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宇都宮さん、都知事選なのに何故わざわざ九条?③

宇都宮さん。核兵器廃絶を謳うのは大いに結構。さらに、それを国連を先頭に訴えて行くのも大いに結構。しかし、核兵器廃絶という崇高な理念を、なぜ、9条護憲という政治に絡ませるのだ? それも都知事選の公約で。

日本の被爆者のみなさんの念願であり、やっと国連を通じて成立した核兵器禁止条約。あなたは、その中身に一度でも目を通したことが、おありか? 「国際人道法」という言葉が、何回強調されているか、意識したことは、おありか?

国際人道法とは、①で、その日本の批准と、肝心な国内立法状況と9条の問題を説明したジュネーブ諸条約を主軸に、国家が、例えば、不可抗力で自衛権を行使しなければならなくなった時、その交戦の中での禁止事項を「戦争犯罪」として人類が定め続けてきた、平和を希求する最も重要な国際慣習法である。その禁止事項の中には、化学兵器のように、「使っちゃいけない武器の使用」もある。

つまり、国連憲章の誕生と共に、「戦争」が国家の行動として厳禁される中で、自衛権という不可抗力の行使の中で、「やっちゃいけないこと」「使っちゃいけない武器」を「戦争犯罪」として、国際社会が合意してきた条約の総体が、国際人道法である。そして、それは、今でも発展し続けているそう。今回の核兵器禁止条約が、それだ。これへの批准国がどんどん多くなれば(そうなってほしい!)、国際人道法の仲間入りになるのだ。

つまり、核兵器禁止条約は、核兵器の製造、維持、使用を、「化学兵器条約」(1992年)のように、国際人道法上の「戦争犯罪」に位置付けることを目的にしているのだ。

繰り返す。こういう国際法、国際条約は、批准するだけでは意味がない。批准した国家が、その違反行為を引き起こした時、まず自らを、自らの責任で起訴する国内立法が必要なのだ。それも、そういう大それた違反行為は、個人の犯罪ではない。明らかな政治意思の下に実行される組織犯罪だ。だから、①で述べたようにジュネーヴ諸条約は「上官」を正犯として起訴する立法を国家に義務付けているのだ。(1949年 ジュネーヴ諸条約 第一条約 第49条)

これも繰り返すが、国際法は更に発展し、そういう「戦争犯罪」の概念を、「人道に対する罪」として、戦時だけではなく平時でも、軍隊だけではなく、民間の組織にも適応し、軍隊の指揮官だけでなく、そういう罪を引き起こした政治家、扇動家、極右/極左団体、そしてメディアの長まで、その命令権者を正犯として裁くことになっている。それが、日本も批准する「国際人権法」である国際刑事裁判所ローマ規定である。

しかし、日本は、命令権者を正犯とする国際法の「保護法益」を内含する法体系が存在しないのだ。自衛隊内の指揮命令系統も、ヘイトが引き起こす関東大震災朝鮮人虐殺のようなジェノサイドでも、依然、ヤクザ映画の「親分と鉄砲玉」しか存在しないのだ。(*ちなみに僕は衆議院法制局の協力を得て、この日本の「法の空白」に対処する新法を立法する会を立ち上げた。ぜひ学習してほしい

宇都宮さん。つまり、こういうことだ。日本は、せっかく批准したのに、「国際人道法」と「国際人権法」が求める(日本の刑法では管轄できない)「保護法益」を実現する、肝心の国内立法化を、完全に怠っている。核兵器禁止条約が訴える、核兵器絡みの政治組織犯罪(そうに決まっている!)の、実行犯ではなく、その命令権者を、どんな手をつかって身を隠そうと、命令してないと言い張っても、最後まで(公訴時効の制限なく)追い詰め、正犯として立件する法体系そのものがないのだ。その原因はなにか?

自衛隊が戦力か否かの、国際法が全く問題にもしない問題を国をあげて政局化してきた、そして「戦争しないって言っているのだから戦争犯罪を想定しなくていい」という無法の安全神話を、歴代の自民党政権だけでなく、あなたが長を努めた日弁連まで信じさせる9条である。

もし、核兵器使用の唯一の被害国である日本が、少なからず核兵器禁止条約成立の立役者になった日本が、その核兵器禁止条約が最も重要視する国際人道法の法理を全く受け入れていない無法国家だと、世界が知ったら、どうなるか?

被爆者のみなさんのためにも、日本が唯一の被害国として核兵器廃絶を主導するためにも、9条は、絶対に、絶対に、改定されなければならないのだ。

東京が世界に冠たる核兵器廃絶推進都市になる可能性を、9条という国際法上の欠陥を維持する矮小な日本の国内政治に引き込むあなたを、絶対に都知事にするわけにはいかない。宇都宮さん。残念だ。

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