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ホワイトスネイクの曲がり角「Here I Go Again」(バーニー・マースデンへの想い)

「Here I Go Again」は、ホワイトスネイクにとって大きなターニングポイントとなった曲だ。この曲がリリースされたのは1982年。それまでの彼らはディープ・パープルの喧騒と、ジョン・メイオールが築いたブリティッシュ・ブルーズの潮流に乗り、それをモダンなかたちで体現するようなバンドだった。安定感のあるバンドが奏でる気品あるサウンドとデヴィッド・カヴァーデイルの歌声の色香、その組み合わせは彼らの大きな魅力となり、いわゆるブリティッシュ・ロックの新たな醍醐味を聴かせていた。

 それまでの最大のヒット曲「Fool For Your Loving」はバンドの魅力を端的にあらわす曲だ。表面的にはシンプルでわかりやすく、ハード・ロック・バンドにしてはあまりにポップで軽いものだが、それはブルーズと英国風メロディの絶妙なブレンドだった。ポスト・パンク/ニュー・ウェイヴが主流の時代、ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタルなんてカテゴリーも生み出されるような、そんな新奇なものが取り上げられる時代に、彼らは万人受けするようなポップ・ロックをチャートに送り込んだのだ。親しみやすいブリティッシュ・ロックをスマートに、けっして軽薄になることなく老獪に産み落とすことができたのは、音楽職人集団ホワイトスネイクのストロングポイントだった。

 自分が「Here I Go Again」を初めて聴いたのは、それが収録されていたアルバム『Saints And Sinners』だったはずだが、いまとなってはこの曲を聴いた記憶がまるでない。アルバムそのものが期待していたほどいい作品と思えなかったこともあって、この曲にも強い印象を受けなかったのだろう。(いまあらためて聴いてみるとジョン・ロードの素晴らしいイントロからグッと引き込まれてしまうのだけれど)

 この曲を初めて素晴らしいと感じたのは83年2月の武道館公演での演奏を観たとき。コージー・パウエル、コリン・ホッジキンソン、メル・ギャレーといった新メンバーを迎えた体制だったこともあって、このときの演奏は瑞々しかったが、そのなかでもこの曲はとても洗練されていて、他の曲にはない鮮やかな輝きを放っていた。アルバムでは聴き飛ばしていた曲なのに、ライヴで受けたその鮮烈な衝撃はあまりに強く、それはいまだに記憶に焼きついている。

 それから数年後。ラジオを聴いていると、メンバーを一新したホワイトスネイクが「Here I Go Again」をリメイクしたという。瞬時に思った。なぜ何年も経ったいま、あの曲をあらためてレコーディングするのだろう? 新しいメンバーだったら新しい曲をやるべきで、わざわざ過去の曲をやることに意味などあるのか……。ラジオから新しいヴァージョンの「Here I Go Again」が流れてくると、驚いたとともにとてもがっかりした。勿体ぶったイントロ、出しゃばったギター、ゴテゴテしたアレンジ、ポーズばかりのヴォーカル……。サウンド・エフェクトにまみれたぐしゃぐしゃした音がとにかくやかましく、耳障りだった。武道館で聴いたあの端正な曲がこれほどまでに捻じ曲げられてしまうのかと愕然とした。カヴァーデイルの独善やら、マネージメントの意向やら、ヘアメタルなどの流行にともなう音作りの戦略やら、アメリカのマーケットに向けた思惑が幾層にも重なり合ってこの音源ができ上がったのだろう。が、それにしてもリメイクされたこの曲がそれらの思惑を一手に引き受けることもないだろうに……。

 再録ヴァージョンを何度か聴いていると、その仰々しいアレンジも許容できるようになったし、過剰にドラマチックな展開もそれはそれで盛り上がれるようになった。が、なにか絶対的に大事なものが欠けているように思えて仕方ない。曲を聴くことにどれほど慣れたとしても、不足しているものが気になってしまい、どうにも物足りないのである。そしてさらに追い討ちをかけるのがこのMVだ。ここでのカヴァーデイルはポーズだけでなんの気持ちも入っておらず、妻といちゃついているシーンも自己中心的。映像自体も当時の流行を追っているだけで、そのフォーマットに収まることのみを目的にしているような代物だ。新旧の白蛇ファンは、このヴァージョンの違いを、そしてこのMVをどんなふうにとらえているのだろう。オリジナル・ヴァージョンから聴いているファン。再録ヴァージョンから入ったファン。双方にとってのこの曲の位置付けとはどんなものだろうか?

 最初の「Here I Go Again」がリリースされた82年ころからバンドはカヴァーデイルによって統制されるようになり、彼以外のメンバーは一掃されていった。以降、メンバーは流動的になり、バンドはまるでカヴァーデイルのソロ・プロジェクトのようになっていった。が、結果的にその路線変更は功を奏する。レコード・セールスは向上し、アメリカの大きなマーケットもとらえることができたのだ。ライヴ活動も好調で、このときカヴァーデイルは望んでいた成功を手にしたといえる。

 けれども、ホワイトスネイク=カヴァーデイルとなったことに僕自身はなにかもやもやとした感情をもつようになった。共同体の一員として役割りをまっとうしていたカヴァーデイルと、スーパースターとして君臨しバンドを牽引するカヴァーデイル。まるで異なる「Here I Go Again」の二つのヴァージョンからはカヴァーデイルの極端な二つのペルソナが映し出されている。自分の感情はそのペルソナの間で揺り動かされ、振り回され、惑わされる。

 バンドの路線変更を象徴する「Here I Go Again」を作ったのはカヴァーデイルと、当時バンドのギタリストだったバーニー・マースデンだ。マースデンはホワイトスネイクのメイン・コンポーザーの一人で、前述の「Fool For Your Loving」も共作者としてクレジットされている。2曲はホワイトスネイクで最もポピュラーなものだが、それらをともに作ったマースデンがバンドを去ってしまったあたりからバンドはそれまでのフォームを失っていった。ブルーズをベースにした、現代的で親しみやすいロックがマースデンの曲の真骨頂だが、それがカヴァーデイルのようなエモーショナルなヴォーカルでうたわれるとき、その豊かな音楽は華々しく開花する。マースデンの音楽はけっして派手なものではないが、カヴァーデイルという触媒を介したときの爆発力にはすさまじいものがあるのだ。そこにはブリティッシュ・ロックの魅惑的な要素がたくさん詰まっている。言うなればマースデンはブルーズを経由したブリティッシュ・ロックの職人気質のミュージシャンであった。そしてカヴァーデイルはその職人の技を知らしめながら自らも輝くショウマンだった。二人は共鳴する関係だったのだ。

 ただし、カヴァーデイルとマースデンの方向性はまったく違っていた。音楽第一主義、商業的成功よりも仲間との演奏を楽しみながら地道に活動することを第一に考えていたであろうマースデン。その一方でカヴァーデイルはアメリカでの商業的な成功を望み、そのためにそれまでの音楽作り、さらにはバンドの在り方さえも大胆に変革していった。共作した「Here I Go Again」がギラギラした派手なギター・サウンドに仕立てられたのを聞いたマースデンはどんな感情をもっただろうか。そしてそんなアレンジの曲を引っ提げてスターダムを爆走するカヴァーデイルの姿をどう見つめていたのだろう。

 マースデンはカヴァーデイルと袂を分かつと、そのマイペースなソロ活動のなかでホワイトスネイクの曲も頻繁に演奏した。ホワイトスネイク時代の盟友ミッキー・ムーディとのコンビは彼のライフワークのように続き、二人で作ったザ・スネイクスなるバンドでは活動途中からドン・エイリーも加え、ホワイトスネイクの曲だけで占められたライヴ・アルバムも出している。さらにムーディ、エイリーに加え、ニール・マーレイも参加したザ・カンパニー・オブ・スネイクスなるバンドでもホワイトスネイク曲を演奏している。そして、このバンドでは一時的ながらイアン・ペイス、ジョン・ロードも参加していて、カヴァーデイル抜きのホワイトスネイクが完成していたりする。その後もムーディ、マーレイと、これまたホワイトスネイク曲を演奏するバンド、M3を結成するなど、マースデンはホワイトスネイクを自身のバンドとしてとらえているのかと思えるほど、たくさんの"白蛇プロジェクト"を動かしていた。(余談ながらマースデン抜き、ムーディとマーレイがホワイトスネイクを演奏するスネイクチャーマーというバンドも始動している) 
 ただマースデンはホワイトスネイクに固執していたわけではない。ソロ名義のアルバムではブルーズ・ロックを奔放にやっているし、ムーディと組んだバンド、ムーディ・マースデン・バンドでは、ブルーズはもちろん、自身がホワイトスネイクを脱退しないでいた場合に作ったであろう曲を聴かせている。


「Here I Go Again」はいまやホワイトスネイクのライヴでは定番中の定番曲となっているし、マースデンのライヴでも同じように頻繁に演奏されてきた。
 マースデンが亡くなったいま、両者の関係のなかで微妙な経緯をもつこの曲を聴くとさまざまな思いが去来する。僕のなかでは、ホワイトスネイクはカヴァーデイルとマースデンがいてこそ成り立つという思いがある。マースデンから離れたカヴァーデイルは虚飾にほだされ、ゴージャスなサウンドにのぼせ、ショウ・ビジネスに溺れてしまった。ホワイトスネイクにはマースデンやロードの思慮深さ、ペイスやマーレイのひたむきさが必要だったが、そのなかでもマースデンはカヴァーデイルにとって特別な人物だった。カヴァーデイルはマースデンと離れるべきではなかったのだ。

 バーニー・マースデンというミュージシャンを思うとき、彼はまだまだホワイトスネイクに自身の音楽を投影したかったのかなあなどと想像してしまう。アメリカ進出を目論んだカヴァーデイルは、その計画に乗り出すタイミングで「Here I Go Again」の権利を買い取った。その後、再録した曲はアメリカで大ヒット。金も名誉も手にしたカヴァーデイルはライヴのたびにこのヒット曲をうたい、大観衆から拍手喝采をあびる。その陰で、マースデンは権利を失ったこの曲を、小さなクラブに集まった少人数の観客に向けて真摯にうたっていた。


 ホワイトスネイクを離れて40年。マースデンの音楽人生は思い通りではなかっただろうが、ホワイトスネイクを語るとき、マースデンは限りない称賛をあびるべき存在だ。


 そういえば、自分が最初にこの曲に感動した武道館公演、そのステージにマースデンはいなかった。このときにはすでにメンバーの半分が入れ替わり、バンドの変革は進められていた。が、ただこのときの「Here I Go Again」のアレンジはオリジナル・ヴァージョンのままで、バンドのスタイルはまだ保たれていた。いまにして思えば、このとき自分が聴いたのは、マースデンの残り香ただよう、最後の「Here I Go Again」だったのかもしれない。

バーニー、いままでありがとう。


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