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上越立ち止まりスポット34(春日山大手道)

 八月豪雨がいったん止んだ8月16日、春日山の大手道から本丸まで娘といっしょに歩いてみた。気温は24度、雨が続いたせいで過ごしやすい温度だ。コースは、春日旅館前の御前清水横の駐車場に車をおいて大手道に入る。

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 江戸時代に描かれた春日山城の古地図に大手道と記載されていた。城には正面玄関として大手門があり、そこに通じる道が大手道(おおてみち)という。つまり春日山城に登る表玄関ということである。ここから大手道を歩いて、三の丸、柿崎邸、二の丸と通って本丸までがコースである。

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実はこのマップはコースを歩いた後で茶屋の前にあった無料配布のパンフレット。歩いた後で手に入れたら、知らずに歩いたコースがそのまま大手道散策コースだった。時間は徒歩1時間とある。実際は写真を撮りながらゆっくり歩いたので1時間15分くらいかかった。

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これが歩き始めた時の大手道。この先の右手の森を登っていく。

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田んぼの稲穂が頭を下げ出している。収穫はもう少し先だ。

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ここから森の中の山道。

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趣きのある山道だ。しかも広い。さすが大手道。昔日、多くの人がこの道を歩いたのだろうか。

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 急な坂道の森を抜けるとひらけた場所に出る。一際めだつ土類がぽこんとある。標木がたっていて「番所跡」と書いてある。さらに今はだんだん畑になっている屋敷跡を歩いて登っていくと分岐点に出る。

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いくつかの道がここから分岐している。少し細くなるが本丸への道を選んで登っていく。連日の雨によって道がぬかるんでいた。歩きにくかったのはコースのこの部分だけ。

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三の丸につく。ここまでは比較的ゆるやかな登りであったが、ここから少し急になる。だいぶ登って来た感じ。

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急にひらけた場所に出た。柿崎屋敷跡である。たいへん広い敷地だったのだな。上杉軍団最強の柿崎氏の権勢がうかがえる。

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柿崎屋敷から米山方面が見える。本丸ほどではないが、なかなかの眺めだ。ここからは本丸まで急な登りが続く。

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ここは御成(おなり)街道。時の関白、近衛前嗣(さきつぐ)が通ったことから御成街道と呼ばれていると案内板に書かれている。さらに興味深い記述もある。

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近衛前嗣は謙信を頼って越後府中(直江津)で三年間過ごしたということだ。当時の府中は、京都に次ぐ大都市だったと書かれている。北前船で府中(直江津)と堺が結ばれていて、青麻(からむし)でつくられる越後上布が運ばれたという説明を違うところで読んだ記憶がある。府中と堺が当時の交通大動脈のターミナルだったということだ。

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ここまで来るといろいろな屋敷跡がある。本丸までももう少し。

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道もせまく急な登りだ。

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本丸の背後にある大井戸につく。

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ここに山城を作ることができたのは、一年中豊富な水を噴出した井戸が山頂にあるからだ。サイフォンの原理で水が湧き出たと書いてある。

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本丸まで登るとさわやかな風が吹いている。

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標高180mということだが、かなり見晴らしはよい。遠く、米山、弥彦まで見える。眼下の街は左側が昔の府中(直江津方面)。

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