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庄山由美さんと祖父の最後の挨拶

庄山由美さんが妊娠中。義理のおじいさまが危篤だという知らせがありました。旦那さんが駆けつけるなか、庄山さんは身重だったため会いに行くことができず・・・。
そんな時に起こった不思議な出来事を、庄山さんが語って下さいました。

※こちらの怪談話は有料での公開とさせて頂きます
--以下、庄山由美さんからの寄稿より--


「じいさんがもう危ないって連絡がきた。今すぐ、行ってこようと思う。」

 冬のある日、いつになく早く、夫が会社から帰ってきたと思ったら、そう言って帰郷の準備を始めました。慌ただしく準備をするそばで詳しい話を聞くと、つい先ほど、夫の兄から祖父が危篤と連絡があった、とのことでした。

 当時、私たちが住んでいたのは関東某所。祖父がいる病院までは、車で片道5時間半、距離にして500㎞ほど離れていました。夫にとって祖父は、大人になるまでずっと一緒に暮らし、時には一緒に農作業をしたり、山歩きをしたりする、とても大切な人でした。準備をする後ろ姿からも、とにかく早く向こうへたどり着きたい、祖父に会いたい気持ちがひしひしと伝わってきていました。

夫の祖父は、私から見れば義理の祖父にあたる方ですが、少し特別な方でもありました。夫と結婚報告に行った際にはとても喜び、高齢で体の自由がきかないにもかかわらず、私を精一杯歓迎してくださった方でした。また、結婚後は遠く離れた場所に住んでいましたが、「お前はうちの子」と言って、帰省するたびに本当に孫のように接してくださっていました。実の祖父2人を小さいころに亡くした私にとっては、義理の祖父という関係ではあるものの、本当の「おじいちゃん」そのものでした。

妊娠を伝えた時にも祖父はとても喜び、「男の子でも女の子でも、元気ならどっちでもいい。」と言いながら、ひ孫の誕生を心待ちにしていました。妊娠中に会った時、お腹を触ってみますか?と聞くと「自分が触って何かあったら嫌だからやめておく。」と言い、お互いにけらけらと笑っていたのを覚えています。

 危篤の知らせがあった時には、我が子の出産予定日まであと1ヶ月と少しという時期に差しかかっていました。当時、妊娠時特有の体のトラブルも多く抱えていたため、このタイミングで病院から離れた場所に行くことはできませんでした。そのため、夫は祖父の病院へ向かい、私は両親に迎えに来てもらって実家へ向かいました。おじいちゃんは大丈夫なのか、この先どうなるのかと不安を抱えながら実家に行き、夫からの連絡を待ちました。

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