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1年生清掃活動には発展・深化の法則と原理がある!

 1年生は、清掃活動も「創り出す」ことができます。
 
 そして、そこには、清掃活動を発展させていく「法則」と「原理」と呼ぶべきものがありました。

1 1年生は清掃活動を発展させる

  1年生にとって、最初の清掃の時間が始まりました。
  机と椅子を動かし、雑巾を持った一年生が床に並んで座ります。
  最初なので、「掃き掃除」は、先生です。
  子供たちには、床の拭き方を教えました。

 すると、1年生の子供たちは、まず、今自分が座っていた場所を拭き始めました。
 やがて、その拭いていた場所が縦や横に広がっていったのです。
 そして、壁にたどり着いたらどうしたか。何と、上に向かって壁やら扉らを拭き始めたではありませんか。
 そうです。1年生は、清掃場所を、「点から面へ、面から高さへ」と発展させるのです。
 
「どこを拭いたらいいでしょうか?」「次は◯◯を拭きなさい」
 そんな指示は全く要りませんでした。いいえ、指示をしなかったからこそ、自分たちで見つけていくことができたのだと思います。

2 見えた!1年生教育の構想原理

 この「中心から外側へ」の動きは、まさに育ちの過程そのものだと思っていたときに、さらに、あることに気が付きました。

 1年生の子供たちが、とても楽しそうに雑巾を動かしているのです。
 雑巾を動かすという行為や、拭く場所が広がっていくことそのものを楽しんでいるように見えました。
 
 そうです!これは、「遊び」そのものです。
 分かりました。1年生にとっては、清掃活動も「遊び」=「おそうじ遊び」なのです。
 「おそうじ遊び」として、清掃に取り組ませる、これぞ1年生の清掃指導の原理です。
 
 ということは、その考え方は他の「活動=学び」にも共通しているはずです。
 体育の水泳は、もちろん「水遊び」、平仮名・数字の導入の鉛筆に慣れる学習は、「えんぴつ遊び」、生活科での学校の施設についての学習などはそのまま「学校探検ごっこ」です。そもそも、生活科の学習内容には「遊び」も含まれています。
 
 1年生の教育活動を構想する原理が見えました。

3 清掃活動を「深める」1年生

 しかし、「遊び」としてだけ「清掃」をしているのは、ちょっと引っ掛かります。
 やはり、「清掃」には、気付いてほしい「よさ」があると思うのです。
 それは、身の回りをきれいにすることの「目的」です。

 1年生のやっていることですから、清掃業者のようにきれいにするということではなく、「身の回りを気持ちよく生活することができるようにする」ことが目的でしょう。

 そして、「気持ちよく生活するのは、自分であり、自分以外のそこで生活する人」です。
 そこには、「人」がいるのです。

 つまり、子供たちの目を、「点から面へ、面から高さへ」、そして、「人の心」にまで広げたいと思っていました。
 
 そのチャンスは、やはり、子供たちがプレゼントしてくれました。
 5月のことです。
 6年生の修学旅行が5月に実施される学校だったため、その日は、普段より何となく静けさを感じる清掃時間でした。
 私は1年生の靴箱掃除の担当の子たちと靴箱やその周辺の廊下の清掃をしていました。その頃には、子供たちの清掃場所の広がりは、「廊下へ」「廊下から靴箱へ」と一層拡張されていました。
 さらに、「輪番制」による取り組み方法もつくられていました。

 突然、ある子が言いました。

「六年生の靴箱を掃除したい。」

 児童会活動における六年のペア学級の靴箱清掃をしたいというのです。
「修学旅行でいないから、代わりに掃除をしてあげないと、かわいそうだ。」と。
 すると、それを聞いた周りの子が「私もやりたい。」「僕も。」と言い始めました。
 さらに、

「そうだ!教室も掃除をしてあげたい!」

という子も現れました。

 「6年生のためにそうじをする」ー子供たちにとっての清掃活動の意味が一段深まった瞬間でした。

4 そこから次の「学び」も生まれて

 おまけもありました。
 
 「靴箱を掃除するくらいなら構わないが、六年生の教室には勝手に入れない。校長先生か教頭先生の許可が必要である。」旨を伝えると、「僕がお願いに行く。」と言う子がすぐに何人も出ました。

 「代表を決める」という方法が考え出されました。

 「学校にはルールがある」ということも、身をもって知りました。

 教室に戻り、全員にこのことを伝えると、「誰が掃除に行くか」を決めなければならなくなりました。
 全員で「話し合い」です。
 「やりたい子が行く」「班で分担する」「教室掃除が終わったら全員で行く」の三案が出されました。
 多くの子が「やりたい」「やりたい」と言うことから、「全員案」に決定しました。「多数決」という決定方法のあることも学びつつありました。

 自分たちの教室から掃除用具を持って六年生のペアの教室の前に移動した後、私は廊下で、「掃除をする時に、気を付けることはないかな」と聞きました。注意の確認です。

 「六年生がびっくりするくらいきれいにする」「静かにやる」「六年生の大切な物をさわらない」等が出されました。

 本来の清掃時間をとっくに過ぎていましたが、子供たちは、教室内にある物に気を配りながら、いささか緊張した様子で、でも楽しそうにさわさわと掃除を行いました。
 ついでに、黒板に「お帰りなさい」のメッセージをかかせました。まだ、平仮名が書けない子は絵を描きました。

 終了後、子供たちは、意気揚々と教室に戻って行きました。

4 子供たちを支えたもの

 この1年生の「清掃活動創り」には、必然的な背景があると思っています。
 それは、その学校では、子供が自分たちで活動を創り出すことを大事にしていたことです。
 その一環として、週に一度、「清掃分担のない日」を設けていました。
 子供たちが、自主的に「ここをきれいにしたい」という場所を決めて掃除をするというものでした。
 「掃除をしない汚い所が出てしまう」「清掃時間が落ち着かずに混乱する」と反対する教師もいました。確かに、そういう面もありました。
 しかし、その代わりに子供たちが得たものは大きかったと思います。
 その一つが、今日お伝えしている「1年生の清掃活動創り」だと思うのです。