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漫画もやもや:マイ・ブロークン・マリコ

「シスターフッド」とか「ロマンシス」とか「ウーマンス」系のワードとともにちらほら紹介・レビューされていたりする。感想なんて人それぞれなわけだし、僕個人としてはどうもその方向性からの感情体験はできなかったのでその記録。

内容を要約すると「主人公が友人の自死を知り、彼女を虐待していた親元からお骨を強奪し海に行って骨壷を破壊し骨を撒き散らして帰ってくる話」である。
先週遊んだばかりの幼馴染の突然の訃報で混乱するのはわかる。思い出を噛み締めながら友人の死を悼むというのもわかる。ただマリコとシイちゃんの友人関係がわからない。この二人の関係は友情というより共依存に近いし、側から見ている身としては「然るべき治療・援助」をなぜ受けていないのかという疑問で頭がいっぱいになる。

骨壷を実家から奪い取ってくる、なんていうぶっ飛んだ行動はフィクションの演出としてどうかはさておき26歳の社会人としては完全にやばい。この行動の帰結に至るまでの過程としてマリコが虐待やDVによって傷ついていたことが描かれるのだが、骨壷強盗なんてマネができる行動力があるなら存命の間にシェルターに避難させるくらいできたんじゃないのと思ってしまう。マリコの不健全なシイちゃんへの執着も、二人で心理療法を受けるなり投薬治療なりで軌道修正できたんじゃないのと思ってしまう。
実際に支援なり治療なりを受けろという意味ではなく、フィクションだからこそ社会福祉に繋げてほしいし、商業作品はそういう社会的責任も担っていると思う。マリコとシイちゃんというふたりだけの、クローズドで歪な関係をひたすら煮詰めた挙句自死に至る物語は現代においてある種危険ですらあると感じている。誰からの助けも得られず人生を終えてしまうキャラクターなんて古典文学で既にたくさんいるのだし、その頃に比較して今は多様な手段で周囲へ助けを求められる社会になっているはず。フィクションは可能な限り受け手の人生に対してポジティブな概念や知識を発信するべきだと僕は考えている。

キャラクターが死ぬこと、それによって生じるドラマなんて全くありふれた題材で掃いて捨てるほど描かれてきているテーマだが、本作においてシイちゃんがしていたことは喪失なのか復讐なのか哀悼なのか正直よくわからないまま終わってしまった。海で骨壷を壊し、不本意に散骨したら勝手にスッキリして日常に戻っている。もうシイちゃんの情緒については完全に理解不能。長年マリコと不健全な精神状態にいたことについては一定の同情の余地があるものの、至急速やかに心療内科を受診すべきである。

「情緒不安定な女の壮大なオナニーショー」というのが僕の感想。ふたりの友情でお互いが人生を歩めた、明日を生きようと思えたというストーリーでもなかったので、女どうしの連帯という側面の魅力は残念だが感じとれなかった。

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