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石垣島へ移住して手にいれたものの話

千葉県市川市育ち。
40歳。
独身。
子どもはいない。

20代前半に解離性人格障害発症、2度の入院、小劇場での役者活動、婚約破棄、大失恋などを経たあとの私の話。

石垣島へ

33歳まで関東で前述のとおり何やかんやがあり、まったく沖縄と縁のない暮らしをしていた私だったが、旅行でふと訪れた八重山にハマり、石垣島に移住したのが35歳のこと。約6年前。

当時、正直、地元にも都会にも未練は一切なかった。

祖父から譲り受けたフィットに家財道具を極限まで減らし全て詰め込み、有明の港まで自分で運転して行き、石垣行きのフェリーに載せた。

後日、私はキャリーケースを引きずり、成田空港からバニラエア(懐かしいね)で石垣島へ向かった。

石垣島に来てからしばらくは友達の家に泊まらせてもらい、部屋を探した。当時の石垣島は観光バブル真っ只中で、内地(沖縄以外の県)からの働き手も多く来ており、さらに新しく家が建ちにくい島特有の事情もあり、空き部屋はほとんど無かった。

とはいえ仕事も決まっていない訳だから、住みたい家が見つかったとて審査が通るかは疑問だ。ということでルームシェア先を紹介され、ひとまずそこに住むことになった。

ルームシェアとは言いつつも家主と2人の2LDK暮らし。私は高校で3年間、寮生活をしていたので共同生活は慣れているとはいえ、様々な問題が起きた。

流石に警察が来た時は地元に帰ることを覚悟した。人生で一番の危機だった。がしかし、和解が成立し事件にはならず、ルームシェアも石垣島暮らしも継続されることとなった。

コロナ禍到来

騒動のあと、1年後にはコロナ禍が始まった。観光客の多い八重山では、観光客の来島について意見が分かれていた。病院も病床も本当に少ないこともあり、初期の頃は小さな島で感染者が出てしまい、犯人探し状態になったこともあった。

あの時は世界中そうだっただろうけれど、のんびりとした島にも、ひどくピリピリとした空気が流れていて、毎日が息苦しかった。

そんなコロナ禍の中、私は島出身の友人と、ルームシェアの家主と3人で会社を作ることになる。

八重山でコロナが拡大しないようにするため、そして、石垣島から先の離島(二次離島と言う)から買い物に来るのが大変な人のために、買い物代行サービスを立ち上げたのだ。

現在もサービスは継続中である。絶対に無くてはならない、とは言えないサービスかもしれない。けれど、あったら嬉しい、いざという時に助かるという立ち位置は、サービス名の通り「ゆいまーる」なのだと自負している。

会社を作って今年で3年目。事業を発展させることはなかなか難しいと感じながらも、サービスを利用してくれる方々が居るということは、離島の生活を支える仕事がほんの少しでもできている、のかもしれない。

勉強を始める

私は石垣島に来て、3つほど勉強を始めた。

1つ目は放送大学。心理と教育学部に在籍し、卒業を目指し11単位まで取った。卒業を目指してはいるが道のりは果てしない。124単位って途方もなくて笑ってしまう。大学生の皆さんは、本当に、すごい。

私は大学に行ったことがなかったので、まずは単位とは? という勉強から始めた。最初は単位と科目のあたりがごっちゃになってしまって、放送大学の事務局に何度も電話をかけ説明をお願いした(とても親切に教えてもらった)。

このところは寄り道(別の勉強)をしてしまっているので大学の勉強は全然進んでいない。が、私の中で大学の勉強というものは人生かけてやることだから、まぁいっか。と前向きに捉えることにしている。

2つ目は算命学。手に職をつけるため通信で勉強をして、占い師になった。しかし、自分の問題を棚上げしたまま他人のことばかりにかまけていたら、治しきれていない自分の心の傷が膿みだし、病んでしまった。

占い師を辞めしばらく休養していた私は、しかし、成長を諦めきれず、今度は3つ目の初級地域公共政策士の勉強を始めた。Zoomで1年間、大学の公開講座を利用し、講義を受け、レポートを書き、令和4年度末に資格を取得した。

初級地域公共政策士はまだ知名度が低い資格だ。それに、資格を取ってすぐに収入に反映されるものでもない(その資格取ったら稼げるの? と何回か聞かれた)し、どんな資格なのか少し説明が難しい。でも、これからの時代に必要不可欠な、新しい仕事だと思う。

言うなれば、地域課題を解決するために共創をサポートする仕事。行政だけとか企業だけ、あるいは市民だけなど、単独で地域の問題を解決するには限界がきているし、さらに、市民にとって不必要なものを税金で作る等の問題も起きてしまう。だからこそ、行政、企業、団体、市民は繋がり、共に課題を解決することが大切。

その橋渡し役になるのが地域公共政策士。この資格の一番の肝はサポートをする役目であるということ。意見や想いのある人達や団体を繋げ、話し合いの場や、連携の仕組みを作る仕事なのだ。

資格取得のため参加していた琉球大学の講義がとても楽しかった。参加者は学生と社会人、時には高校生が参加する授業もあったり。参加者の多様性は他大学から見ても珍しいらしい。まさにチャンプルー。

他県からの参加者もいたり、私と同じような離島からの参加者と離島あるあるで盛り上がったり。1年で視野が広がり、視座も高くなり、新しい友達が増え、いいことずくめの勉強だった。

私が石垣島に来て手に入れたもの

①お仕事

初級地域公共政策士はすぐに収入につながるわけではない、と書いたが、私は公共政策士の繋がりからお仕事を紹介してもらい、現在は自宅から、沖縄本島に支社のあるIT会社の仕事にリモートで参加させてもらっている。

新しい資格の勉強というものはつまり「このところ世に必要とされている知識を学ぶこと」だと思う。日々、世界は新しく生まれ変わり続けているのだから、ついていくための勉強は不可欠だし、勉強した分結果として仕事に繋がるものだと感じる。

あとは、コロナ禍で始めたミシンが上達し、少しだけど、縫製のお仕事もしている。

3人で立ち上げた会社とサービスは、本当にゆっくりだし課題もあるけれど、でも着実に、地域に根付きつつあると思う。

占い師は、紹介のみ、時々している。私はすぐ相手に金額以上の気持ちを際限なく使ってしまうので、縁がある、私の占いを心から必要としてくれている人のためだけに、占いをすることに決めている。

でも、以前の私はひとまずサービス業で働きながらひとまず宅建の勉強をしていた。

宅建の勉強は父からの要望だったが、3回不合格になったあとで勉強を辞めた。そこから、自分が興味のある勉強をするように少しずつシフトしていき「ひとまず」を一個ずつ手放した。

バランスや自己管理にはまだ課題があるけれど、今はとても満たされた気持ちで日々、お仕事をさせてもらっている。

②本当の友達

ルームシェアは今年の6月に解消した。この6年は本当に大変だった。

詳しくは依存の国に書いたけれど、私はずっと依存傾向があった。自活能力を高める代わりに人の家に転がり込み、相手の精神安定剤のような存在になる。私を家に置く人も依存傾向があるから、私は生活的に、相手は精神的に共依存となっていくのだ。

長年の付き合いのある友達は、私が石垣島でルームシェアをしていること、そして出来事を聞いて「早くその生活をやめた方がいい」「自分を大事にして」と忠告してくれた。けれど、逆に「あなたのことがとても心配だから、同じ生活を続ける方がいい」と言う人もいた。

最初、私は元の家を出ることに抵抗があった。自分が1人で生きていけると信じることができていなかったから。だからこそ、依存関係から抜け出すのに何年もかかってしまった。その代わりに、私を本当に大切に思ってくれる友達と、そうでない友達がハッキリと分かったのだった。

一見とても親切でも、私の成長を喜ばない人はいる。私に、弱いままで、バカなままでいて欲しいのだ。そんな人は案外普通に存在している。性別も年齢も関係なく、いる。

昔から友達運はあると思っていたけれど、本当に私は幸せ者だと思う。これからは、私を大切に想ってくれる人だけに気持ちを集中させ、大事にしていきたい。

③幸せ

ずっと人に生活面で依存してきた私は、この夏は人生初ともいえる冒険(ガチの一人暮らしを始める)をしていた。本来なら、多くの人は18歳や23歳でやるようなことを、私は40歳で初めてやったのだった(もちろん何歳でやってもかまわない)。

冒険では色んなことが起こる。倒れたり、腰をおかしくしたり。明日の朝、自分が目覚めるのかどうか分からないまま疲れ果てて眠りに落ちる日々だった。

けれど、自分の選択の上に降る苦労なんて辛かったとしても苦労じゃなかった。大変だけど、別にいい。頑張るだけだもの。ただの過程だし、その過程を経験するために、この道を選択したとも言えるのだから。

まだまだ努力も勉強も失敗も続くはず。それこそ、死ぬまで私はもがき続けるはず。

けれど、せっかく人生で唯一住みたいと感じた大好きな場所に住めているんだから、なるべく死なないようには気をつけたいとは思う。それに、自分で選択したことなら、全部受け入れられる。そういう意味だけで言うなら、私はいつ死んでもいい。

そのくらい、今の私は幸せってこと。

さいごに

石垣島に行くと決めた時、まわりの人は「そんな遠くに行ってどうするの?」「地元で楽に楽しく暮せばいいじゃん(私にとって地元で暮らすことは楽でも楽しくもないのに)」などと言っていた。 

さらに「行ったら今より苦労する」とも言われた。まぁ、行ったら今より苦労する、は、当たっていたね。自分の心が弱かったせいで、とんでもない苦労を自分にさせてしまった。

もう今は違う。自分で自由を選ぶと決めたら、次々に道が開けた。仕事も家も決めずに石垣島に来た時と、ここ3ヶ月の自分が重なる。怖いけど、本当に欲しいものは手を伸ばし行動し続けないと手に入らない。

生活はまだ完全じゃないけれど、あと数年くらい頑張る。今まで自分を苦しめちゃった分、私の本当の願い「自由に生きる」を叶えてあげないとだから。

あの時の私に伝えたい。

「あなたなら大丈夫。石垣島に来てからもしばらくは苦労するだろうけれど、心から楽しいって思える仕事と、本当の友達を手に入れて、毎日、幸せに生きてるからね。そしてなんと、好きな人もできるんだよ! 今は失恋したばっかりでちょー辛くて希望も何も無いかもしれないけど、その人のことは思い出さなくなるから心配しないで。あなたが選んだ道は間違ってない。くじけそうになっても、諦めないでいて」

#あの選択をしたから

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