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「かぞくのわ」二次創作掌編

(※こちらは、先日上演されました「道楽息子」様の舞台「かぞくのわ」の二次創作掌編です。主宰である表情豊様の許可を得て執筆、掲載させていただいております)

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『Melt-ユウキの場合-』

  テレビン油で薄めたレモンイエローを、キャンバスに塗り広げる。
  その手をひたすら止めず。

  他の部員たちのように、さも分ったようなつもりで、ガッシュなどをゴテゴテと厚塗りするのは主義ではない。

  ユウキは、今日もイーゼルの前に専用の箱椅子を置いて、絵に取り掛かった。
  この季節になると、三年生は実質引退だが、ユウキは絵を描きに来ていた。
  二年生は、修学旅行中だ。
  一年生が、去年の夏休みに描いて応募したユウキの漫画が佳作に入選したことを騒いでいたが、それには耳を貸さないフリをする。

  聞こえていないフリが、随分と上手くなったものだと自分でも思う。

  自分の耳は"彼女"の不満を聴くために。
  自分の口は"彼女"に慰めの言葉を紡ぐために。
  自分の腕は"彼女"を抱きしめるために…それらに一杯一杯で、他に貸している余裕はないのだ。

  ただ、放課後から下校までの1時間半だけは、この手を自分のために使う。

  テレピン油に、自分の憤懣を溶かし、今にも口を破って出そうな叫びを溶かし、腕を、手を動かして、そのレモンイエローの中に、キャンバスに塗り込めていく…。

  しばらく作業を続けていると、背後で、ギャーという複数の悲鳴があかった。
  バカの一つ覚えのような、ヤバい!という声がする

「ユウキ先輩! やばいです! 足下! 」

  ユウキは、一瞥するとためらいなく這ってきたソレをぐしゃりと踏み潰した。

(ゴキブリは油絵具が好きなんだよ。美術部室にいれば出るに決まってんだろ? バカじゃねぇの?)

  …それすら吐き捨てるのも煩わしい。
  ユウキは、床に死骸を残したまま、荷物を抱えて部室を出た。
  モーゼの十戒のように一年生が、左右に分かれ、誰も声を掛けなかった。

  いっそ、忌み嫌われる害虫にでもなってしまえば、少しは気が楽なのかもしれない。
  しかし"彼女"に自分が求められている役割のベクトルは全く真逆だ。
  むしろ…。

  電車を下り、踏切を越えると、左手に坂道がある。
  自宅までの緩い坂の途中には、ナントカ派の教会。その扉の横にはポスターが貼ってあり、少し色が醒めていて、
『日曜日は礼拝へどうぞ』
  と書かれた文字だけがやたら目立つ。
  色の醒めたポスターに描かれた、目を伏せた聖母は、なんだか泣いている幽霊みたいだ。
  いつもは気にも留めない絵を見て、ユウキはため息を、ようやく吐いた。

  そして、玄関の前で、また息を吸う。
  ある呪文を、言うために。
  極力明るく、言うために。
  ドアを開けると、黒光りする26センチの革靴が目に入った。

  ぐしゃり!

  ユウキはそれを踏みつけて、アルトの声で、
「ただいま!」
  を言った。

(おわり)


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