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ISHIYA私観ジャパニーズ・ハードコア30年史外伝〜「失った右手が掴んだもの」マサミ伝 購入者特典 #2 BODIE

「#2 BODIE」

 「失った右手が掴んだもの」マサミ伝の第1章#10と、書籍「右手を失くしたカリスマ MASAMI伝」の#07に掲載されている「東京ハードコアパンクの礎」で、東京のハードコアパンク出現以前に活動していたBODIEについて触れている。
参考記事第1章#10 東京ハードコアパンクの礎

 マサミ自身が登場することはないが、東京のハードコア・パンクシーンを語る上でどうしても外せない事実であったために書いた話である。
 書籍発売後に様々な方からBODIESは「BODIE」とSをつけずに呼ぶ人が多く、本人たちもSをつけない「BODIE」で名乗っていたという話も多く聞かせてもらえた。
 そんなある日、アースダムに置かれているピルのシンバルケースを見るタイミングがあった。その黒い革のケースには、スプレーで大きく「BODIE」と書かれていた。
 そういえば、そのシンバルケースには見覚えがあった。いつも使っていたシンバルケースで、LIP CREAMのツアーのときやライブで何度も運んだことがあったものだ。
 その事実も思い出し、様々な方からの話を総合して、今回からは表記を統一して「BODIE」とさせてもらう。

 BODIEが出現した1970年代終わり頃から80年にかけてあたりの話には、非常に興味深い話がたくさんあった。
 今回書くものはAUTO-MODのジュネから詳しく聞けた話が大半であるが、その逸話はジュネという存在が日本のアンダーグラウンドシーンで非常に重要であり、マサミとの親密な関係を築いていたのも深く頷ける話であった。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!