風の通し方

2024/1/12(土)読んだ本 碇幸恵「35歳からの反抗期入門」(3回目、出張に出かける時は必ず持っていきたくなる)

木、金と出張で京都・大阪に行った。仕事の合間やおわりに気になっているお店に行ったりできる自由があるので出張は大好き。
初日の京都は朝も早かったので16時半くらいで仕事を切り上げて、ずっと行きたいと思っていた知り合いのお姉さんが開業した喫茶店に行った。

お姉さんは好きで通っていた古着屋の店員さんで、古着屋で働いている頃から自分で焙煎したコーヒー豆を販売したり、イベントでコーヒーを淹れたりしていた。京都出身ではないが京都の街の雰囲気が気に入っており、手頃な物件も見つかったので出店を決め去年オープンしたという。

言葉は悪いけど、京都で他所者が商売をはじめるのは、他の地域とは比べものにならないくらい大変なことなんじゃないかと思う。
歴史的な街並み、文化そういうものから司られたプライドが人、街、京都府全体に染み込んでいるように感じられて、なんとなく街を歩くときは猫背になるし(元々猫背気味ではある)、そそくさと行動してしまう。

お姉さんのお店は、いわゆる“京都の街”から少し離れた場所にあった。最寄駅からは徒歩20分ほどで、バス停なら10分ほど。住宅が多いけど、小学校、昔ながら続く商店もちらほらあり、とても良い雰囲気。

お店に到着して扉を開けるすぐに気づいてくださった。「え〜〜〜!どうしたの!旅行?!すごい!!!」しばらく会っていなかったし、古着屋で顔を合わせる以外、SNSでも繋がっていなかったのでとても嬉しい反応だった。

平日の閉店30分前だったので他にお客さんもおらず、ゆっくりお話ししたかったのでグッドタイミングとばかりに早速着席してコーヒーを注文した。
中深煎のブルンジ。お店全体に広がるコーヒーの香りがたまらない。
しばらくお店を眺めて感想を言ったり、気になる箇所はどんなふうに作ったのか質問しているとコーヒーが運ばれてきた。

お姉さんがカウンターの外に出てきたのを見計らって、「京都でお店やるの、難しくないですか?」とめずらしく直球な質問が口から出てきた。よっぽど気になることはちゃんと聞けるんだと少し安心。

「地方ならではの閉鎖感ってのはあると思います。私はこっちにきて老人が嫌いになった(笑)SNSが頂点の時代だから、そうゆうことから身を守るには仕方ない部分もあると思うんです。でもとにかく私は風通しをよくしておきたいんですよね。」とお姉さんは私をしっかり見ながら話してくださった。

「風通し」という言葉が私の中で引っかかる。ニュアンスとしては分かるが、具体的にどのような行動をしている人がこの表現にあたるのか、うまく言い表せない。この時も、「うん、うん、うん。」と鼻息あらく頷いたものの、うまく話題を広げることができなかった。ただ、日々京都府内外からお客さんが来るようなお店を営むお姉さんは紛れもなく風通しが良い人だと思ったし、風の通し方も豪快だと思った。頭の中では、引戸をガバーっと常に開け放っていて、お姉さんが微笑んでいるイメージ。こんな場所なら誰でも気楽に入っていける。

一方で私が風を通すとなると、膨らませた紙袋に「ばすっ」と指を突っ込み穴を開けるイメージ。不思議とこの画しか浮かばない。この方法では勢いよく風は流れ込んではくるが、その前の膨らんだ紙袋の中身がなんか自我パンパンで辛そうだし、「ばすっ」の音がガサツだし、外からの影響で空いた穴から中が漏れ出ているだけで風は通っていない。

自分の居場所(お店)を持っている持っていないの違いかなとも思ったけどもっと根本的な人間の違いがありそう。自然と開け閉めが出来る戸をまだ待ち合わせていないか、戸の近くにいないだけなのか。出来れば後者であってほしい。通る風の爽やさに早く気づきたい。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?