見出し画像

60 暗雲と希望

人生のゴールが「幸せ」なら、せめて幸せになった瞬間命が終わるような仕様になっていて欲しかった。……というのは極端な考えだとして。僕は今十分幸せだけど、人生はまだまだ続く。それを思うと、居ても立っても居られないような、不安な気持ちになってしまうことがある。

僕はよく人生の意義を見失う。何のために生きているんだろうと思う。いや、何のために「生きていこうか」と、前向きに考える姿勢にはなれるけれど、結局明確にそれが見つけられないまま、ぼーっと過ごしてしまう。

ぼーっと過ごす時間は、だけど嫌なものではない。ぼーっと過ごして何もなく人生が終わっていくなら、それもそれで良いではないかと思う。

けれどなんだろう、この、日々の軽さ、空虚さ。これで良いのだろうかという、軽い焦り、軽い危機感。

このぼんやりした、暗雲のような嫌な気配が、うまく理解できない。過度なストレスがあるわけでもない。生活苦があるわけでもない。人に認められるということも、少なからずある。いや、本当はたくさんあるのかもしれない。しかし、承認欲求が満たされている感じはしない。

もしかしたら、自分への期待の裏返しなのかもしれないと思う。自分に期待をしているから、それに応えられない自分が情けないという気持ち。あるいは無自覚な挫折感。自分が自分を認められないという気持ち。

少し話がそれるけども、そもそも、人からもらった良き評価を、なぜ素直に受け止められないのだろうかという問題もある。けれど、それには理由がある。

作品作りをする初期。最初はオーディエンスはいなく、自分が最初のオーディエンスであり基準だ。しかし、自分の希望や理想から生まれた作品が、一旦公に出ると人の評価が生まれる。

ここで二つ分岐がある。人の評価を気にし過ぎれば自分本位の作品は出来なくなるが、良い評価や貢献度合いが確かなモチベーションになる。逆に、人の評価はあくまで人のものとして、自分基準で作品を作れば、自分の気持ちは満たせるが、モチベーションも自分の気持ち次第になり浮き沈みが激しくなる。

僕は明らかに後者で、常に自分基準で生きて来た。その分のメリットは十分にあったけど、デメリットも(この文章に現れている通り)感じている。

出来るだけ前向きに生きていきたい。だから、悩んで悶々としているだけではなくて、こうしてウダウダ書いているこの文章も、前向きな考えで持って終わらせたいと思う。まさに今、そう思いながら文字を打っている。喫茶店の隅。ホットコーヒを飲み干して。

一年半前にアルバムを作った時のことを思い出す。お披露目をして、いろんな人からもらった称賛の数々。さんざ自分基準、自分基準と言いながら、今僕はその時のことを思い出して、嬉しかったこと、喜ばしかったことをじんわり感じている。

またアルバムを作ってみたい。今の僕にとって、それが唯一の希望に思える。自分の悩みや虚しさが(どんなにしつこく僕を悩ませたとしても)、アルバムの曲となって昇華される「その瞬間」を想像すると、心にキラッと光るものが現れるのを感じる。暗い雲間からさす、一筋の光のような。

気に入ってくださいましたら、ぜひお気持ちを!