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'24/1/16 母からの手紙

買い物に行こうとしてポストをのぞいたら母からの手紙が入っていて中を見ずにバッグに突っ込んだ。

そして、ココイチでカレーを食べて心が落ち着いたので、ココイチの駐車場で手紙を開けて読んでみた。

なんてことはない、いつもかけてくる電話の内容のような他愛もないことが書いてあって、私は目眩を覚える。

私は定期的に(3ヶ月に1回くらいは)母にブチ切れていて、そのたびに「死んでくれて構わない」と感じるのだが、ほとぼりが覚めた頃(向こうは深く考えちゃいないだろうが)に、しれっと良き母親のようなことをしてくれやがる。

残念な母親に育てられた子どもは、だいたい母親に報われない片思いをしているんだと思う。

このところ、「本当に私と合う」「私の存在を全肯定してくれる」「価値観がとても似ている」人と深く話をしているのだが、つくづく母が私に向けているのは疑似愛なのだなぁと感じる。

本当に私を認めてくれる人は、無理強いしない。私の自由を心から喜んでくれる。依存から自立へ向かうように後押ししてくれる。

母は全て真逆だった。私から母へ向ける気持ちもまた疑似愛であったならば、もう少し、何かが楽だったのかもしれないよね。

けれど私は母を心から愛しているんだろう。だからいちいち傷つくんだろう。でも、だからこそ、二度と一緒に暮らせない。近づきたくない。

私が私の道を歩くためには母が邪魔だから。母を無視できるほど強くならないとね。母に、私の人生を乗っ取られるなんて、まっぴらごめんだ。

甘く、優しく、老いていく母の言葉はたちが悪い。終活しないとだとか誕生日プレゼントは何がいいだとかさ。もちろんほだされはしないけれど、「ほだされないように暗闇で独り歯を食いしばる」のは特に楽しい時間じゃないな。

ああ、くそダメ男にほだされそうになる気分ってこんななんだろう。私はそっちの世界は卒業したから戻ることはないよ。大丈夫。でも、目眩はするんだ。


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