見出し画像

「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」と、ネットに初めて書き込んだ男はどのように生きたのか(前編)

これから「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」と、ネットに初めて書き込んだ男について書きますが、それは私ではない別人であります。

このように冒頭で興ざめの断りを入れたうえで、それでもこの記事を執筆するのは、「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」というネットから出回った都市伝説の発祥の人間について、その本人から語られた彼の数奇な半生が、読者の皆さんにとって価値のあるものであろうと、筆者には思えたからだ。
一方で、この発祥者の正体については、実際に誰であるかは大した問題ではないし、彼はただ々々無名の男であるから、それを開陳してみたところで読者の皆様にとっては非常につまらない興ざめな結果にしかならないと思われる。したがって、この記事を最後まで読み進めても「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」とネットに初めて書き込んだのは人間の正体ついては、不明のままであるのを、読者の皆様にはご留意願いたい。

さらにもう一つ、本編に入る前に興ざめの断りを入れさせていただきたい。

本記事は一本では収まらず、最低でも三編になる予定なのだが、複数記事に分割しnoteのマガジンという形でまとめるようにしており、そのマガジンのリード文にて

21世紀初頭のネット黎明期、匿名で書かれた都市伝説「30歳まで童貞だと魔法使いになるらしい」。これを書いた男はどのように生きたのか?そして彼が見つけた魔法の正体とは?長らく発祥が謎となっていた都市伝説の真実に迫る。

等と、筆者は矮小のクリエイターで、せめて普段は100件程度のビュー数しかつかないものが120件程度にまで上がってくれるとよかろうという、非常にさもしい下心で余計な煽りを入れてしまったが故に、この記事を魔法が登場するファンタジー小説のように期待して、勘違されている読者がいるかもしれない。
しかし、この記事はファンタジーでもフィクションでもない、極々ありふれた特に取柄もない、中庸な小市民のつまらない男の半生を描いている、現実に起こったノンフィクションの記事である。
であるから、童貞が覚醒して魔法を駆使して戦う魔法戦記のようなものを期待してこの記事を開いた読者の方々には申し訳ないが、また、別の機会にお会いしよう。今回は悲しいのだが、ブラウザバックをしていただく必要がある。

記事の件名にある「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」というのは、有名なネットミームあるいは都市伝説であり、もはや知らない人はいない常識と言ってもよいほど、日本の国内で広まってしまった。
発祥者の彼に言わせると、「妖精」や「仙人」などのような変身を予感させるものではなく、「魔法を使える」という何のリスクや失うものもなく能力が追加される特典を設定したのが受けたのかもね、ということだが、筆者にはあまり重要なことではないように思えた。
元より、「30歳まで童貞」も「魔法使いになれる」のいずれも、他人のパーソナリティや知性をバカにした嫌味の表現である上に、セックスに関する下品で浅ましい都市伝説であり、一般の場で口に出せるような内容ではないはずだ。これからこの記事では彼の半生を紹介するのだが、彼の半生の顛末はそのような下品な流言を発した報いだ、というのが筆者の包み隠さぬ感想である。
しかし、日本人はそういう話題についての懐が深いのか、ただ下品なのか、まさにこの題名の漫画、アニメ、ドラマ、映画が「チェリまほ」という愛称まで付けられて世に出ているし、それ以外にも「30歳まで童貞だと魔法使いになる」という伝説をベースとした創作物も多数世に出ている。筆者が目くじら立てるよりは、世間はこのような話題に寛容なのかもしれないが、それでも多くの人を不快にして傷つけるかもしれないセンシティブな話題であるし、容易に茶化してよいものではないはずだ。
すなわち、筆者は「30歳まで童貞だと魔法使いになる」とう流言が世に出回っている現状について、不快に感じている立場なのだ、と明言しておく。

一方では、この「30歳まで童貞だと魔法使いになる」というネタの発祥について、この記事を執筆している2023年の現在においてもネット上の謎とされており、15世紀の細川政元や18世紀のモンテスキュー、あるいは20世紀の種村季弘に発祥の源流を求める考察がある。しかしこの記事では、そのような世間で出回っている意見や考察を差し置いて、独自の発祥の物語を発表しようとしている。
筆者のような無名の者が、すでに世間で有名になっている伝説の起源の謎についての記事を書くのは、まるで、人気ドロボーのようでもあるし、卑怯で狡猾なクリエイターの所業であるようにも思えるが、どうかお許しをいただきたい。
なんだか、このような言い訳を述べるのは、ネットで注目を集めるために飲食店の醤油差しを舐める動画を公開しようとする狂人が、必死に前口上で言い訳を述べている構図のようにも思えるし、筆者としてもそのような指摘を頂いてしまうと、返す言葉もない。返す言葉もないが、筆者としてはバズって世間から注目を集めたいとか、note記事の収益化で稼ぎたいとか、そのような下心は無しで、ーいや、お金は欲しいのだがそれは置いておいてー、純粋に世間に公表するべき価値のある情報だと判断して、このような記事を執筆しているのであるから、この記事をご覧になっている数少ない優しい読者の方々においては、お許しいただけると信じている。

言い訳ついでに、あくまで筆者ではない、他人の話だと断る言い訳も、改めて記しておきたい。
この記事の内容を、あたかも筆者自身の経験談なのか他人のことなのか、はっきりしない表現であったり、あるいは、はっきりと筆者自身の経験談として記述するのは、それはそれで真に迫る生々しい表現となり、より読者の関心や同情を買う内容になるのかもしれない。しかし、そのような誤解が世間に出回ってしまうと、「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」の発祥者ご本人にとって筆者は手柄ドロボーということになり、筆者は彼にとって裏切り者となってしまう。したがって、記事内では「彼は~した」「彼は~のように思った」といった、どうにも他人事のような水臭い表現が中心となるのを、どうかご容赦願いたい。
さらには、他人の伝聞であるとはっきりと断っておかずに、あたかも筆者自身の経験のように語ってしまった場合には、万が一にも起こりえないとは思っているので余計な心配なのだが、この記事が多数の読者に知られるものとなってしまい、特にこの2023年では「童貞」というキーワードで100万人登録者を達成した人気YouTuberも登場しており、そのような人気YouTuber様の目に入って動画出演などの声がかかってしまい、気の小さい筆者もそのような事体に舞い上がってインタビュー動画出演に安請け合いをしてみたものの、所詮は伝聞で書いた記事なのだから、撮影内で会話を続けていくうちに嘘や矛盾のほころびが出てきて、顔には冷や汗、声は震え声、口から出る内容は支離滅裂でおよそ公開できるような動画にはならず、そのYouTuber様の貴重な動画撮影時間を無駄にされてしまい大迷惑をおかけしてしまうし、筆者自身も酷いお叱りを受けるような目に会うのは容易に想像できる。
また、筆者はnoteにおいて、特に名乗るような大した人間でもないから、匿名という形で記事を投稿しているが、本名の苗字は別記事で明らかにしてしまっているし、筆者自身の経験であるかのように語ってしまった結果、筆者の周囲に「あれはお前のことなのか」と変な誤解が発生すると、それはそれで私自身に迷惑が及ぶという問題もある。筆者はごく平凡な会社員である。noteでの記事執筆は趣味でありボランティアであるが、自分の収入源を壊すような真似は望んでいない。これからこの記事で紹介する彼の半生は、およそ恥の多い人生である。彼の生涯が私のことのように広まってしまうと、私自身の会社員としての生活に危機が訪れる可能性もある。なので、やはりこれは自分のことではないと明言する必要があるのだ。

このようなわけで、この記事の内容については再三の注意を払って言い訳を並べた上で、さらに、この記事は筆者自身のことではありません。これから「30歳まで童貞だと魔法使いになる」を初めてネットに書き込んだ人間について書いていきますが、これは筆者とは全く別の他人のことなのです。
と、再度、まことに馬鹿々々しい宣言をしつこいくらいに念押しをしたうえで、やっと本編を始めたいと思う。

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

「30歳まで童貞だと魔法使いになれる」というネットで生まれたミームは、はじめはネットの片隅で語られる自虐的な嘲り合いであったのが、いつしか公でも語られるようになり、その起源は謎とされて都市伝説となり、漫画やドラマ、映画の題名にまで引用されるようになった。
この発祥は、後年になって18世紀のモンテスキューとも、種村季弘ともいわれているが、それはすべて間違いだ。私はネットでの本当の最初の発信者を知っている。
彼は、ネット黎明期の2000年に、匿名私書箱の派生サイト「自動アンケート作成」に、学生時代のバイト中に思いついたこのネタを、他の他愛もないネタと同じように大学のPCから書き込んだ。
このネタは、複数の「自動アンケート作成」ユーザーの琴線に触れたらしく、その「箱」(2ちゃんねるでいうところの「スレッド」)は盛り上がり、誰か別の人が似たような「箱」を作って、細々とではあるが引き継がれていった。
彼はそれをただ見ていたが、まもなく一時的にネットからも離れ、書いた本人も「30歳まで童貞だと魔法使いになれる」という自分が生み出したネタを忘れたまま長年を過ごしていた。

ここからは、長くなるが彼の半生を記す。

✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

彼が生まれてから最も幼いころの記憶は、彼の祖母と母親に連れられて浅草の浅草寺に行った時のことだった。年齢は3歳であるようだった。
東武線の浅草駅を降りて新仲見世通りを進み、仲見世通りを人ごみの中で母親に手を引いて歩いていた。仲見世を過ぎて本堂手前の仁王門に差し掛かると、彼の母親は彼に「悪い子は、あの鬼に食べられちゃうのよ」と言った。子供のしつけで脅迫めいたことを言って大人しくさせるのは、当時のよくあるやり方だったが、彼の母親は、子供が自分の思い通りにならないのを特に気に入らない性格であったようで、そのように脅迫めいた教育を良くしていた。
それを聞いて彼は、特に根拠もないのに悪いことをしている自分は、絶対あの鬼に食べられる、と思い込んで、母親の手を放し仁王門とは反対側へ一人で走って逃げてしまった。
もちろん、3歳の子供が一人で逃げたところで逃げる先などあるはずもなく、観音通りの周辺を一人で泣いて歩いているところを、商店の人に保護されて、まもなく彼の親たちも息子をさがしに来て無事に戻ることができた。
これが、彼のもっとも古い記憶である。
彼は子供のころ、なぜか自分は怖い神様か閻魔大王に裁かれて、酷い仕打ちを受けるものだと思い込んでいた。

彼の親は特に貧困でもなければ裕福でもなかったが、外祖父は事業を興して失敗したらしく、埼玉県の駅からも歩いて遠いあまり広くない家に、外祖父夫婦と彼の両親、彼と弟、加えて彼の伯母の7人で住んでいた。
伯母はやがて結婚して家を出たが、それからしばらくは6人で暮らしていた。外祖母と母親はしょっちゅう一緒に出掛けたりしていたが、外祖父と父親は一緒に暮らしているのに、話している姿は、ついに最後まで彼が見ることは無かったようだ。一つ屋根の下に暮らしていても、仲が良かったのか悪かったのかすらもわからなかったが、彼はそれが普通だと思っていた。

彼は物心ついた頃にはすでに肥満で、むさぼるように食事や菓子を食っていた。母親も太っていたから、息子に過剰に食べ物を与えることに抵抗もなかった。肥満であるから運動神経も悪く、頭も決してよくはなかった。
そのような彼が、幼稚園に通い出すと、当然のように他の園児からいじめられるようになった。

小学校に進んでも、そこまで酷いものではないがいじめを受けたようだ。一方で彼の母親は、彼に様々な習い事を受けさせた。絵画、水泳、習字、そろばん等々。しかし、無残にも彼には才能が無く、どの分野もパッとしたものはなかったようだ。
彼が小学校4年生になると、彼の母親は彼を近所の学習塾に入れさせた。彼は嫌がったが、結局は母親に押し切られたようだ。
母親は彼に対して、かなり強引な教育を施したようである。ほぼ毎日、学習塾に通い授業だけを受ける。しかし、彼は自分の机で勉強をする手法を知らないから、授業で聞いた中で残っている知識だけで試験を受ける。試験を受けても良い点数など取れない。そんな日々を3年間続けて、中学受験をした。
彼は受けた学校をことごとく落ちたが、最後に受けた新設の中高一貫の私立中学校だけは合格することができた。

彼の中学校、高校の生活も、あまり明るいものではなかった。相変わらず、自力で勉強などできないので、成績はほぼ最下位。肥満で運動神経も悪いため、体育もできず、マラソン大会もビリ争い。当然、いじめの対象にもなったようだ。
そのような彼にも転機があった。高校二年生の時、何を思ったのかダイエットを始めて体重を減らし、机に向かって勉強もするようになった。ダイエットは効果があったようで体重は標準並みにまで落ち、高校三年生の最後のマラソン大会もそこそこの成績であったようだ。
勉強の方は、多少は成績は上がったようだが、最後まであまり振るわないままだったようだ。
そのまま、彼は大学を受験して、これも中学受験と同様、どこも受からなかったようだが、補欠で一つの私立大学に合格した。彼はその大学に通うことになった。

彼は大学に通い始めるが、周囲にもちろん知人はいない。いくつかサークルや部活を回ってみたが、どこに行っても自分がこの中にうまく入り込めて、仲間としてやっていける気がしなかった。
そもそも、他人と良好な人間関係を築く成功体験が彼にはなかった。それゆえ、積極的に新しい人間関係を築いたり新しい組織やグループに入り込むことに、彼は強い恐怖を感じていた。
部活が新入生を受け入れる時期も過ぎると、彼は当然のようにボッチになっていた。大学に行っても講義だけ受けて、食堂で一人で昼食を食べて帰るだけの日々を過ごした。
彼は何をしに大学に行っているかもわからくなったが、大学を辞めたところで、その先にも何もないことは解っているから、大学へ通うのは辛かったが辞めずに続けた。
一方で、彼は大学で初めて勉強をすることを楽しいと感じるようになった。母親から勉強をしろと強要されることが無くなったからかもしれない。他人に強要されるとやる気がなくなるが、自由になるとやらなくてもいいことをやりたくなる、ということだろうか。三年生になったころ、彼の成績は学科内でもかなり上位になっていた。

一方で、彼はただ大学に通っていただけではなく、アルバイトもしていた。そのアルバイトも何件か入ってはすぐ辞めてを繰り返していたが、大学二年生の秋ごろに近所のファーストフード店のアルバイトを始めたのは、しばらく続いたようだ。
しかし、そのアルバイトも始めてから一年半ほどで終辞めてしまう。きっかけは、彼がそのバイト先で片思いをしていた女性だった。その女性は彼の二歳年下であったが、働き始めたときから彼氏をいることを明言していた。一方で、彼はそれまで彼女ができたこともなければ恋愛を成就したことも無かった。
その女性が彼氏と別れたと職場で明言したことがきっかけだった。彼は自分が欲しいものを他人に堂々と言える性格ではなく、できる限りがまんするようにしていた。
しかし、この時ははっきりと自分の思いを告白しようと思ったようだ。実際に彼は告白したが、その女性からは「〇〇さんと付き合うので、付き合えません」と、きっぱり断られたようだ。〇〇さんとは、同じ職場のイケメンだった。
自分の好きになった異性が他の誰かに抱かれる苦しみを、彼はその時に初めて知った。もともと、彼は異性と関わる接点も少なく、異性に対しての苦手意識は強かったが、この経験がきっかけで、ますます異性に対する苦手意識を持つようになった。
これをきっかけに、彼はそのファーストフード店も辞めることになった。大学3年生の終わりだった。

そのような事件はあったが、彼は大学内では比較的優秀な学生として、大学4年生からは外部の研究所で研究をするようになっていた。
彼は大学内でも同級生の女性の学生に好意を持っていたようだが、その恋も成就することは無かったようだ。思いを伝えることすらもなかったらしい。

彼は大学を卒業した後も大学にとどまり大学院へ進んだ。研究はその外部の研究所で引き続き続けることになったが、大学院に入ってからは、研究所の担当研究官は彼を露骨に遠ざけて無視するようになり、彼も特にそれに抗議をするでも謝罪をするでもなく、成り行きのまま過ごすようになった。
研究所の研究官は下についている学生を無視しても自分の義務は果たせるが、学生は論文を作成して学会に発表し、卒論を提出しなければ卒業もできない。
しかし、彼は全く論文を書くような研究も活動もさせてもらえない。大学院は修士課程で2年間ある。1年目は講義を受講して単位を取得すれば問題ないので、そのような状況でもごまかせたが、2年生ではそうはいかない。

論文を作成して発表しなければならないが、何もできない。誰かに謝るから頼み込むかして、どうにかしなければならないのだが、もう一日、あと一日と先延ばしをしているうちに、取り返しの効かない時期になってくる。取り返しが効かないとなると、ますますどうしようもできなくなって、ますます、他人に相談もできなくなる。
そのように日々を過ごしていくうちに、彼は自殺を考えるようになっていた。思えば、特に誰かに愛される人間でもなかったし、このように他人から雑に扱われて、邪魔者の様に打ち捨てられる存在でしかなければ、死んでも自分にとっても他人にとっても大した変りなどなかろうと思うようになっていた。

実際に彼が自殺を意識するようになってから、彼が中学生のころに見たある映画の1シーンが、ずっと彼の頭の中に残っていた。その映画は死後の世界を描いたものであるが、主人公に判決を言い渡す裁判官がサングラスをかけた有名なコメディアンであったり、頭に羽の輪を載せただけの関西弁を喋る天使が目からビームを発したりと、真面目なのかふざけているのかよくわからない映画であった。
しかし、主人公たちが地獄の一番底の自殺者が落とされる地獄にやってくると、色も無ければ草木も生えていない世界で、獄卒たちが橇のようなものに乗り、自殺した亡者たちに引かせている。そこで獄卒は「お前たちの前途に救いはない。あるのは永遠の闇と永遠の罪」「お前たちは勝手に人間界から切り上げてこっちへやってきた、勝手にこっちへきたから勝手に裁いてやる」と凄んで亡者たちを鞭打っていた。
彼は死後の世界を信じてはいなかったが、このシーンとセリフだけは妙に説得力があるように感じて、自殺すると死後の世界でひどい仕打ちを受けるものだと、それだけはなぜか忘れられずに頭にこびりついていた。
しかし、生きていても何も好き勝手にはできず、最後の自分の意思を通した行為が自殺、それすら死後の世界で否定されて責め苦を受けるのであれば、生きているのも死んでしまうのも、大して変わらないのではないか。むしろ、未来は永遠に定められていて、今ある責め苦以上のものがないとわかっているのなら、まだそちらの方が今よりマシではないか、と思うようになっていた。

そのころ、彼の生活の癒しは、インターネットの私書箱の書き込みであった。私書箱とは、現代でいうところの2ちゃんねる、5チャンネルの走りのようなもので、利用者は誰もが好きなお題の掲示板を建てて、その掲示板内で自由に書き込みができるようなシステムであった。そのような私書箱が、主にプログラムに詳しい有志が、無料のレンタルサーバーを使用して複数運営されていた。
2ちゃんねるが始まる前にも、「あやしいわーるど」「廃墟」「なみかれ」「ひょろびり」などがあった。問題の「自動アンケート作成」もその一つだった。彼はその私書箱に他愛もない書き込みをして、他の人の書き込みを眺めるのが楽しみだった。
匿名だから、自分に責任が及ぶこともない。自由に書き込める。書いたことに、他の誰かが、何の忌憚もない意見を返してくれる。これらが、新鮮で現実の世界では得られない快感であった。
彼は、誰かに笑ってほしくて、いつも他愛もない笑いネタのようなメッセージを書いていた。特に「自動アンケート作成」は、建てた箱のリアクション量が解りやすいから、彼は好きだった。

彼はすでに研究所での研究は行き詰まり、院の卒業は絶望的、大学に助けを求めるべきであったがすでにその時期も過ぎており、ただ時が過ぎるのを恐れている時期に、彼は「自動アンケート作成」に「30歳まで童貞だと魔法使いになれるってまじ?」のような題名の箱を建てた。
彼はその当時、童貞ではなかったが恋愛の経験はなかった。童貞だけは捨てておこうと、バイト代でその手の店に行って、経験だけは済ませていた。
どうせ自分はまもなく死ぬ、30歳までは生きないのだから、30歳まで童貞かどうかについては、そもそも彼にとっては完全な他人事だと思っていた。
彼は他にも種々の書き込みは箱の作成をしていたから、特にこのネタに何の思い入れも無かったが、どうやらこのネタは他の数名のユーザーに受けたようで、彼が「30歳まで童貞だと~」のネタについて、最初の箱作成以後に特に何か加えた発言をすることは無かったが、複数のユーザーが類似の箱を作り、設定を色々と追加していくのをただ眺めていただけだった。

そのような無為の日々を過ごしていくうちに、論文の提出期限は迫り、結局何も状況を改善できなかった彼は自殺を決行した。「完全自殺マニュアル」で死ぬのに必要な薬品を集めて飲み干し、さらに効果を上げるためにウイスキーも飲んで布団に入った。

気が付くと彼は病院のベッドにいて、鼻と下半身の穴に管を挿入されていた。ベッドの横には母親が、泣いているのか呆れているのかわからないような顔で座っていた。
彼はその日のうちに病院を退院し、家に帰ると、これまで彼の教育には何の興味も示さなければ関わりもしなかった父親から説教を受けた。内容はあまりにありふれていて、全く彼の心には響かなかった。
しかし、彼のこの行動から、両親は彼には優しく接するようになったようだ。しかし、彼の方が両親への気まずさから、過剰に敬語を使うようになってしまったという。

彼はもちろん大学院は中退となり、そのあと自宅に居るのもいたたまれなくなったが、かといって収入もさしあたりの自活をする現金も無かった。彼は半年の間、リゾート地にアルバイトとして住み込みで働いた。
そこでは、彼のこれまでのぎこちない人間関係と違い、同じバイト仲間とは仲良く過ごせたようだ。
特に、彼と住み込みの部屋が同質であった、彼の一歳年上のE氏はとは仲良くなれたようだ。E氏は親と進路について折り合いが合わず、大学を中退してフリーターとなっていた。自分と全く同じ境遇ではないが、共感できるところが多いように感じた。

リゾート地でのアルバイトが終わった後、彼はインドを放浪した後、広告雑誌の制作会社で、これもアルバイトとして働き始めた。
彼はここでも人間関係は悪くはなかったようだ。しかし、いつまでもアルバイトのままというわけにもいかない。
彼はもうすぐ27歳になろうとしていた。その制作会社では、アルバイトから社員になる道はなく、まともな正社員として働くには就職活動をして、別の会社に就職しなければならない。かれは、その職場の人伝手で正社員としての就職先を見つけることができた。
彼も、そのように他人を頼れるくらいには、図々しく振舞うこともできるようになっていた。
彼がその広告雑誌の制作会社を辞めるとなり、引継ぎ期間となった際、職場で席を隣にしていた女性が、彼に事あるたびに「辞めないで」というようになっていた。彼をからかっていたのか、本気だったのかはわからないが、彼がこのように他人から引き留められる経験は初めてだった。
彼はその女性となら、恋愛関係になってうまくやっていけるのではないか、と思うようになっていた。

(中編へ続く)


この記事が参加している募集

忘れられない恋物語

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?