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ツイ禁をしたという話

2020年8月上旬、あまりにもTwitterをやりすぎて他のことが手につかなくなった。さすがにこれは病気だと思ってこの月はツイ禁することに決めた。ツイ禁は効果があるのかどうか、延いてはTwitterと自分との関わりやツイ禁中にした読書のことをここに。

そもそもTwitterをやり過ぎな状態とは
人によって様々だと思うが、私の場合はTLを見る時間がめちゃくちゃ長くなった。フォローしている人たちがどんな1日を過ごしているのか気になるからだ。ツイート数自体はそんなに増えなかったと思うが、ふぁぼの回数は増えた。「いいね」の意味以外に「このツイートは読みました」の気持ちでふぁぼることがあり、その結果ふぁぼ回数が多くなってしまったのだ。

私のTLに流れるツイートたちは、私がフォローしている人たちのツイートなので、当然私にとっては価値あるツイートだ。しかし、それら全てに目を通し、あらかたふぁぼるのはやり過ぎ。それは分かっているのに、ついついスマホのTwitterアプリを立ち上げてしまう。TLを全部見終わった後もまた新しいツイートがないかチェックしてしまう。家事や睡眠の時間を圧迫し、大好きな読書の時間が完全にゼロになるくらいTwitterばかりやってしまう状態になったので、もうこれはやばいと思いツイ禁を断行した。

ツイ禁のために何をしたか
この時はアカウント名に「8月はツイ禁」と入れて鍵をかけ、そしてスマホのTwitterアプリを削除した。これで効果はあったかどうかだが、Twitterアプリを削除したことはとても良かった!! 昨日までスマホでTwitterに張り付いていた時間が全部浮いて、家事睡眠読書に充てられる!! 最高じゃないか!! みんなはこのことに気づいていたのか? 鍵をかけることは逆効果だったかもしれない。これはあとで説明する。

Twitterを見なくなり、その分だけ家のことが捗り、寝れるようになり、そして特に本を読めたのが良かった。本に書かれてある文章って、 ツイートよりも意味があってためになる。当然だ。だってTwitterって誰でも気軽になんでもないことでもつぶやけるし、そういう気軽さがTwitterの良さでしょう? 一方、本に書かれてある文章は、書き手が伝えたい内容を伝えるために必死に言葉を紡いでいるので、重みがあり精緻だと思う。本とTwitter、どちらの文章が良い悪いという話ではなく、それぞれの媒体の性格という話。

ツイ禁の弊害や失敗点
ということで、ツイ禁をして本を読めたので良かったね、で終われたらいいけれど、問題はそう単純ではない。ツイ禁をしてTLを追う時間は削減できたが、駄文をどこかに書きつける欲望というのがあり、それを発散する機会を逸してしまった。その結果どうなったか。友達にLINEで駄文を送りつけたり、SlackやDiscordに駄文を投稿したり、こんなnoteを書くようになってしまいました。駄文を読ませて迷惑をかけてしまった皆さん、どうもすみません。

さらに、Twitterアプリを削除するだけで完全にTLを見なくなるかというと、そうでもない。間接的に見る方法はいくらでもある。ネット上で知人と会話していると、時々ツイートのリンクが送られてくることがあり、それは見てしまった。アプリは消しても結局ブラウザからも見れるし。ということで完全なツイ禁はできなかった。投稿やふぁぼはしないよう我慢はできたが。

あと、鍵をかけるのは意味がなかったかもしれない。鍵をかけたのは、しばらくツイートしなくなるから知らない人に見られても仕方なく、だから見れないようにしよう、って思ったから。ところが鍵をかけるとフォローリクエストがくる。上に書いたようにたまたまTwitterを見てしまった時にフォロリクが来ているのを知って気になりだし、Twitterを再開したい欲求が高まってしまった。なので意味がないどころか逆効果だったかも。

ツイ禁中にやったこと:読書
というように、必ずしも順調にツイ禁できたわけではなかったが、トータルで見たらやっぱりツイ禁をして良かった。何度も書いてしつこいが、本を読めて良かった。この時読んだのは『FACTFULNESS』。発売してすぐに買って最初の方だけ読んで積んだままだった。去年の本なのに今年また売れていて、読み終わってないことがずっと気になっていた。それを解消できて超スッキリ。本自体もすごく面白かった。ブログにも書いた

他にもフランス現代思想関係の本を何冊か並行して読んでいる。これはまだどれも読み終わっていない。付箋を貼りまくって足りない知能であれこれ考えながら読んでいる。楽しい。

Twitterと私
Twitterも大好きなのだが、かなり毒されてしまっていたことに今回気づかされた。何事も加減というものがある。元々は現実生活とは距離を置いたところから何でもつぶやけることに魅力を感じて始めたTwitterだった。でも去年あたりから、日常生活の延長で普通に連絡ツールとして使う人々がいることを知り驚いた(むしろそっちがメイン?)。また、会ったこともない人で、Twitter上で私のパーソナル情報をすごく聞いてくる人もいて、それはちょっと閉口してしまった。Twitterは現実とは違うところ、という意識があったので異なる使い方をしている人がいることは発見だった。

ところで、今回はあくまで「8月はツイ禁」ということで、決してTwitterを辞めるわけではない。そのうち再開する。「現実とは少し距離を置いた」スタンスに戻していきたい。というか、不完全ながらもツイ禁ができて良かったので、ツイ禁をするためにTwitterを再開するということになりそう。




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