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【連載小説】第四部 #9「あっとほーむ ~幸せに続く道~」雨の日のデート


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六話~八話のあらすじ:

レイカのライブを聴いて帰宅した悠斗たち。すると、言葉を話さなかったまなが悠斗の前でだけ「おとーたん」と言葉を発するようになる。戸惑った悠斗は自室に引きこもり塞ぎ込む。そんな彼を心配したオバアと彰博あきひろは彼の部屋を訪れる。悠斗は二人に「まな」と「愛菜」の関係を打ち明ける。事情を知った彰博は、過去の記憶を持つまなに「今」を生きるよう説得した。孫娘に自分の生き方を選び取って欲しいという彼の想いがあってのことだった。
(→第九話はこの続きです)

野上家で混乱が起きているころ。レイカのライブ後に偶然出会った庸平と詩乃は意気投合し、孝太郎に野球の指導を頼むのを諦める代わりに、ファンクラブを作って応援しようと考える。孝太郎は承諾するが、活動内容について一つの案を提示する。それは庸平を納得させるものではなかった。悩んだ末、直接話を聞こうとワライバを訪れた庸平は孝太郎に、ファンクラブを作りたいという言葉の奥には、お前ともう一度野球がしたいという想いがあるんだ、と本音を漏らす。孝太郎は「それなら望みを叶えてやろう」と、河川敷の小さなグラウンドに誘う。二人はそこで野球を通して「対話」する。「対話」を終えたとき、庸平はようやく「ただの孝太郎」が生きてここにいる、それだけで自分は満足なのだと気づく。

18.<悠斗>

 おれの家族は全員、孫子まごこに「野上まな」として新しい人生を生きて欲しいと望んでいる。しかし「鈴宮愛菜」の父親だったおれにとってはそれを望みきれない理由がある。

 おれは目の前のまなと一緒に、鈴宮愛菜だったときの記憶を共有し続けたいという想いを捨てきれずにいる。たった五年分の思い出を共有したいがために今後、何十年も続くであろうまなの人生から言葉を奪ってしまうのはどう考えても割に合わないというのに、愛菜が神に懇願してまで記憶を残してもらったなら、おれの一存でその努力をなかったことにするという選択が出来ないのである。

 ――前を、未来を見ろ。

 俺が彰博から何度となく言われてきた言葉だ。そして実際、その言葉があったからこそ今のおれは前向きに生きてもいる。なのに……。

◇◇◇

 気落ちしている間に梅雨がやってきた。オジイがあの世に旅立った季節。もしかしたら同じ時期にオバアを連れて行ってしまうんじゃないかと不安になるが、今のところオジイが現れる気配はない。しかし医者に診てもらったところ、心臓の動きが以前より弱まっていると言うから油断は出来ない。

 ところが、当のオバアは「悠斗君が元気を取り戻さないうちは、心配であっちの世界にいけやしないわ」と相変わらずの口達者である。その様子を見る限りすぐに別れの日が来ることはなさそうだが、一緒に過ごせる時間が日ごと短くなっているのは確かだ。

(オバアを心配させたままにしないためにも、早く心の元気を取り戻さなければ……)

 しかし、そう思えば思うほど心は重くふさぐのだった。

◇◇◇

 日曜日だというのに、朝から雨が降っている。天気が良ければまなを外で遊ばせたかったが、この雨ではどうしようもない。しかしまなは、そんなことはお構いなしと言った様子で外に行きたがる。

「まな。お外は雨だよ。今日はおうちの中で遊ぼう」
 翼が何度も室内に誘導するも、まなもまなで何度も玄関に向かっては靴を履こうとする。さすがの翼も困り顔だ。

「これだけ言ってもダメなら、めぐの職場まで散歩してくるってのはどうだ? 外に出れば少しは落ち着くかもしれないぜ?」

 おれの提案に翼は少し考えた様子だったが「いい案だけど、途中に公園があるだろう? あそこは誘惑ゾーンだから、通りがかったら最後、遊んでいくって言いかねない」と言って再び頭を抱えた。

 そのとき、インターフォンが鳴った。そばにいた翼が応じると、映璃の顔がカメラに映し出された。

「エリ姉? こんな日にどうしたのさ?」

『ちょっと用があってね。こんな天気だし、みんな家にいるんでしょう?』

「めぐちゃん以外はみんないるよ。っていうか、ちょうどいいところに来てくれたよ。まなと遊んでやって欲しいんだ。まな、ばあばが遊びに来たよ」

 翼の言葉を聞いたまなは、ばあばが来たことを喜んでいるらしい声を発しながら玄関に向かった。おれはまなの後を追い、玄関扉を開ける。

 映璃は傘に雨合羽、レインブーツという姿で立っていた。まなが足もとにすり寄ってきたと分かると、映璃は慣れた所作でひょいと抱き上げた。

「よぉ。久しぶり。元気そうだな」
 声をかけると映璃は肩をすくめた。

「そういう悠は顔色が悪いわね。アキから聞いてるわ。悩みがあるんですってね」

「まぁ……。だけど、大したことはないよ」

「その顔でよく言うわ。……ねぇ。悠とデートするために来たって言ったらどう思う?」

「えっ? デート?」
 てっきりまなの相手をしに来たのかと思いきや、いきなりそんなことを言われて戸惑う。そこへ彰博がニコニコしながら姿を見せる。

「あ、来た来た。雨の中、ありがとうね」

「……もしかして、お前の策略か?」

「策略ってほどでもないけど、最近ずっと元気がない君のことを話したらエリーが心配してね。こうなったら自分が励ますしかないって言うんで、デートにでも誘ったらどうかって提案したんだ」

「そういうことかよ。お前の提案でデートに誘われても嬉しくねえし。心配には及ばない。おれのことは放っておいてくれ」

「放っておけないから訪ねてきたんじゃない!」

「なんでだよっ……」

「だって悠は、私たちの『大きな息子』だから」

 まなの、もう一人の父親になろうと決意を新たにした頃に二人から言われた言葉を思い出す。二人はどうしようもなくだらしないおれを見捨てるどころか「息子」とみなし、中年にさしかかった自分たちが進む新しい道を一緒に歩こうと手を差し出してくれたのだった。

「……だけど、『大きな息子』とデートするには生憎の天気だぜ?」
 皮肉を言ったにもかかわらず、映璃は動じずに言い返す。

「だからこんな格好をしてきたんじゃない。今日は雨の公園デートよ。もちろん、まなちゃんとアキも一緒ね」

「……おれ、合羽なんて持ってねえし」

「そういうと思ってね、ちゃんと用意してきたんだ」
 映璃は合羽の前ボタンを開け、背中のリュックを指し示した。

 近所の公園を訪れる。合羽を着た中年の男女三人と二歳児以外に人はいない。確かにここなら深刻な話をしていても誰かに聞かれる恐れはないだろう。なるほど、映璃も考えたものだ。

 外に行きたがっていたまなは大はしゃぎだ。しかも今日は水遊びの許可が出ているので、さっきから水たまりを行ったり来たりして楽しそうにしている。

 そのそばで器用な映璃が、まなを注視しつつもおれに話しかける。

「……悠が悩む気持ちは分かるわ。葛藤かっとうするのは我が子を愛するがゆえ。たとえ亡くなっていたとしても、愛していた事実は変わらないどころか増すばかり、と」

「ああ……」

「思い出はいつでも美しいものよ。だけどね、悠。その思い出は二度と還らない日々だと言うことを忘れないで。その過去がどんなに素晴らしいものであっても、私たちはいま、この場所からしか過去を見れない。時が過ぎれば過ぎるほど過去は遠ざかり、真実が見えにくくなる」

「ああ……。分かってるよ、そんなこと。だから悩んでるんじゃないか」

 ぶっきらぼうに告げると、まなが一瞬水遊びをやめ、おれのほうを見た。その目はまるで、自分の過去を消し去らないでと訴えているようだった。彰博もそう感じたのか「やれやれ」とため息を吐き、まなの前でしゃがんでその顔を覗き込んだ。

「まなちゃん。そんな目で悠を見ないでほしい。君がそういう眼差しを向けるたび、悠は思い悩んでしまう。……君の望みは分かる。だけど、悠は今を生きる人間だ。君が悠の目を過去に向けようとしても僕らがそうさせない。君が諦めるまで、僕は何度でも訴え続けるよ」

「彰博……」

「悠。君にも言いたいことがある。人は、起きた出来事を都合よく解釈する生き物だ。もちろん僕もそう。今でこそ僕は君を家族だと思って信頼しているけど、君も承知しているとおり、高校生の頃は顔を見るのもうんざりするくらい嫌いだった。……もし、未だにあの頃の記憶を引きずっていたら、きっと君とは家族になっていなかっただろう。だけど僕の感じ方は変わった。なぜか。それは今の君の素晴らしさを知ったからだ。今の君が高校生の頃の記憶を上書きしたからだ。そう。いいも悪いも、過去の記憶を書き換えるのは今の自分。過去に起きた出来事そのままを思い返すことは不可能なんだよ」

「つまり、おれが過去を美化している、と。そう言いたいのか」

「はっきり言ってしまえばそうなる。……おっと、その目は何か言いたげだね? いいよ。この際何でも言ってよ。君の言い分はすべて受け止める」

「それじゃあ言わせてもらうぜ」
 挑発されたおれは、躊躇ためらうことなく思いの丈をぶつける。

「もしも……。もしも、めぐが不慮の事故で死んだらどうする? もう二度と声を聞けない、顔も見れない。それでもお前は前向きに生きていけると断言出来るか? ……出来るはずないよな? その娘があの世から過去の記憶を持ったまま帰ってきたとなれば、喜ぶのは当然のこと。そうじゃないか?」

「……そうだね。めぐが自分より先にこの世を去るなんて想像もつかないし、仮にそういう日がやってきてしまったら、長い間立ち直れないに違いない。……だけど、だけどね。それでも僕はいつか立ち上がり、前進できるとも思う。なぜだか分かる?」

「……さあな」

「それは僕が一人じゃないからだよ。僕にはエリーがいる。君もいる。支えてくれる家族や友人がいる限り、そして命が続く限り、僕は死を乗り越えて生きる。むしろ、それしか出来ない」

「…………」

「今の君にはそういう家族や友がいる。そして君は、僕らと過ごす日々の中で娘さんの死を乗り越えたはずだ。……なぜまた来た道を戻るような真似を? そんなに大事なの? 目の前の『我が子』より過去の我が子との記憶が」

「…………」

「アキ、もう充分でしょう?」
 言葉に窮していると、映璃が間に入った。

「悠にはこのくらい言ってやらないと効果がないから。だけど、うん。お互いに言いたいことは言ったよ」

 そうだよね? と言わんばかりに彰博がおれを見る。返事ができないでいると、その目は再びまなに向けられる。

「……いま聞いたとおり、これがじいじとばあば、そして悠の想いだ。前にも言ったけど、僕は君が大人の会話を理解できないとは思っていない。君自身も少し考えてみて欲しい。そして……」

 彰博はそこで言葉を句切り、合羽の上からまなの頭を撫でた。

「デートの邪魔をして悪かったね。僕は先にまなちゃんを連れて家に帰るよ。あとはごゆっくり」

 さあ、行こう。パパが待ってる。彰博が手を差し出すと、まなはすんなりその手を取って自宅に足を向けた。公園にはその様子を呆然と見つめるおれと、ほっとした様子の映璃が残された。

「……大丈夫? 余計に落ち込んだりしてない?」
 映璃はそう言っておれを見上げた。

「この顔が大丈夫そうに見えるか? ったく、あいつは年々おれに遠慮がなくなってきてるな。カウンセラーが聞いて呆れる」

「それだけ悠のことが心配なのよ。アキの気持ちも察してあげて」

「……察するも何も、すべてあいつの言うとおりだ。分かってるさ、おれだって。本当はどうするのがベストなのかくらい」

 諸々の気まずさがあって映璃から目を背けるように天を仰ぐ。雨がほとんど止んでいることに気づき、汗で内側が湿った合羽を脱ぎ去る。

「雨、止んだね」
 映璃も同様に合羽を脱ぐ。と、途端にいい匂いがした。

「珍しいな。香水をつけてくるなんて」
 指摘すると映璃は喜んだ。

「悠なら気づいてくれると思った。だってデートしに来たんだもの。香水くらいつけたっていいでしょう?」

「……彰博が言ったから渋々誘ってくれたんだと思ってた」

「渋々、会いに来たりはしないよ。……悠、あれからちゃんとお父さん、頑張ってるもんね。たまには、んー、ご褒美ほうび? 少しでも私に気があれば、の話だけど。さすがに、おばあちゃんが板についた私に興味なんてないか……」

「いや……。映璃はいくつになっても綺麗だよ。むしろ、気落ちして老け込んでるおれをデートに誘ってくれる方がびっくりだぜ」

「確かに、今の悠はお世辞にも格好いいとは言えないね。翼くんとめぐの取り合いしてたときの方が何倍も若々しかった」

「実際、若かったけど。まぁ、そうだな。……こんなおれとじゃデートする気になれないってんなら、ちっとは頑張るけど?」

「頑張るって……?」

「えぇと……」
 無意識にポケットに手を突っ込む。と、鍵束が入っていることに気づく。その瞬間におれは映璃の手を取った。

「ちょっとドライブしないか? 後ろに乗せてやる」

 行き先はどこでもよかった。だけどせっかく映璃と二人きりのバイクデートならと、おれたちの母校である城南高校に行ってみることにした。

 高校はあの頃のまま、何も変わっていないように見えた。しかしめぐが通っていた頃には制服も変わり、映璃や彰博の所属していたチェス部もとっくに無くなっていたと聞く。またおれが所属していた水泳部も当時の活気は失われ、細々と活動していたとも聞いた。

 校門は閉まっている。中の様子も見てみたかったが、卒業生が気軽に入れる雰囲気ではなかった。しかし映璃はニコニコしている。

「ここに立ってるだけでも懐かしい。悠と付き合ってた期間は短かったけど、何度か校門前で待ち合わせしたよねぇ」

「そうだったな……。学校の周りを一周してみようか」

「いいね」

「……手ぇ、繋いでもいい? 繋ぐだけなら構わないだろう?」

「うん。繋ぐだけならね」
 映璃は返事をしながらおれの右手を取った。

 目に映る景色は懐かしく、一瞬でも高校生に戻ったような気分になる。しかし隣を歩く映璃の頭には、染めてはいるものの白髪が光り、握る手にも若い頃のような柔らかさは感じられなかった。

 映璃も同じことを思ったのだろう。こちらを見上げながら「今こうして私と歩いてみてどう? 昔と同じ気持ちになれる?」と言った。

「まさか。今は今で、昔は昔だろ?」
 何の気なしに言ったつもりだった。しかし、

「……なら、愛菜ちゃんとの関係も同じじゃないかな」
 そう言われ、言葉を失う。映璃は続ける。

「今、愛菜ちゃんと過去の話をしても当時と同じようには語れない。さっきも言ったように、私たちは今この場所からしか過去を見ることが出来ないから」

「……なら、おれはどうすればいい? 後悔は……したくない」

「……どっちを取っても後悔すると思うよ」
 突き放すような言葉にショックを受け、押し黙った。しかし映璃はすぐに言葉を継ぐ。

「私たちの人生は選択の連続。選ばなかった方に意識を向ければ誰だって後悔の念を抱くものよ。だけどその後悔が少しでも小さくなるようにすることは出来ると思うの。悠一人で抱え込むんじゃなく、私たち家族みんなでこの問題に取り組めばきっと」

「映璃……」

「悠の人生の一端は私たちと重なっているの。だから、その重なり合ってるところにいる間は気持ちよく過ごせるようにお互いが知恵を絞る。協力する。それが野上家でしょう?」

「ああ、そうだな……」

 高校生の頃はおればかりしゃべっていて、映璃は自分のことなんてほとんど話さなかった。映璃自身が身体のことで悩んでいたからだ。だけどあれから数十年が経った今は、黙りがちなおれを支えるように映璃が言葉をかけてくれる。年月の経過は何も悪いことばかりではないと思い知る。

 そんなことを考えていたら、映璃が唐突に言う。
「ねぇ、話してくれない? 悠と愛菜ちゃんの思い出を」

「思い出……」

「ええ。大切だという二人の過去を聞いてみたいの。いいでしょう?」

 考えてみれば、愛菜については死んだ経緯しか話したことがなかったように思う。一緒に問題に向き合いたいと申し出た映璃が、おれと愛菜が共に過ごした日のことを知りたいと思うのは当然のことだろう。

 なぜ今まで積極的に語ろうとしなかったのか。それは、最後にはすべてが「愛菜の死」に繋がってしまうからだ。「愛菜の死」でおれたち親子の物語が終わってしまうからだ。

 だけど今は違う。鈴宮愛菜すずみやまなを内包している、野上まなとの思い出には続きが、今とこれからが存在している。本来あるべき未来が、ちゃんと。

「今なら話せるかもしれない……。けど、どこから話そうか……」

「なら、順を追って話してよ。生まれた瞬間から成長していく過程を」

「……うまく話せるかな」
 おれは記憶の扉を開け、奥へ奥へと進んでいった。

 誕生の記憶は最も深いところにあった。しかしそれは三十数年も前の出来事。もはや記憶も映像も曖昧あいまいだ。集中し、はっきり思い出そうと試みるがどうしてもうまくいかない。

 焦りが生じた瞬間、目に浮かぶ光景が野上まなの誕生の場面に変わった。こっちは鮮明だ。めぐと翼の笑顔がおれに向けられている。そしておれ自身もそのとき感じた嬉しさをありありと思い出せている……。

(くそっ……。これが、現実か……)
 おれは頭を抱えた。そして自分の不甲斐なさを鼻で笑う。

「ははっ……。笑っちまうぜ……。散々偉そうなことを言っておきながら、いざ思い出そうとしたらまともに思い出せないんだからな。……そうさ。おれはもう鈴宮愛菜の父親じゃない。野上まなの父親なんだ。おれが『今、ここ』に生きてる限り」

「そうね」

「……忘れたくなんかなかった。だけど、時の経過は残酷だよ。大切だったはずの記憶も断片的にしか思い出せないようにしてしまうんだから……」

「……なぜだか、分かる?」

「わかれば苦労はしねえな……」

「それはね、今を思い切り楽しむためよ」
 映璃はそう言って足を止め、正面に回ったかと思うといきなりおれを抱きしめた。

「さっきアキが言ったことは私にもあてはまるよ。高校生の時よりも今の悠の方が好き。そう感じられるのは、時の経過と共にお互いが変化したから。……あの頃の出来事の延長線上に今があるのは確かよ。だけど、あの頃の記憶がかすんでしまったからこそ、今こうして一緒にいられるんじゃないかって私は思うよ」

「だけど、愛菜の時間は五歳で止まったままだ。大事なことほど親が決めなきゃいけない。たとえおれの記憶が消えかかっていたとしても……」

「愛菜ちゃんの人生を引き受けすぎないで。確かに親は子供の成長を手助けする必要があるけど、それは何でもかんでも親が決めるって意味じゃないと思うの。五歳の子でも年齢に応じた選択や決定は出来る。それを、幼いことを理由にやらせないのは大人の方よ。……悠は一度、しっかり愛菜ちゃんと話した方がいい。たとえ話せなかったとしても、悠ならあの子の言わんとすることを汲み取れるでしょうから」

「愛菜と……話し合う……」
 言われて、おれは愛菜と向き合うことを避けていたんだと気づく。負わされた責任の重さから逃れようとしていたんだと。

 結局おれは、結論を出すのを先延ばしにしているに過ぎないのだ。悶々と悩んでいるフリをして現状を維持したいだけなのだ。

(いつまでも逃げ続けていいのか……? 一歩でも二歩でも、前に進まなければいけないんじゃないのか……?)

 話せない愛菜――しかも相手は幼児だ――と話す。まともに話せるはずがないと、大人なら誰でも思うだろう。おれも、そう。だから話し合うという発想すら湧かなかったのだ。だけど彰博は言った。愛菜は大人の会話を理解していると。もしそれが事実なら、そして愛菜がおれを信頼しているというなら、親として出来る最初の一歩は愛菜の人生を決めることではなく、話し合う場を設けることなんじゃないか。映璃と話す中でそう思い始める。

 こうして映璃が自信を持って言えるのは、自分たちがすでに実践済みだからだろう。おれはあるエピソードを思い出す。

「そう言えば、おれの母親が死んだ日の朝に、当時八歳だっためぐが病院まで会いにきたっけ……」

「そんなこともあったわね……。あの日、本当は悠が我が家に遊びに来てくれるはずだったのよね。だけどご不幸があってそれどころじゃなくなって……」

「ああ。だけど、めぐは怒らなかった。それどころか、おれを励ましてくれたよ……。八歳でもちゃんと、おれの身に起きたことや気持ちが分かってんだろうなって、感心した覚えがある」

「だいぶ話し合ったからね。あのとき、めぐには何度も聞いたわ。悠と会ってどうしたいの? って。最初は遊びたいって言ってためぐも、悠の事情を知るうちに慰めてあげたいって言うようになってね。それなら会いに行こうってことで、アキに病院まで連れて行ってもらったのよ」

「そうだったのか」

「……子供は、大人が思っているよりずっと賢いわ。愛菜ちゃんだって、きっとね」

「そうだな……。時間をかけてでもちゃんと向き合わないとな……」

 一つ二つと、雨粒が肌の上に落ちる。また雨が降ってきたようだ。
「ありがとう、映璃。デートに誘ってくれて。少し前に進めそうな気がしてきたよ」

「それならよかった。……うん、さっきよりいい顔してる」

「さて……。本降りになる前に帰ろう。今度は天気のいいときに一日デートしたいな」

「そうね。悠がこの問題を乗り越えたら、そのときはぜひ」
 おれたちはバイクを止めた正門前まで再び手を繋いで戻ると、急ぎ帰路についた。

 バイクを走らせながら、頭の中である考えを巡らせる。

(家に着いたら早速、翼たちに話してみよう……)

 うまくいくかどうかはこの際、関係ない。大事なのは、行動するかどうか。そのことを映璃が教えてくれた。


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※見出し画像は、生成AIで作成したものを使用しています。

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