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ショートショートなど書いてみる

最近、のぶの読書熱が凄い。1週間で何冊読んでいるんだぃ?的なペースだ。
私も読書好きである。しかし、今は時間がなくてほとんど読書はしていない。といいながらも動画などは見ている。読書熱が落ち着いているのかもしれない。
ってことで、ショートショートなど書いてみる(どうしてそうなる?w

「不確かな中の確実なこと」

冬が終わりを告げ、やんわりと暖かくなってきた頃、一斉に桜が咲き「春が来ましたよ」と教えてくれる。
誇らしげに咲く桜並木などは、「何か新しいこと始めましょう」的な何かを告げているのではないか…などと思ってしまう、4月である。
桜は咲くだけでなく、散り際には桜吹雪などという小粋な演出もしてくれる。その後、役目は終わりました、とばかりに葉桜になって行く。
次の年に向け日の光を葉いっぱい浴び、光合成して次の年に備える。

日本人は桜が好きだ。
花を見上げて春の訪れを感じる。
花吹雪となり舞い踊る花びらを見て、春の終わりを感じる。
葉桜となり初夏を感じる。
毎年、繰り返されていく営みだが、きっと毎年違っているのだ。
冬の終わり方にもよるし、初春の気温にもよるだろう。
観察でもしない限りわからない変化だろうがきっと何かしら変化はしている。
そしてそれは自分にも言えることである。
ある年齢を過ぎると一大決心でもしない限り、人生にそう大きな変化もない。
去年と同じ今年、前月と同じ今月、昨日と同じ今日…
大雑把に見ると同じことをしてるなぁ…などと思ってしまう。
明らかに目に見えて変化はない。いや、多少の大小はあるが…
それは安定しているということなのだろうか。
それとも変化のない平凡な日々ということなのだろうか。
その時々によって前向きにも思え、後ろ向きにも思える。
時には当たり前の日々に感謝などし、
時には当たり前の日々を嘆きもし、
何か非日常を予定に盛り込み、小さな変化などつけてみる。
そんなことを繰り返して不確かな日々は過ぎていくような気もする。

だが、確かに、確実なことが「ひとつ」ある。
それは、昨日よりも今日のほうが、死へとの距離は近づいている。
ということだ。
忘れがちだけれど、死へのカウントダウンは確実に「ひとつ」減っているのだ。

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