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令和5年/東京/冬①親友と会ったり、言われてくすぐったかった言葉など

写真:東京

17日に成田に着いて、18日は浅草近くで親友と会った。東京は今年2月に親戚の結婚式で来たぶりだ。出会った人々に石垣から来たと言うと「沖縄と比べると寒い?」ってちょくちょく聞かれる。寒いけど、でもこの位の寒さはまだ許容範囲だったりする。

彼女とは中学校からの付き合いだ。高校からは別々になって、その後は年1回とか、数年に1度会う程度だった。

お互いそれなりに問題はあり、けれども逃げずに人生に向き合っている方だと思う。彼女は私よりぜんぜん頭が良くて、正しく苦難を乗り越え、今は誰よりも彼女を愛してくれる相手と結婚し、2年前からは一児の母である。

会っていなかった3年とか4年とかの間に子供が生まれていて、しかもそれなりに育っていて、とても不思議な感じがした。妊娠姿も全く見ていないわけなので、親友と旦那さんの空間に、ポンと、後から子供の存在だけがフォトショップで付け足されたみたいに思えるのだった。

子供ちゃんは眉毛がりりしく笑顔が可愛い。年上のお姉さん好きということで、有り難いことに私も遊んでもらえた。だっこもさせてもらえた。お昼はカフェで2人で話をして、その後はお家にお邪魔して、リビングで旦那さんも交えて夜まで様々な話をした。

とても癒やされて、まるで、上質な家族ドラマの映画を見させてもらったかのように心が温まった。

私の破天荒な人生(と、私の人生をそんな様相にさせている原因の私の性質)について、どうアドバイスしようかと考えていた親友は、しかし私が「好きな人から教えてもらった!」と、易易と自立へ向かう様を見て「私の言う事はあんまり聞かなかったのに……?」と、私の変化を喜びながらも呆れ顔だった。

もちろん、最終的には「人にはタイミングがあるもんね」と納得してくれたけどね。

そもそも我々が中学生の時に仲良くなったきっかけは、私が彼女に銀色夏生や江國香織を教えたことらしい。私は細かい経緯は覚えてなかった。彼女に言われて、まぁ、たしかに、覚えてないけどそんな気がしないでもないな(私は本がそれまでの親友だったから)と思ったくらい。

逆に、私は彼女から面白い漫画を教えてもらったという感覚だった。

つまり、私は彼女に漫画を教えてもらって、私は彼女に小説を教えて仲良くなったんだな、と、中学生の頃をまぶしく、しみじみ感じた。

そんな彼女にカフェでふと「前も言ったかもしれないけど、さきこは、吉本ばななの小説の登場人物みたいな人生だよね」と言われて、私はとても、くすぐったくなってしまった。

単純にうれしいとかじゃないの。くすぐったい。良いけど、良いだけじゃない。

私も彼女も吉本ばななさんのお話を愛していて、だからこそ単純に褒めているわけじゃないのが分かるのだ。

吉本ばななさんの小説の登場人物はいつでものっぴきならない。「キッチン」なんかは、もともと親がいなくて、ずっとおばあちゃんと2人暮らしをしていた子が、おばあちゃんが死んでしまって天涯孤独になるというところからスタートするし、最近大好きな「吹上奇譚」は、主人公のお母さんが原因不明の病でずっと眠っているところから話がスタートする。

登場人物全員ほぼほぼのっぴきならない。私は何度も吉本ばななさんの小説を読みながら「これは大変だ」とか「まさか、こんなことが」と心を揺さぶられたものだ。その中に、私がエントリーするなんて。

恐れ多いような、しかし、言われてみれば、私の人生はなかなかに小説的であるという自負もある(あえてそうしているわけではない)。

吉本ばななさんの小説では、世界がひっくり返るような悲しみと、最後に、ささやかな人とのつながりが残る、という特徴があるように思う。

まるで夕暮れの美しさ。

何も知らなかったただ楽しい頃はとっくに過ぎていて、こんなにも心は痛い。それに、まだまだやるべきことが沢山ある。一人で頑張らないと。孤独は嫌いじゃないけれど、そろそろ疲れてきちゃった。けれど、そうか、私には好きな人がいる。それに、もう会えなかった人たちだったとしても、応援されてここまで生きてきたのは間違いないのだ。

生きることは静かな戦いだ。そして、時におそろしい淀みのような場所や人間を上手に避けなくてはいけない。けれど、避けすぎることも逆によくないから、可能な限り受け止めたり、苦しみは黙ってこらえたりする。一人でこらえてみるていると、たまに、素晴らしく優しい人が、私がこらえていることに気づいてくれて、そっと手を差し伸べてくれたりする。

じっと、成り行きを見守り、感じ、時には出来事に自分の身体を溶かす。気が付くと時間が過ぎていて、自分の痛みにフォーカスしていた頃よりも、自然に、人にやさしくなれている自分に、仄暗い明るさの中で理解していく。

というのが、吉本ばななさんの小説だと思っている。

誰だって普通に平穏に生きたいだけなのだ。だけど、なぜかそうできない私は、しかし、もしかすると、込み入った色彩のイラストのように、時に人の心をハッとさせたり、かき乱したり、癒やすことができたりするのかもしれない。

怖い映画や、悲しい映画が、なぜか、癒しにつながるように。

こんな変な人生になってしまったのなら、いっそのこと、変さで突き抜けて輝いてやろうじゃないか。なんて思ったりもする。


東京②につづく

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