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飛行機の本#14爆撃機(レン・デイトン)

「爆撃機」は600ページ近い大作だ。それもわずか1日のできごとを丹念に書き込んだ物語なのだ。しかし、読み始めたら一気に読み切ってしまった。ただし膨大な時間はかかった。

第二次世界大戦、イギリス側の複数の登場人物とドイツ側の複数の登場人物のそれぞれのその日の出来事が同時進行で動いていく群像ドラマである。実際は数時間のできごとだが、50人くらいの人間のそれぞれの人生の細かいディテールが書き込まれる。そして、突然死が訪れる。偶然、生き延びる者もいる。その唐突さに読んでいて驚かされる。

それぞれの抱えている悩みや思いが日常生活とともに、当時のそれぞれの国の市民生活とともに丹念に描かれている。イギリス人の間にある根深い階級差別やドイツ人の中にもナチスを毛嫌いする元労働党員や何事にも醒めた見方をするドイツ貴族など、同じ国民でもアイデンティティがさまざまであることもわかる。多くの登場人物の個々のドラマが爆撃機の動きに合わせて進行していき、緊張が高まっていく。まるで映画を見ているような錯覚を起こす。

ドイツ側の物語では主役級のレーヴェンヘルツ中尉は貴族階級の出身のパイロット。戦時中での日常生活の一端が次のように書かれている。「レーヴェンヘルツは何事にも几帳面な男だった。ひさしのついた軍帽をクロークのカウンターに置くと、とくに彼用にとりわけてあった《ベルリーナ・ベルゼンーツァイトゥング》を受け取った。彼はまず株式欄を開いてダイムラー・ベンツとツァイス・イコンとそれにジーメンスの株の終わり値を調べた。」・・・ベルゼンーツァイトゥングというのは新聞。戦時中のそれもドイツ本国が爆撃を受ける毎日であるのに余裕のある日常生活を崩さない。貴族階級の尊大な態度がちらりとみえる。ちゃんと株式市場がうごいていたことも驚きだ。

人間ドラマの読み物としても、読み出したら止められない面白さをもっている。さりげない描写で人物の心理を表現していく。出身階級や軍の階級、年齢や経験がそれぞれの背景としてからみあっている。ストレートに人物像に投影されているのではなく、それぞれが変数として会話の背景で動いているのだ。たとえば、ドイツの夜間戦闘機パイロット達の食堂での会話。「ほう、おれが何をいったってんだ?」コッケはレーヴェンヘルツがテーブルの上に置いた《ベルゼンーツァイトゥング》に手を伸ばすと、ばしっと音をたてて雀蜂を叩き落とした。・・・・・・(コッケはプロのピアニストの夢をたたれてパイロットになった少尉。苛立たせている相手は元レーシングドライバーのベール少尉。そして、レーヴェンヘルツ中尉がそこにいる。このあとも会話が続くが、中尉は二人の諍いに深く介入しない。「では、またあとで」レーヴェンヘルツは自分の新聞のほうをちらと見た。さっきの雀蜂の脚や羽根が見出しの上一面に飛び散って醜い褐色の瘢痕になっていた。結局彼は新聞をそのままに残していくことにした。」・・・「ちぇっ、だべりんぐか。上官面しやがって」ベールがぼやいた。

3人の出身地や出身階級が違うことでささやかな棘が言動に現れる。階級差別的な場面は当然イギリス側にもっと多く見られる。

イギリス側の主人公的なパイロットのランバートは、経験豊かで人間的な魅力のある人物なのだがパブリックスクールを出ていない階級。ロンドンの労働者階級の話し方で出自がわかる。だから機長ではあるが軍曹。若くてもパブリックスクールを出ているスイート大尉は22歳で機長、そして小隊長。鼻につくような貴族階級の話し方をする。そして、オーストラリア出身の32歳の志願兵のディグビーのアクセントを意地悪く真似るような性格だ。原文を読む力がないのでわからないのだが、出身階級によって会話の文体が違うという場面が何度もでてきて、レン・デイトンの会話へのこだわりがわかる。

一般住民の大量殺戮につながる無差別爆撃を平然と立案、実行する軍幹部と、作戦に疑問を持ちつつも命令に従って出撃する搭乗員の姿が印象的である。これがおそらくレン・デイトンが描きかったテーマ。イギリス、ドイツの一方に肩入れすることなく、客観的な視点で近代戦の悲惨さを淡々と描いていく。

主たる登場人物のその後の顛末も・・・いや、それ以上は書いてはいけない。

クラウス・コルドンの「ベルリン三部作」(1919年から1945年までを追ってその時代を描いた物語)と比較してしまう。こちらはたった1日の出来事を描いているのだけれど。

レン・デイトンは頂点に立つエスピオナージの書き手である。「トゥインクル・トゥインクル・リトル・スパイ」や「ベルリンの葬送」など映画にもなっている作品も多い。しかし、彼はこの「爆撃機」以外にもP-51を題材とした「グッバイ・ミッキーマウス」や軍用機を題材としたのフィクションなどもたくさん書いている。いずれも綿密な調査や膨大な資料をもとにしているので歴史的資料の価値も高い。また、作家になるまえはデザイナーであり、料理についての著作家でもあり。アマゾンで調べると料理の著作が出てきてびっくりした。今年91歳である。

アブロ「ランカスター」
イギリスの4発爆撃機。詳細は以下のnoteで
飛行機の本#9遠い夏の日(セイラ・パターソン)

https://note.com/ishimasa/n/n16979f809cbc?magazine_key=md6976e797df7

ユンカースJu88R
ドイツの双発夜間戦闘機。
もともとは双発爆撃機として開発された。詳細は以下のnoteで
飛行機の本#6ブラッカムの爆撃機(ロバート・ウェストール)

https://note.com/ishimasa/n/nea7fdcd91d62?magazine_key=md6976e797df7

そのほかにもいろいろ飛行機が出てくる。
ショート「スターリング」、スーパーマリン「スピットファイヤー」MkⅩⅠ<デ・ハビランド「モスキート」、ドルニエDo217、ハインケルHe219、ハインケルHe51、ハンドレページ「ハリファックス」、ビッカース「ウエリントン」、ブリストル「ボーファイター」、ブリストル「ブレニム」、 ブリュースター「バッファロー」、ベルP-39「エアラコブラ」、ホーカー「ハーツ」、ホーカー「ハリケーン」、ポールトンポール「デファイアント」、メッサーシュミットBf110、ラボーチキン「La5FN」、ラボーチキン「LaG3」など

『ベルリン1919』
『ベルリン1931』
『ベルリン1945』
クラウス・コルドン 作
酒寄信一 訳
理論社  2006

『爆撃機』
レン・デイトン 作
後藤安彦 訳
早川書房  1979年


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