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【エッセイ】わたしはネコを信じない

SNS時代だからというわけではない、太古の昔から猫と人は結びつき、暮らしていた。

わたしも生まれたときから祖父母の家には猫がいて当然のようにネコと暮らしてきた。
だが最近になってある疑問が浮かぶ。「ネコは本当に実在するのか?」と。

考えてもみてほしい。あのふわふわの毛、くりくりとした瞳、キュッとしてかわいい口元、ぴょこっと主張するように立つお耳。全ての造形が、人にとって”かわいい”という印象を与える完全性があるではないか。
ネコは人が造ったものではない、自然が作り出した生命だ。そして自然に完全性は存在し得ない。つまりこう解釈できる。
ネコは人類が生みだした共通の妄想なのだと。

恐らく、人がネコを認識していないとき、ネコは実在しない。だが人が認識するようになってはじめて存在するのだ。
そしてそこにネコがいるという妄想が発生すると、全人類にその妄想が内在化される。そのため、ネコの写真や動画でインターネット上でアップロードしても一寸狂わずネコの存在が認知されるのだ。

このエッセイを受けて「じゃあネコは実在しないのか。そこに意思はないのか」とショックを受ける人がいるかもしれない。答えはNOである。
「ネコ」とはすなわち人類のコントロールのできないものの総称であり象徴である。
たとえ発生源が妄想だとしてもそこに実在性がある限り混沌たる生命は存在する。
そもそも、このエッセイはただの一つの真実の提案である。決して事実だとは限らない。
あるいは、ネコが人間の妄想なのではなく、人間がネコの妄想なのかもしれない。
SNS時代だからこそ我々はネコと人の実在性を問うべきなのだ。
アメリカではトランプによって分断がはじまっている。それは妄想の分断であり内在化の危機である。
結局のところ、わたしは真実の提案しかできない。あとは一人一人が自分で考えるしかない。
しかし、我々はネコが好きであり、ネコもまた我々が好きなのだという事実は変わらない。
これからも愛猫を存分に愛でるべきである。
それが我々の使命なのだ。

それでは、エンディングのお時間デス
またどこかでお会いしましょう^^

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