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【連載小説】第四部 #19「あっとほーむ ~幸せに続く道~」これからも君たちと共に……


前回のお話(#18)はこちら

前回のお話:

みんながまんなか体操クラブがいよいよ始まった。出会った頃の孝太郎を知っているめぐと翼は、目の前で楽しそうに身体を動かす彼を見て感動し、クラブ終了後、本人に感想を伝えた。孝太郎と帰宅できると思ったまなが駄々をこねると、見かねた孝太郎が後で遊びに行くと約束し、一緒に昼食を取ることに。その席で、ひょんなことから歌手・レイカの話になり、孝太郎は野上家全員を引き連れて後日、レイカと会うことになる。
その年末、二人はついに対面した。日頃世話になっている家族を紹介し、これまでの感謝を伝えた孝太郎は、レイカに「サンキュー、ファミリー」をリクエストする。孝太郎が新しい家族を持ったいま、自分が家族を名乗る資格はないと告げたレイカに対し、それは違うと言い切ったのは翼だった。翼の言葉に胸を打たれたレイカは、お礼にとギターを貸す。翼はそれを奏でて、まなのリクエストした曲を披露した。ご機嫌になったまなにせがまれ、孝太郎とレイカは三人で手を取り合って公園に足を向ける。「あたしたち、夫婦ね?」と揶揄われた孝太郎はひどく動揺したのだった。

37.<庸平>

 約束の時間。レストランに現れた孝太郎はホッとしたように笑い、なぜか俺の肩に手を置いた。

「やはり君の顔を見ると安心する。ここの予約を入れておいて正解だったよ」

 それを聞いて、姉と何かあったな、と直感する。
「……つけられてないだろうな? とにかく、席に着こう」

「ああ……」

 年末も押し迫った今宵に予約したのは、孝太郎の自宅マンション近くにある小さなレストラン。本来であれば年末休業中のところ、あいつのファンだというオーナーに頼み込んで特別に開けてもらっている。オーナーが「貸し切り」の札と鍵を掛けたのを見届けると、孝太郎は心底ホッとしたように息を吐いた。

「……姉貴に何を言われたんだか。その顔を見る限り、余程ひどい目に遭ったようだな」

「麗華さんが揶揄うのは君だけだと思っていたんだが、甘かった……。今夜は麗華さんが仕事だったから良かったものの、一日空いていたら今頃は彼女の部屋に連れ込まれていたかもしれない」

「はぁっ……?!」
 椅子に座りかけた俺は慌てて立ち上がった。
「ど、どういう意味だよっ?! ちゃんと説明してくれっ!」

「ああ、話すよ。とりあえず落ち着け」

「落ち着いていられるかっ!」

「庸平が座らないと料理を運んでもらえないじゃないか。見ろ、オーナーが困惑している」
 振り返ると、確かに困り顔のオーナーが立ち尽くしていた。

「す、済みません。取り乱して……」
 深呼吸をしてなんとか心を落ち着かせる。店内のジャズミュージックに集中し、ようやく平静を取り戻した俺は、前菜が提供されたところで改めて聞く。

「……ちゃんと落ち着いたぞ。いったい何があったってんだ?」

「野上家の人たちと接する中で僕の境遇が羨ましくなったのか、はたまた彼女自身も家族に囲まれて暮らしたくなったのか……。いずれにせよ、僕を『夫』と表現するのは冗談でもやめてもらいたいものだ」

「夫ぉ……?!」

「すべての元凶は大津クンにある。まなちゃんを間に僕と麗華さんが両脇に立ったら、まるで親子のようだ、などと……」

「それで姉貴が調子に乗ったわけか……。ったく、この前会ったときには独り身が楽ちんだって言ってたのに……。やっぱり俺も一緒に行くべきだったな」

「それには及ばない。後のことはちゃんと悠斗クンたちに任せてきたからね」

「え?」
 膨らみかけた風船の空気が急に抜けたみたいに拍子抜けする。孝太郎は種明かしとばかりに説明する。

「どうやら麗華さんもまなちゃんをいたく気に入ったらしくてね。今後も会いたいという麗華さんの言葉を聞いて、それじゃあ交流を深めましょうという話になったようだ。無論、忙しい麗華さんがどれほど彼らと会う時間を作れるかは分からないが、彼らと会い続ければあの麗華さんも最後には再教育されるだろう」

「再教育……! こいつはいいや!」
 俺は手を叩いて喜んだ。数分前まで感じていた苛立ちは消え失せ、祝杯を挙げたい氣分になる。

「そうだ、ワインでも飲もう。好きなのを頼んでくれ。今メチャクチャ機嫌がいいから酒代は俺が持つ」

「ほう。ならば遠慮なく」
 満足そうに頷いた孝太郎は早速オーナーを呼ぶと、料理に合う白ワインを注文した。

「時に庸平」
 オーナーが去ってすぐ、孝太郎が思い出したように言う。
「このあと初詣に行かないか? この街に来てから、まだ一度も神様にご挨拶していないだろう? 僕が案内してやるよ」

「初詣? それは年が明けてからするもんじゃねえの?」

「本来は除夜の鐘を聞き、年が明けると同時に参拝するものだと野上家の人たちに教わってからはそれに習うようにしているんだ。まなちゃんが生まれてからは一家の代表である悠斗クンに誘われて参拝していたが、今回は君と行きたい。なんと言っても同居人だからね」

 まさか孝太郎の口から「神様にご挨拶」などという発言が飛び出すとは……。しかし、この頃の孝太郎に心の余裕があるのは、神仏を信仰する時間を持てているからなのかもしれない、とも想像する。

「お、おう。それなら行こうか……。案内頼むわ」
 戸惑いながらも返事をすると、孝太郎は目を細くしたのだった。


◇◇◇

 一旦帰宅し、日付が変わる頃に部屋を出る。普段なら少ない人氣ひとけも今日は昼間のごとくいる。そして彼らはみな同じ方を目指して歩いて行く。

「みんな初詣客なのか……? 結構多いんだな」

「僕も初回は驚いたが、この時間に神社を訪れる人がみな厚い信仰心を持っていると思ったら嬉しくないか?」

「確かに」

「……もっとも、今のは悠斗クンの台詞だけどね」

「前から感じていたけど、鈴宮さんのこと、ずいぶん信頼してるんだな……」

「そりゃあ、悠斗クンと翼クンはかつての僕を殺してくれた、、、、、、人物だからね。彼らが今の僕を作ったと言っても過言ではないし、未だに教わることは多い。本当に感謝しているんだ」

「えーと……。翼クンってのは確か野上の息子だったな? なるほど、孝太郎がこれほどまでに変わった理由も見えてきたぜ……」

「どうだ? 君も彼らと交際すれば新たな境地に至れるかもしれないぞ?」

「…………? それって、姉貴と一緒に再教育されるってこと? 絶っ対にお断りだね」
 全力で拒否する俺を見た孝太郎は大口を開けて笑った。



 目的の神社に近づく頃にはかなりの人でごった返し、参拝するには列に並ばねばならないほどだった。

 順番が近づくにつれ、俺はこれまで何回神社で手を合わせただろうか、と思い巡らす。が、家族と一緒に数回来たことがある程度で、正式な参拝方法も知らないことに氣付く。そもそも「神頼みなんて」という意識だから、知ろうとさえしてこなかった。しかしそれは孝太郎も同じだったはず。

「……なぁ、どうして毎年参拝するようになったんだ?」
 手を合わせる前に聞いておきたかった。孝太郎は迷わず答える。

「僕を生かそうとする何者かの力を感じるようになったからさ。それが神なのか死んだ両親の霊なのかは分からない。いずれにしてもこの世の者の力じゃないことは確かだ。ならば僕は、彼らの意向に沿うよう生きなければならないし、生かされているおかげで今の平穏な暮らしを体験できる。そのことに感謝したいと思うのは自然なことだろう?」

「お前は本当に変わったな……」

「今からでも遅くはない。庸平だってやってみたら分かるさ。そりゃあ悠斗クンみたいに本当に幽霊が見えるようになる人間は希有だろう。事実、僕には見えやしない。それでも……肌で感じられるようにはなったと思ってる」

「肌でって、どう感じるんだ?」

「言葉で説明するのは難しいが、日々護られている感じがするんだ。そのせいもあって心は穏やかだし、生きることが楽しい」

「そうか……。とはいえ、見えないものの存在を信じる……。なかなか難しそうだけどな……」

「なに、今この瞬間、僕と二人きりでいられることに感謝するだけでいい。それこそが神の計らいなのだから」

「おっ、それなら出来そうだ」
 確かに、孝太郎の大ファンである俺が彼を独占しているこの状況は奇跡としか言いようがない。それを神様が用意してくれたのだと言われれば納得も出来る。

 参拝の順番が回ってきた。書いてあるとおりに礼拝し、神に感謝の言葉を伝える。

(最高の友人といつも一緒にいられる環境を用意して下さり、ありがとうございます。これからもどうぞ、よろしくお願い致します……)

 自然と、何度も頭を下げていた。目を開けると、孝太郎も熱心に手を合わせている。その横顔にしばし見惚れていると、視線に氣付いた孝太郎がちらりと俺を見「行くぞ」と言って先に歩き出した。

 向かってくる人をすいすい避けながら神社の外に歩いていくあいつに声を掛ける。
「おい、みくじは引いていかないのか?」

「僕がそういうのに一喜一憂する人間だと思うか? それに、運試しなどしなくても君と僕はどうせ、ツイてる」
 はっきりと言い切ってしまうところが孝太郎らしい。

「そうだな。これまでのお前の人生を考えたら、ツイてないわけないよな……」

「そうだとも。それに、もし人生に行き詰まったときにはちゃんと助言をくれる家族がいる」

「野上たち?」

「もちろん彼らもそうだが、君も含まれてるよ。……今年もよろしく」

「……ああ。こっちこそ」
 差し出された手を力強く握り返す。その手は思いのほか温かかった。


38.<悠斗>

 夕べは除夜の鐘のも聞かずに寝た。そのせいか、日の出前に目が覚めたおれは、いい機会だと思って一人、朝日がよく見える橋まで歩いてみることにした。

 元旦の朝の空氣は肺を凍らせるほど冷たい。白々と明ける空を眺めながら歩いていると、白い息を吐きながら橋の方へ駆けていく子どもたちに出会った。あとから親らしき男女がついていく。その姿にほっこりし、つい頬が緩む。

「早く早く! お日様が昇っちゃうよ!」

 子どもに急かされた親は「はいはい」と返事をし、小走りで子どもの元に向かう。東の空が明るくなってきたように感じたおれも彼らについて走って行く。

 橋の上にはすでに多くの人が集まっていてカメラを構えていた。そろそろか、と東の空に目をやると、雲間からオレンジ色に輝く一筋の光が差した。それは一瞬のことで朝日はたちまち広がっていき一帯を照らす。

「おおっ!」
 初日の出を目にした人々は一斉に歓喜の声を上げた。中には朝日をバックに写真を撮る人もいる。

 そんな中、おれは一人、太陽に向かって手を合わせ拝んだ。凜とした空氣の中で日の出に立ち会ったら何だかありがたく感じたのだ。いや、それはおれが忘れていただけで、魂は太陽の神聖さを覚えているから自然とそうしたのかもしれない。

 まだ低い位置にあるというのに、日の出から数分後の太陽は力強く輝いていた。その太陽光を含んだ神聖な空氣を胸いっぱいに吸い込み、吐き出す。身が清められたように感じたおれは、さっぱりとした心持ちで太陽を背にし、家路についた。



「おかえり」
 家に戻ると翼が出迎えてくれた。

「日の出を見てきたの? 俺にも声を掛けてくれたらよかったのに」

「普段忙しくしてるお前は、年始の朝くらいゆっくりしたほうがいい。それに日の出なら二階のおれの部屋から見えるはずだよ。どこから見たって、初日の出は初日の出だろ」

「それもそうか」
 納得したらしい翼はさっときびすを返し、二階へ上がっていった。後を追うと、まなを抱いて自室から出てきためぐと鉢合わせた。

「おはよう、悠くん。そんなに厚着してどうしたの? 外に行ってたの?」

「ああ。初日の出を拝んできたんだ。めぐもしたらいいよ。おれの部屋から見える」

 言い終わると同時に、「めぐちゃんたちもおいでよ」と翼の呼ぶ声がした。部屋に入ると、開け放たれた窓の正面に朝日があった。

「うわあ、まぶしい!」
「まぶちぃ!」

 めぐとまなが同時に言った。眩しさに耐えられなかったのか、まなはめぐの腕から降りるとおれの足にすがって目をこすりつけた。

「まなには刺激が強すぎたかな……。だけどな、まな。これが太陽の力、生命の源だ。よーく覚えておくんだよ」

 難しかったらしく反応はなかったが、翼が氣を利かせて「ほら、まな。お日様にご挨拶だよ」と抱き上げ、再び日を拝ませた。

「お日様を浴びると元気が出るんだって。だからまなもお日様の力をもらおう。……段々目も慣れてきただろ? 身体もぽかぽかしてきただろ?」

「しゃむい!」
 素直なまなは、寒がってすぐに翼の腕から降りてしまった。

「ママ、ごはん!」

「はいはい、お腹が空いたよね。今日はおせち料理だよ。まなも少し食べてみようか。パパとママが手作りしたからおいしいよ、きっと」

「おせち、おせち!」
 まるで歌うようにまなが言った。その様子がおかしくて三人揃って笑う。



 階下に降りたおれたちは、おせち料理がつまった重箱を一段ずつ居間のテーブルに並べた。それらの作り方はすべて昨年亡くなったオバアに教わったもの。今にもその辺からのっそり現れて「詰め方が違うわよ」と言ってくるような気がしてならないが、もうその声は聞けない。

 大人は御神酒おみきを、まなはジュースをお猪口ちょこに注いで掲げる。

「この杯は亡きオバアのために。献杯」
 静かに杯を上げ、一口で飲みきる。まなだけは「カンパーイ」と言っておいしそうにジュースを飲み干した。

「さて……。一晩経った煮物の味はどうかな?」
 出来映えが気になる翼は、早速煮染めのいくつかを皿に取って口に放り込んだ。

「うんうん、上出来!」

「あっ、味が染みておいしくなってる! よかったぁ、ちゃんとおばあちゃんの味を再現できてる!」
 めぐも椎茸を食べながら満足そうに言った。

「まなたんにもちょーだい!」

「はいはい。どれがいい?」

「おまめ!」

「えー? 煮染めじゃないの? せっかく上手に出来たんだけどなぁ」

「まぁまぁ……。そうだ、雑煮も作ろう。悠斗、ストーブの上で餅を焼いてくれる?」

「了解」
 翼に言われて餅を並べる。

「まなたんもやるー!」

「それじゃあやってごらん。ストーブが熱いから氣をつけてな」

「ん!」
 こんな調子で正月の朝はのんびりと過ぎていく。



 オバアが亡くなってから初めて迎える年。年末までは、しんみりと喪に服すつもりでいたが、亡き両親の思い出話でもしながら新しい年を迎えよう、というニイニイの発案により新年会が催されることとなった。場所はニイニイ宅だ。

「喪中だけど、どんちゃん騒ぎが好きだった両親と話が出来るならきっと、こうしてくれって言うと思ってな。そういうわけだから遠慮はいらねえ。例年通りワイワイやってってくれ」

 居間の片隅に置かれた小さなテーブルにはオジイとオバアの写真が置かれている。生まれ変わりを望んでいた二人がここに現れることはもうないのだろうが、こちらを見て微笑む生前の写真があるだけで見守られているように思えるから不思議だ。

「そうですね。二人ならきっとそれを望むはず。楽しくやりましょう」

「兄貴。企画してくれてありがとう。お礼に今日は一本差し入れを持ってきたよ」

 話に加わった彰博は手に持った酒瓶を掲げた。それは、バー・三日月でも飲んだ地元発のクラフトジンだった。

「ジン? おれはビール派なんだけどなぁ」

「まぁまぁ、そう言わずに。実は最近、自宅でカクテルを作るようになってね。せっかくの機会だから兄貴にもごちそうしてやろうかと。大丈夫。今日作るのは和食にも合うジントニックだから」

「お前がカクテルを? 素人にうまい酒が作れるもんかねぇ?」

「その口ぶりは馬鹿にしてるね? そんな反応をしたことを後悔させてあげるよ」

「あのさぁ、新年早々兄弟げんかはやめてくんない? ほら、じいちゃんとばあちゃんが見てるよ?」

 翼に突っ込まれた二人は同時に写真に顔を向け、急に肩を組んだ。

「……喧嘩じゃねえよ、なぁ?」

「そうそう。こんなの、日常茶飯事だよ。親も、僕らがずっとこんな調子だってことくらい分かってると思うよ、多分。……ってことで早速、どう?」

「おう。それじゃ、一杯もらうとするか」
 並んで台所に向かう二人を写真の中のオジイとオバアがじっと見つめている氣がした。

「彰博、おれにも作ってくれよ。ニイニイ、一緒に飲みましょう」
 先に行った二人を追いかけてそう言うと、少し離れたところで見ていた翼のため息が聞こえてきたのだった。



 新しい年を節目とする。それを疑ったことのある人は少ないだろう。こうやって「年始だから」と集まっては酒を酌み交わす。それはそれでいい。だけど今朝の日の出を見ておれは、目覚めるたびに新しい一日が、命が、与えられたと考えて生きようと改めて思った。なぜならこうして生きていることは当たり前でも何でもなく奇跡だからだ。

 まなの発話のことで沖縄を訪れている最中にオバアが息を引き取ったように、死はこちらの都合などお構いなしにやってくる。父親が急逝したときもそう。なんの心づもりもないおれにそれは覆い被さり、目の前を真っ暗にした……。

「悠、どうしたの? 怖い顔しちゃって。僕の作ったジントニックは口に合わなかった?」
 グラスの中の酒とにらめっこをしていたら、彰博がおれの正面に腰を下ろした。

「いや、こいつはうまいよ。そうじゃないんだ……」

「君の心中を当ててみようか。そうだな……。今の君は、兄貴がビールを飲み散らかしている様を見てうんざりしている。もう、ああいう飲み方は出来ない。飲むなら静かに人生を語り合う飲みがいい……と。どうだろう?」

「いい線行ってる」

「じゃあ、君が氣に掛けているのは母のことか。一年前は確かに存在していたのに、今はもういない……」

「ああ、そうだ。だからこそ、今日この日の出会いを、起きたことを、会話を、大切にしたい……。そんなことを考えていた」

「君らしいね。それを聞いて母も喜んでいると思うよ。……ありがとう。君と、今日もこうしておしゃべりが出来ることに僕も感謝しているよ。……そうだ、ちょっと庭に出ない?」

「ああ」

 彰博に誘われて小さな庭に出る。そこにはオジイとオバアが暮らしていた家から引き取ったみかんの木があった。立派に育った木を植えるスペースがなかったために、それは巨大な植木鉢に植え付けられ、庭のシンボルツリーのごとく鎮座していた。

 彰博はその木に成っているみかんをふたつ、家主の許可なくいで、そのうちの一つをおれの手に載せた。

「このみかんを、今は亡き両親の仏前に供えよう。そして最後にみんなで食べよう。それが今、生きている僕らに出来る最善の行為だと僕は思う」

「そうだな……」

 握ったみかんはかたく引き締まっており、オジイの手を思い起こさせた。みかんに付いた傷はオバアの笑った顔を思い起こさせた。

「オジイ、オバア。おれもいつかそっちに行くから、その時はまたおしゃべりしましょう」

「そんなこと言ったら、まだ来るなって怒られるよ」
 彰博は半分呆れた様子で言い、再び室内に入った。おれもやつに続いて入り、仏壇の前に立つ。

 みかんを供え、手を合わせているところへ皆が集まってきた。

「あぁ……。そう言えば今年のみかんはまだ味見してなかったな。相変わらず酸っぱいんだろうけど、今年は両親にまず出来映えを確かめてもらうとするか」

 ニイニイが未開封のビール缶を持ったまま合掌した。その様子を見た翼が一言いう。
「父さん、そのビール、じいちゃんにも飲ませてあげなきゃ」

「おう。ほら、親父。今日は正月だ。どんどん飲んでくれ」

 プルタブが開けられたビール缶はそのままオジイの写真の載ったテーブルに置かれた。その後、誰からともなく二人の昔話が始まり、花が咲く。

 二人はもうこの世に存在していない。でも、今日だけは確かにここにいる。おれたちの心の中に……。

 おれは少なくなったジントニックの入ったグラスを片手に、ふたりの写真の隣に座った。
「オジイ、オバア、一緒に飲みましょう。さて、今日は何を話しましょうか……」

 独り言のように語りかけると、目の錯覚か、写真の中の二人が微笑んだような氣がした。

(じいちゃんもばあちゃんも幸せ者だよ。ありがとう、ありがとう……)

「……今、おじいちゃんの声がしなかった?」
「じいちゃん……?」
「親父……?」

 声を聞いたのはおれだけじゃないようだ。みな一斉に、オジイの姿を探すように辺りを見回している。

「悠斗、じいちゃんの姿、見える?」

「いや、見えない。だけど、おれにも聞こえたよ。オジイの声が、はっきりと」

「そうか……」
 見えない、と聞いて少し残念そうな翼だったが「見えなくても、いるよな、きっと」と言っておれの隣に腰を下ろした。

「正月に限らず、いつでもこっちの世界に遊びに来てくれよな。悠斗と二人でじいちゃんの酒の相手するからさ。ってことで、乾杯」

「じゃあ、わたしはおばあちゃんと乾杯しよーっと」

「まなたんもー!」
 乾杯の輪が広がり、室内が一層笑顔で溢れる。

(この、心満たされた時間。この瞬間に感じたことをすべて魂に刻んでおこう。いつの日にかこの身体が失われても覚えていられるように……)

 笑い合うめぐとまな、そして翼をまるごと抱きしめる。

「うわぁ! お酒がこぼれちゃう!」
「キャハハッ!」
「どした、悠斗?!」

「……語彙力ゼロのおれに出来る、精一杯の愛情表現。これからもよろしくな」
 腕の力を強めると、三人がそれぞれに言う。

「大丈夫。悠くんとはこれからもずうっと一緒だよ」
「ん! いっしょ!」
「ああ。悠斗の愛情、ちゃんと受け取ったぜ」

 三人の言葉と体温が、肉体と魂に染み渡る。胸の内が、芯が、じんわりとあたたかくなる。ああ、おれはいま、生きている――。心臓の鼓動を感じながら改めて思うのだった。


第四部・完

※見出し画像は、生成AIで作成したものを使用しています。


いつも読んでくださり、ありがとうございます。また、第四部の最後までお付き合い下さった方には感謝申し上げます。「あっとほーむ~幸せに続く道~」は引き続き、主人公を変えてお届け予定です(第五部にするか、タイトル改変するかは未定)。今後ともよろしくお願いいたします🥰

第四部・最終話に込めた想い……

奇しくも投稿日が一月十七日、阪神淡路大震災が発生した日と重なったこと、また年始の地震もふまえ、命の大切さについて改めて考える文言を積極的に取り入れました。日常生活ではなかなか思い巡らすことがないと思いますが、少なくともこの話(第四部、19話)を読んだ方にはそのようなことを考える時間を持ってもらえたら嬉しいです。


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