受け止められるだろうかと不安も感じるわたしであった。
*
電話を終え、急に甘いものが食べたくなったわたしは、夕方の散歩がてら、久々に洋菓子店『かみさまの樹』を訪れた。
父親に合格をもらった木乃香は今、お店のメインパティシエとして働いている。若い女性ならではの工夫が成された焼き菓子は店の新たな人気商品となっていてタウン誌にも取り上げられたほどだ。
「新商品のパウンドケーキ下さい。いつものように自宅用で」
「はい、かしこまりました。……なんてね。いつもありがとう。そうそう、赤ちゃんでも食べられるクッキーの販売を始めたんだ。もし良かったら試してみて!」
「ほんと?! そう言うの、待ってたんだ! 早速買って帰るよ」
「わーい! 持つべきものは友、だね!」
木乃香はそう言って商品を袋に詰めながら、わたしの方をチラチラ見ている。どうやら抱っこしているまなが気になるらしい。
「やっぱり赤ちゃんってかわいいなぁ。あたしも早くご縁があるといいんだけど! めぐ、おじさまの知り合い多いよね? 一人くらい、いい人いない?」
「うーん……。みんな、癖のある人たちばっかりだからなぁ。だいたい既婚者だし。って言うか、オジさん狙いなの?」
「めぐを見てたら、年上もありかなぁって最近思ってんだよねぇ。若い男よりずっと包容力ありそうじゃない?」
「確かに」
そのとき、店の奥からわざとらしい咳払いが聞こえ、店主が顔を出した。
「……コノ。おれより年上の男との結婚だけはやめてくれ」
「うわ、お父さん、聞いてたの? もう、こういうときだけ反応するんだから!」
「大事な話だからな。コノが好きになる人に口出しする気はないけど、おれのワガママを言わせてもらえるなら、結婚相手は店と神社を経営してる我が家に理解のある男がいいね」
「はいはい、わかってますって。……あ、お父さん。出てきたついでに店番しててくれない? 気晴らしにちょっとだけ、めぐと神社に行ってきたいんだ」
「……ちょっとだけだぞ?」
「ありがとう、お父さん!」
木乃香は大袈裟に両手を挙げ、父親に抱きついた。
*
まなを連れて神社を訪れるのは初めてだった。境内に人気がなかったので、まなを降ろしてやる。まなは嬉しそうに歩き出したかと思うと、真っ先に神木を目指した。
木の根元に到着し、振り向いた幼子に向かって語りかける。
「パパとママはこの神社の神様に祝福されて結婚したんだよ」
言ったことの意味が分かったのか、まなは木を見上げた。それを見た木乃香も同じように神木を見上げる。
「……めぐ。まなちんには聞こえてるのかもしれない。神様の声が」
「えっ?」
「いまね、神様がまなちんに語りかけてるの。ここであなたに会えるのを楽しみに待っていたのよって」
「えっ?! って言うか、木乃香にも聞こえるの? 神様の声が」
「あれ、言ってなかったっけ? 巫女にはならなかったけど、あたしもお母さんの血を受け継いでご神木の声を聞くことが出来るんだよ。まぁ、時々だけどね」
「で、で? 他にはなんて言ってるの?」
木乃香に神様の声が聞こえると知っただけでも驚きだが、その神様がまなに語りかけている理由や内容はもっと気になる。せっつくと、木乃香は「まぁまぁ」と言って耳を澄ませる。が、直後にまなが泣き出してしまった。慌てて抱き上げる。
「どうしたの?」
聞いてもまなは泣くばかりだ。困惑していると、木乃香が告げる。
「まなちんはきっと、神様の言葉を理解したんだよ。……大丈夫、もうすぐ話すようになるって、ご神木さまは言ってる。そうしたら、今よりもっと素敵な日々がやってくるって」
「もしかして、神様さまの言葉が刺激になって何か言いたいけど、言えないのがもどかしい、とか?」
「かもねぇ。ま、おしゃべりなめぐんちの子どもだもの。すぐにまなちんも、おしゃべりさんになるって。……あっ」
木を見上げていた木乃香の元に、ひらひらと一枚の葉が落ちてきた。まるで木が自らの意志で落としたかのようだ。手のひらで葉を受けた木乃香も驚いている。
「こんなことが……。めぐ、これはまなちんのお守りにしてあげて。ご神木さまの気持ちだと思うから」
「ありがとう」
葉を受け取ると、まなは泣いたとき同様、急に泣き止んだ。木乃香は頷く。
「うん。やっぱりまなちんは神様の申し子だよ。この出来事はお母さんにも話しておく。もしかしたらお母さんの方が強いメッセージを受け取れるかもしれないし」
「そうしてもらえると嬉しいな」
「了解。……さて、仕事に戻らなきゃ」
「わたしも帰ろう。家族が待ってるから」
わたしたちはつかの間のおしゃべりを楽しんだあと、それぞれの居場所に戻った。
5.<翼>
レイカのことを知ったのは小学一年生。父の運転する車に乗ったとき、カーラジオから流れてきたのを聞いたのが最初だった。
当時、エリ姉の影響でピアノを習い始めていた俺は、作詞、作曲、歌のすべてを一人で手がけるレイカに憧れて、よくまねごとをしていたものだ。学年が上がってからはギターも買ってもらい、本格的に弾き語りの練習をした。もしめぐちゃんと出会っていなかったら、幼稚園教諭ではなくシンガーソングライターを目指していたかもしれない。そのくらい、小学生の頃は熱中していた。
常々、生歌を聴いてみたいと思ってはいたものの、レイカはあまり表に出ない歌手で、ライブも不定期開催だから直接聴く機会はこれまで一度もなかった。そんな俺にとって今回の無料ライブはまたとないチャンスだった。
「やっぱりまなも連れていこう。いい刺激になると思うんだ」
当初は留守番しててもらう計画だったが、神社での話を聞いた俺は考えを変えた。めぐちゃんは驚いた様子で俺を見上げる。
「でもせっかくのライブだし、わたしはともかく、翼くんは純粋に生歌を楽しみたいんじゃない?」
「とは言え、誰でも気軽に聞ける無料のライブだから、子連れもいるんじゃないかな。それにコータローさんも、レイカの歌には心揺さぶられた経験があるって言ってたんだろ? 俺だってそうだ。あの歌声には特別な力がある。生歌なら尚更だと俺は思う」
「……そうだね。まなは確実にわたしたちの言葉や見えない世界の何かを受け取ってるみたいだし、外からの刺激がまなの発話を促すきっかけになるのだとすれば、レイカの歌を聴かせてみるのはありかもしれない」
「だろ? それにさ、俺たち三人で一人前の親なのに、悠斗とまなを置いて出かけるってのも妙な話じゃん?」
そこへちょうど、まなを抱いた悠斗がやってきて話に加わる。
「いいよ、おれは。まなを連れてくってんなら、ひとりでのんびりしてるよ」
「まぁまぁ、そう言わずに。滅多にない機会なんだぜ。一緒に行こうよ、悠斗君♡」
ちょっとすり寄るフリをしたら大袈裟にため息をつかれた。
「……結婚する前みたいにデートがしたい、ってんなら最初からそう言ってくれよ。まぁ、まなが生まれてから三人揃って出かけたこともなかったから、ちょうどいい機会かもな。ただし! まなやめぐそっちのけで、おれにイチャつくなよ?」
「外でイチャつくもんか。悠斗にすり寄るのは家の中だけだよぉ」
もう一度寄りかかると、まなも真似して悠斗に頬ずりした。
「やれやれ……。モテる男はつらいなぁ……」
悠斗がぼやくと、めぐちゃんが笑った。
◇◇◇
当日のライブは俺たち家族と父、それからコータローさんの六人で行くことになった。無料と言うこともあってか、野外の特設会場は混み合っていたが人の出入りも激しかった。ミニライブは数名の歌手が順に出演していく形で、レイカはライブのトリを飾ることになっていた。
会場前に到着したとき、ちょうどレイカの前の歌手が歌い終えたようだ。拍手と共に聴衆が動き始める。俺たちは出て行く人の波に逆らうようにしてステージ側へと進む。運よく最前列を陣取ることが出来た俺は、まなを抱いためぐちゃんを隣に引き寄せた。残るオジさん三人も俺たちのすぐ後ろの場所を確保したようだ。
「最前列だなんてラッキーだね。……でも、歌が始まるまであと十分か」
落ち着かない様子のまなを抱くめぐちゃんが時間を気にするように言った。
「こういう時は俺の出番だな」
時間まで退屈しないよう、幼児の気を引く遊びをするのは日常茶飯事だ。俺はリュックの中から、あらかじめ用意しておいたまなのお気に入りのパペット人形「ウサコ」を取り出して手にはめた。
「まなちゃん。ウサコと遊びましょ。何して遊ぶ? じゃあ、ウサコから行くよー。くすぐりごっこだ! こちょこちょこちょー!」
「キャハハッ!」
まなは大喜びでウサコに抱きついた。すると、背後にいたコータローさんが真面目くさって言う。
「ふーむ……。やはり翼クンにもクラブに参画してもらいたいものだ。僕ら素人よりプロの方がずっと子ども目線でプログラムを考えられるに違いない」
「誘ってくれるのは嬉しいけど、俺には本職があるからな。まぁ、相談してくれればアドバイスはする。そういう形でなら協力できるよ」
「無論、本業優先で構わない。意見がもらえるだけで充分だよ」
「じゃ、そういう感じで」
「すんません、先輩。息子の口の利き方がなってなくて」
話はちゃんとまとまったのに、なぜか父が謝った。
「まったく気にしていないよ」
コータローさんは笑って返す。
「いいんだ、彼は。僕を家族同然に思って接してくれているからこその、タメ口だと理解しているから」
「そうですか……」
コータローさんの答えに父は不満そうだったが、それ以上は何も言わなかった。
そうこうしているうちに会場の準備が整ったようだ。ステージの端に司会者が現れて一礼する。
「お待たせしました! 間もなくレイカさんの登場です!」
会場がにわかに盛り上がり、拍手に包まれる。まなも一緒になって手を叩く。数秒の後、BGMと共にレイカが姿を現すと、拍手に加えて歓声も沸き起こる。レイカはそれに応えるように手を振り、ステージの中央に立った。
「みなさん、こんにちは。レイカです。公の場に出るのは本当に久しぶりなのですが、こんなにたくさんの方に来ていただいてすっごく嬉しいです! 興奮してます! 今日は持ち歌の中から厳選した三曲を聴いていただこうと思っています。短い時間ですが、最後まで楽しんでいただければ幸いです。……早速ですが、最初の曲を聴いて下さい。……『マイウェイ』」
レイカはそう言ってギターを握り、音を鳴らし始めた。
#
果てしない夢 いつか叶えたいと
語り合った 幼少期
見るものすべてが 美しかった
夕日のオレンジ 空の青
木々の緑 桜いろ
心揺れた景色は 今も 鮮やかに
強く生きてくと 誓ったあの日
僕は僕を越えたんだ
まっすぐに どこまでも続く道を
立ち止まらずにゆく
いつも全力なんだ マイウェイ
#
一人では夢 叶えられないと
落ち込んだ 春の夜
見るものすべてが にじんで見えた
傘も差さずに 僕はただ
冷たい雨に 打たれてた
傘を差してくれたのは ともに歩んだ仲間
ひとりで生きると 誓ったあの日
僕は僕を超えれずに
まっすぐな 想いだけじゃ空回り
仲間がそばにいる
もっと全力なんだ
#
一人じゃ届かない声も届く みんなとなら
立ち止まってもいいんだと
教えてくれた ありがとう 友よ
歩いてゆける マイウェイ
もう 一人じゃないから
#
十代の頃、何度となく聴いた曲。イントロが流れれば今でも自然に口ずさむことが出来る。しかし今改めて聴くと、歌詞から受ける印象がまったく違った。それはレイカの歌い方が洗練されたせいもあるだろうが、おそらくは俺自身が様々な人生経験を積んできたからなのだろう。
年齢を感じさせない声量と歌唱力に圧倒された聴衆は、レイカの歌を黙って聴いていた。二歳児のまなでさえ。めぐちゃんに至っては涙が込み上げてきたのか、ハンカチでまぶたを押さえている。
曲が一つ終わると、聴衆はさざ波のような拍手を送った。誰も声を発することなく、次の曲の始まりを静かに待っている。レイカもそれが分かっているのか、一呼吸置いたあとですぐにギターの調律を始めた。
続きはこちら(#3)から読めます
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