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つかこうへい 熱海殺人事件


『…午後5時頃、熱海市の海岸で「女性が倒れている」と付近を通りがかった消防団員から119番通報があった。倒れていたのは製糸工場勤務の山口アイ子さん(19)で、市内の病院に運ばれたが間もなく死亡が確認された。山口さんの首には紐のようなモノで絞められた痕があり、県警捜査一課と熱海署は殺人事件として捜査。山口さんとの間でトラブルがあったとみられる自動車修理工(19)から事情を訊いている…』

死ぬべくしてその役割を全うすべき被害者はいるのか 犯人が被害者を殺害する必然は存在するのか

これは戦後演劇史上もっとも有名な殺人事件

部長
今回熱海署から不肖木村伝兵衛めをば特に名指しの依頼でありましたこの殺人事件は、工員・女工・熱海・腰紐と、他愛も無い類型として葬り去るものとすれば、何ら吝かなしとすることは御座いません。がしかし、今日的に三面記事にも為り得ない状況を担っているからこそ、翻って私はこの事件を、日本犯罪史上特筆すべきモノと明察しその行間に垣間見せている切実な市民構造を、我々は毅然たる志をして見据えるべきではないかと、斯様に考える次第で御座います。
はからずも戦後二十八年の社会状況の歪みをぬって現出した憂うべき必然とはいえ民族の衷心からの声なき叫びに、私は偲びようもない哀嘆をもって耳を傾けざるを得ません。ムルソーの一発の銃声がその硝煙によってでしか、あまりにも眩しすぎる太陽と訣別でき得ない現代人の苦悩を指し示しているものであるとすれば、それを嘲笑するかの如く、今回の熱海殺人事件は、死ぬべくしてその役割を全うすべき山口アイ子は何処にも在らず、大山金太郎を犯人と仕組む如何なる構造をも、日常に還元する事を許さないのであります。巷に喧伝されております犯人が被害者を殺める必然はこの場合、全くうかがい知ることはないのであります。私は今回の出来事を殺人と名づけることさえ躊躇し、事件として囲い込む傲慢さに赤面さえせざるを得ません。
あまりにも太陽が眩しすぎるという言葉の潔さの為、我々はムルソーを寛容するのであり、周知の如く誰もがこの必然を信じていず、寧ろそう思い廻らすことでしか自らを律し得ない状況を、見事に顕在化させた為ではございましょうが、熱海殺人事件はその欺瞞性を切実な小市民的性格を逆手に取り熾烈に告発しているのであります。

警視総監殿、日本は今大きく病んでおります。この街々の喧騒は一体何でありましょう。この悲劇の如何ともし難い健康すぎる生き延びようは、一体何でありましょう。姑息な市民の生き延びように、不必要な要素を取り去る為に、法律を作動させ犯人を仕立て上げる私は自らの責務を憂えております。
時代は薄く夕暮れをひいて、闇の絶えた街頭に、偲ぶ術なく佇んでおります。明日を味わうようにして祈っております。
はっ、私ですか、ご安心あれ総監殿。私はいま煙草に火をつけようとしたところであります。つまり‥‥‥

atelier SENTIO(2009年6月)

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