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PMと慈悲(Compassion)

こんな苦しみに直面することはないだろうか?

《ひとのためにやっているはずなのに、相手には迷惑をかけ、自分も傷ついている》……

《大切にしている価値観と現実とのギャップに葛藤し、他人を信じられなくなる》……

高難度なコミュニケーション商売であるPM(プロジェクトマネージャー)職を続ける中で、私は随分本格的な「燃え尽き」に直面した。その回復過程で、ジョアン・ハリファックスの『コンパッション』という本に出会い、ふたたび働きはじめるための指針となる学びを得た。

このnoteでは、『コンパッション』からの学びをもとに、崖から落ちても強くなって戻ってくるような生き方のヒントを共有したい。


(1) 共感的な在り方に隣接する「闇落ちの危険」——エッジ・ステート

まず、ここに5つの言葉がある。

利他性、共感、誠実、敬意、関与。

だいたいの意味するところは、字を見たらわかるかな。

私はこの5つ全て、生きていくスタンスとして、とても大事にしたい。あらゆるステークホルダーと良好な関係を築き、人のために行動し、貢献・奉仕する。

PMの国際的な知識体系"PMBOK®"にも、誠実さ=Integrityという概念が登場する。Integration=統合にも関連する誠実さと、関連するコミュニケーションスキル群は、リーダーとしてのPMに欠かせない「求められる資質」でもある。

利他性、共感、誠実、敬意、関与という5つの資質に支えられた、『人が生まれつき持つ、「自分や相手を深く理解し、役に立ちたい」という純粋な思い』を、本書では「コンパッション」と定義する。このnoteのタイトルでは「慈悲」という訳語を使ったが、本書では「同情」「憐憫」との明確な区別のためにカタカナ表記にしているそうだ。

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しかし、利他性、共感、誠実、敬意、関与の5つは一見シンプルなようでいて、実は「諸刃の剣」であり、取扱い注意である……というのが、本書『コンパッション』の大きなコンセプトだ。

・利他が暴走すると、相手が求めていないことを押しつけ、相手をコントロールし、自己満足の行動をしかねない(病的な利他性)。また、相手を依存させるような「援助」は、害になる

・苦悩する相手への共感が行きすぎると〈共感疲労〉が起こり、自分自身が過剰な苦しみにとらわれてしまう

・誠実であろうとする自分と、目の前の価値観に反する行動との間で板挟みになり、〈道徳的な苦しみ〉を味わう

・保身のために、敬意を払うべき相手を自分から切り離し、〈軽蔑〉や構造的抑圧にさらす

・消耗し、無力感にとらわれ、〈燃え尽き〉


太字にした5つのキーワードは、冒頭に掲げた「利他性、共感、誠実、敬意、関与」と表裏一体の関係にある。本書ではこの両面性を、切り立った「崖」に喩え(エッジ・ステートと呼ぶ)、崖から落ちないためには細心のバランス感覚が必要であると教える。

どれも単独で存在するというより、「芋づる式に悪循環が加速する」のも特徴的だ。

・〈共感疲労〉が重なる中で疲弊し、対処のために安易な解決策を相手に押しつけ(病的な利他性)、それが機能せず、結果的に〈燃え尽き〉る。

・うまくいかない仕事に〈道徳的な苦しみ〉を味わい、次第にまわりの人を〈軽蔑〉することが増え、結果的に〈燃え尽き〉る。


……かなり思い当たるところがあるような……。


本書『コンパッション』は、著者ジョアン・ハリファックス師が過去に出会ったさまざまな人——死に向かう患者、苦しむ兵や囚人、ケアを専門とする職業人などのエピソードから、相手とともにいようとする試みの二面性と困難さについて、丁寧に紐解いてくれる。

仕事や生活がうまくいかないとき、まずは、「うまくいかない理由を、具体的に、構造的に知る」だけでも、視野が開ける効果があるはずだ。


、という喩えのミソは、「落ちてもまた這い上がれる」という点だ。一度の失敗、転落が即ゲームオーバーとはならず、行動や考え方を変えて、また続ければいい。そう勇気づけるのが、ジョアン・ハリファックス師からのメッセージだ。

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(2) 瞑想を練習して、切り替える・立ち戻る

さて、肝心の「這い上がり方」について、特効薬があるわけではない。しかし、『瞑想』の効果については、繰り返し提示されている。

・まずは「地に足が着いた状態」に立ち返ること。呼吸を整え、注意力を戻すこと。リセット。そして意識をゆっくりと相手に向け直す。

・瞑想のトレーニングを積むことで、精神状態の切り替えが早くなる


瞑想の具体的な方法について、本書での言及は少ないが、既に他の書籍や記事が多数ある。Headspaceのようなスマホアプリの利用も有効だし、ひとまず「まとまった時間、呼吸だけに集中する」ことを習慣化するだけでもいいと思う。

Googleが社内の人材育成に取り入れている『サーチ・インサイド・ユアセルフ(SIY)』も、同系統の考え方に基づくプログラムだ。企業研修に取り入れられるということは、一定の時間とお金をかけることで鍛えられる資質があるということ。

どのみち「こうすれば燃え尽きませんよ」という簡単な解決はない。長い時間をかけて、《共にいる》ことの難しさと向き合い続けていくことになる。

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(3) 誓いを立て、誓いに従って生きる

ところで、前向きに行き続ける上で、何か「信仰」のようなものが必要なのかなとちょうど考えていた。

私は特定の宗教をもっていない。禅をはじめとする仏教の考え方、ヨガの根底にある思想などは馴染みがあるけれど、断片的な知識にとどまっていた。

本書は、『誓いに従って生きる』ことが、誠実さの中核になると説いている。

つまり自分の最も深い価値観を自分自身との約束として守り、良心を持って、自分本来の姿につながる力です。(p177)

誓いの例として、仏教・禅宗の文脈からは「三聚浄戒」「六波羅蜜」などの教義が紹介されている。宗教に属する方は、その教えに忠実に沿うことが、確かな指針となるのだと思う。

自分にとっては、 『コンパッションを誓いとする』ことがヒントになった。「利他性、共感、誠実、敬意、関与」という5つの柱を日々思い出し、両面性に留意してなるべく崖から落ちないように過ごすこと。これがひとつ、ブレない毎日の指針になっていきそうだ。

私は近ごろ「美しいものを探求し続ける」ことをひとつの人生ビジョンのように考えはじめていた。ここにコンパッションを誓いとして加え、毎日眺めるNotionの扉ページに掲げてみる。

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『泥がなければ、蓮の花は咲かない』

このフレーズを最後に紹介したい。ベトナム人禅師ティク・ナット・ハンの言葉とされる。

古池の底の腐った泥が、蓮の滋養となる土でもあるように。(中略)苦しみが私たちの理解力を育み、智慧とコンパッションのかけがえのない糧となる (p34)

泥こそが、より美しい花を咲かせる源泉。

私は今年までにひととおりの「苦しみの泥沼」を体験したと思うが、振り返って、その過程は本当に大きな学びと成長をもたらしてくれたと感じている。この先は少しバランスの良い歩き方ができそうだ。しかしまた崖から転げ落ち、学びながら戻ってくる、それを繰り返しながら生きていくのだろう。


『コンパッション』はとても大きな力だ。しばらくコンパッションの視点から、自分を、そして社会を眺めていきたい。

(追記) 本書の序文が英治出版公式noteで公開されています。


ℹ️ 今回のnoteは、Freepikのイラストを挿絵に使ってみました。
Illustration by Freepik Stories

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