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2021年3月25日 彼女なりの餞

あっという間に毎日が流れていっている。気づけばもう3月も終わり、3月も4月も変わりなく流れていくはずなのに、何か積み残しがあるんじゃないかとそわそわする年度末。


子どもは初めて担任の先生が離任する経験と向き合っている。
悲しいとか寂しいとかそういう感情を表に出すことが恥ずかしくなってきている年頃なこともあるのか、知らせを聞いた最初は「へーそうなんだ」とクールな様子だったけど、

「せめて“違うクラスに変わる“だったらよかったのに」
「運動会や卒業式には来れたら来るって言ってたけど、ほんとかな」
「毎日会ってたのにもう会えないって信じられないけどな」

と学童からの帰り道、歩きながら心の内をぽつぽつと話してくれた。
その度に手を繋いでうんうんと話を聞く。彼女の中にある言葉にできなかった寂しい気持ちが繋いだ手から伝わってくるようで、私まで悲しくなってしまう。


先生は娘のことをよく分かってくれていた。
見抜いていた、なのかもしれない。
娘は身体も大きい方だし、生まれも年度の始まりの方だし、保育園の頃から割とずっとしっかりしてる子と見られることが多かった。自分でもしっかり者の自分でいることが心地いいんだろうなというふうに見えるのだけど、中身が伴っていないことが実はたくさんあること私は分かっていた。
そして、それを指摘されないようにうまく隠す術を身につけていることも、なんとなく分かっていた。

授業の内容がこれまで身につけてきたことのさらにその上に積み上げていくものになってきて、これまで誤魔化してすり抜けてきたことがそろそろ通じなくなってきているとわかった頃、ちょうど面談があって先生と話をすることが出来た。
わかってないことを隠さないでわかったふりをしないで理解できるまで取り組ませたい、と相談すると、彼女の嫌がるだろうことを避けながらヒントを与えてわかるを後押ししたい、一つわかったという自信がつけばいいきっかけになるのではないか、と「それそれ、それですー!」というピントのばっちりあった考えを聞くことができて、いい先生と出会えてよかったなと心から思った。
さらに先生は、「夢中になって取り組めることが見つかるといいですね」と言ってくれた。何事もなんとなくこなせて小さな苦手はうまく誤魔化して、大きな苦手も大きな得意もなくエネルギーを持て余しているところがある娘のことを、先生は全部わかってくれていた。いいところもたくさん見つけて褒めてくれた。
娘も私も先生が大好きだった。


今日、子どもたちがお風呂に入っている間、脱衣所にタオルを届けると中からこんな声が聞こえてきた。

「お姉ちゃんさ、先生のこと間違って『パパ!』って呼んじゃったことあるんだよね」

えぇー!1年生じゃないのに!
でも、それだけ先生のことを信頼していたんだなぁ。可笑しくなりながら、弟にこっそりお風呂でそんな話をしている娘の気持ちを思うと、胸がキュウとなる。

望んでいない別れってきっと彼女の人生でこれからもあることで、それでも人生は続いていく訳で。
別れに慣れなんてないけど、手を繋いで歩きながら話を聞くことしかできないけど。がんばれって思ってるよと心の中でつぶやく。


「明日、先生の好きな食べ物の色のゴムで髪結んでいこうかな」
娘は寝る前にそう言っていた。
恥ずかしがり屋の彼女の精一杯。彼女なりの先生への餞。
きっと先生に届くね。



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