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なぜ、ド田舎の鍛冶屋が知らない間に「世界のMichio Ishikawa」になったのか?

中新田打刃物は超マイナーな伝統的工芸品であると言って間違いありません。宮城県知事認定伝統的工芸品とは言うものの宮城県域全体はおろか地元加美町でさえ知らない人も多いです。村井知事がクチにしたのを聞いたことがある人など存在しないでしょう。

正直なところ、加美町で働いている私でさえ石川さんと出会う前までは、そんな工芸品が加美町にあることさえ知りませんでした。(ちなみに私の両親も聞いたことがある程度の認識)

私としてはなにか地元の商品を売りたいと思って知人のつてを頼って紹介してもらうことになったのですが、当時2015年頃、インターネットで中新田打刃物と検索しても、せいぜい表示されたのは県庁とか役場のウェブサイトに申し訳程度で紹介されているくらいでした。

あとは個人のホームページとかツイッターでいくつかちらほらあるくらい。購入場所といえば、石川さんの工場か物産センター?くらいしかありませんでした。

これでは地元民も知らなくてとうぜんです。どんなに良いものを作っても宣伝して売っているモノが消費者の目につかなければ知る機会さえありません。

でも、昔はそれで良かったんです。黙っていても売れた時代があったのです。コンバインやら稲刈りバインダー(分かるかなぁ。稲を切ってまとめるだけの機械)が主流になる前までは。現代っこには想像できないでしょうけど、むかしはそれはそれはものすごい数の稲刈り鎌、草刈り鎌の受注が農協や金物屋からあったのです。

来る日も来る日も鍛造、鍛造で全身に汗びっしょりかきながら真夏でも灼熱の炉を前にしてひたすら鉄と鋼をくっつける日々。遊ぶ金には事欠かなかったそうです。しかし、そんな時代もとうぜん長く続きません。石川さんのお父さんもそれを予想していたので、息子に包丁作りをやらせていたそうです。

それから年月が流れ稲刈り鎌などホームセンターに置いたところで月に1本しか売れない時代になり、2人でチャレンジしたのがユーチューブにデビューするでした。

当時、まだ私と石川さんの付き合いも浅くお互いがまだぎこちない関係だったころに1ヶ月付きっきりで制作過程を動画にしたんですから、そりゃ疲れもしましたし、石川さんも慣れない動画撮影で文句の1つもあったと思います。

もともと石川さんは珍奇な人で半径100メートルの生活しかしない人でした。むかしは、多少は外出していたようですが、今でも外出するといってもせいぜい近くの歯医者とか目医者に行くくらいで外食することもほとんどないし、休日にどこかへ出かけることもほとんどない人でした。

なので、コロナ渦になっても石川さんの生活は以前とまったく変わらず何も不便がありませんでした。毎日の晩酌とタバコさえあればそれだけで十分なのです。

飽き性の私からすれば「よく飽きないもんだ」と思ったもんです。

そんな石川さんの包丁の制作風景をとったのが2015年ころです。このとき、正直なところ私は海外向けにこの動画を作ったのですが、海外に販売するということをよくわかっていませんでした。

なにしろ初めて商品を卸販売して欲しいと言われたイスラエル人との簡単なメールのやり取りでさえよく分からず近くの英語の分かる人に菓子折りを持って翻訳を頼みにいっていたくらいですから。

ユーチューブも見る側ではなく、作る側ということになるとよくわかっておらず、動画をアップロードした後も果たしてそれでいいのかよく分かってませんでした。

一方で、動画は1日で爆発的にヒットしてなにがなんだかよくわからないままに急上昇ランキングに入ってしまいました。これを境にして商品登録したもののほとんど売れていなかったアマゾンからの注文が多数来るようになります。

中には何度も注文してくれるお客さんもいました。それはそれは大変ありがたいと思っていました。ところが、ところがです。動画の大ヒットで気分をよくした私は頻繁にエゴサーチをしていました。なにせはじめて本格的に作った動画なのでどのように言われているのか知りたかったのです。

そしたら、なぜか1度も販売したことも発送もしたこともない中国のサイトで販売されていたり、まだ当時は売れてなかったアメリカの掲示板でレビューが書かれているのです。

なぜ???


そう。なぜか理由が最初は分かりませんでした。しかし、いや待てよと。そもそも包丁なんて個人で同じものを何本を買うにしてはちょっとおかしいし、贈答用にするにしたって多すぎる。これはもしやと思ったわけです。

そうなんです。転売ヤーがいたんです。それも海外への転売ヤーです。

どうもおかしいと思ったんですよね。まだまだ海外へろくに発信もしないうちに中国で売られていたり、動画が複製されて中国の動画サイトにアップロードされていたり、まったく出荷していない出刃包丁がアメリカの掲示板で批評されていたりしたわけですから。

調べてみるとeBayという海外オークションサイト、あるいは個人のウェブショップで転売されていたようです。私は当時、まったく知らなくて後で知ったのですが日本の包丁は海外で非常に人気があり、転売でも人気商品の1つだったそうです。

こうして知らない間に知らない人が世界へ向けて中新田打刃物を販売し、いつのまにやら世界のIshikawa Michioとなったわけです。

インターネットはよくデジタル・タトゥーと言われますが、転売ヤーたちのお陰でいろいろなところにMichio Ishikawaの名前が残り、現在に至ります。もちろん、ありがたくないWebページも多数ありましたが、それでも世界的にまったく無名の中新田打刃物が今ではインスタで2000以上のフォローをもらうようになったのですから、ありがたいことです。

最近は「昔、中新田に住んでいたので」と言って買ってくれるお客さんも多いです。

インターネットというのはこういうのが面白いところだと思います。マイナーな場所、マイナーなモノでも少なからず何かしらの思い出を誰かが持っています。遠く離れていても検索すれば一瞬にしてその情景をWebサイトや動画を通して思い出したり、思いを馳せることができます。

田舎だと「動画なんかやっても人なんかこね」っていう人あきらめ気分の方が多いですけど、長く商売やってりゃそれだけ歴史があると思いますから、それだけ思い返す人も多いということです。特に食べ物なんかは「あの食堂まだやってんのかなぁ」と私はよく検索します。そして検索して「またいきたいなぁ」と思う側の人間です。

だから、私は田舎の人たちこそなかなか田舎に戻れなくなった人たちのために動画をどんどんアップロードしていってほしいと思っています。「世界の◯◯」にはなれなくても、誰かのオンリーワンには違いないでしょうからね。そうすることで知らない間に誰かに拡散されて「みんなで今度いってみっぺ」という小旅行の機会も訪れるかもしれません。

今日は週末ですね。みなさん良い週末を!

書き手:遠藤



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