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数はやはり正義なのか|タバコの動向昨今|それでもタバコは無くならない

最近、昭和時代の生活を振り返るとおもしろいなぁと思うこの頃です。

令和の現代と比較すると信じられない光景ですが、当時は当たり前のものでした。生活が良くなることで新しい方法に置き換わっていくことは進歩には必要なものですが、その代わりに無くなる習慣はさみしさも覚えたりします。

今日ご紹介するのは、喫煙の習慣です。煙草(タバコ)を吸うことは、現代はどんどん隅に追いやられているような気がしてます。し尿処理とは違うと思いますが、健康増進が今世紀のトレンドのようなのである意味仕方のない流れだと思いますが、「数の正義」の勢いに晒されているのかもしれません。

「数の正義」とは正義そのものではないかなと思います。いつの時代も大勢の考えが正しいという傾向にあるような気がします。

こちらもつい先日の記事ですが、キャッシュレス化も「数の正義」ではないでしょうか。

では、喫煙についても見てみたいと思います。


昨今は、喫煙者の喫煙の機会がどんどん無くなっていく

私は喫煙者ではありません。しかし、喫煙者であったころはあります。なので煙草を吸う方の気持ちは多少なりとも分かります。タバコは煙たいものです。私もよく父親に目の前で煙草を吸われたものです。しかし、一旦吸いはじめると中毒性があるので、また吸いたくなります。

今日のタバコの記事を書こうと思いっ立ったきっかけは、Yu Morioさんこと、もりおゆうさんの記事を拝見したからです。 もりおゆうさんのタバコの記事を読むにつけ、「タバコは人々の生活とともにあった」と当時を振り返り確信しました。

もりおゆうさんは、昭和時代のあれこれを解説されていて、忘れていた昭和時代を思い出させてくれます。昭和を生きてこられた方や、昭和に興味のある方はおすすめです。

次のデータを見てください。これはもりおゆうさんの記事の参照元でもある成人喫煙率の推移です。

引用:成人喫煙率(JT全国喫煙者率調査)

タバコは昭和40年代は大人男性の8割が吸っていたことが分かります。5人中4人が吸っている時代でした。5人に4人が吸っていた時代です。吸って無い方が肩身が狭いというか、「なんで吸わないの?」なんて言われた記憶があるほどでした。

机の上に灰皿は当たりまえ。どこも彼処も煙かった覚えがあります。それもそのはず、当時は、暇さえあればどこでもタバコを吸えた環境がありました。

ぼくは平成になってから大人になりましたが、当時でも大人男性の5~6割がタバコを吸っていたと思います。さすがに中学・高校では吸っていませんでした(吸ってる人はもちろんいました!)が、大学でタバコデビューしました。

当時は、徹夜マージャンも覚えました。みんなタバコを吸うから、ぼくも吸うようになってしまったわけです。

社会人になってストレスのはけ口の一つとして、もっと吸うようになりました。現在は、タバコからすっぱり手を洗い、もう完全に辞めております。

2000年過ぎから禁煙活動の強化

2000年以前は、禁煙の動きはあるものの、まだまだタバコは日常生活の中にありました。

1996年当時、高校生男子の喫煙率でも36%ありました(もちろん違法)。毎日喫煙は25%と恐ろしく多く。当時ビーバップハイスクールというスクールドラマが人気を博していて、学生喫煙が普通に映し出されていました。今思えば世相を正確に表していたんだなと思いました。

先ほどのグラフに赤線を1本引きました。それはちょうど平成12年(西暦2000年)の頃です。その期を境に喫煙率の減少の傾きが急になっているように見えます。

この時、21世紀における国民健康づくり運動(健康日本21)が発表され、その中にタバコも含まれており、健康増進法も策定され徹底的排除のながれが起きたのでした。

タバコが健康に悪いということがしっかり証明されたときなので、仕方がないことですね。

とはいえ、数の正義が全面に出ているようで、喫煙者が少し気の毒

これにより、喫煙者にとってはタバコを吸う機会がどんどん奪われていってしまっていると言っていいでしょう。まず、たばこの価格は増税により高騰し続けています。

そして喫煙場所も狭まっています。ぼくが見る喫煙者の動きは、
・机の上の灰皿 ➡ 
・灰皿に煙吸引機 ➡
・喫煙場所の設置 ➡
・喫煙場所の屋外化(今ここ)➡ 
・全面禁煙(近い未来)

のような感じになっているのではないでしょうか。場所によっては全面禁煙の場所も増えており、どんどんと隅に追いやられているような気がします。
気の毒と言えば気の毒ですね。

こりゃたまらんということで、たばこをやめる人も増えました。もう、正義はタバコを吸わない派により塗り替えられたと言って良いでしょう。これが時代の流れであり、タバコは大人のたしなみという考えは今は完全に消失していると思います。

勢い的には、タバコ自体そのものがなくなってしまうのか様相ですが、ぼくは完全にはなくならないと思ってます。電子タバコのようにニコチンやタールが極めて低いものもありますし、副流煙も以前と比べれば無毒に近いです。別のたしなみ方として残るような気がしてます。

似た話がクルマのEV(電気自動車)にもあるような気がしています。排気ガスを出す内燃機関(エンジン)のクルマは大気を汚染するだけだから、将来1台もなくなるという考えです。この動きで各自動車メーカーも一気にEVに舵を切ったなぁと思いました。

とはいえ、EVも難点が今頃現れて、ちょっと減速気味です。ぼくはエンジンのクルマは今のところ残りると思ってます。

ただタバコもクルマも数の正義が働き、同調する人が増えると世論は一気に動くなぁということを実感するところであります。

まとめ:常に両方を見つめて、自分の身の振り方を考えてみる

個人的にはタバコは吸わないスタンスです。吸わない方がお金も節約できますし、健康にも良いことは分かっていますからね。

だけどタバコを吸うことを必要以上に否定はしません。片方に振り切って考えるのは片方の意見しか見ていません。

タバコは将来にも無くならず、いづれ落としどころができると思っています。EV車も今よりももっと改善した電池が開発されれば、旧来のクルマと共存共栄していくのではないかと思ってます。

#3行日記 : コストコ2回目行ってきた

コストコへ、再び行ってきました。もう1台のタイヤ交換もしてきたのです。今度は割とスムーズに行ってきました。また記事にしたいと思いますね!

ところで、コストコって日本人くらいしか言わないってご存じでした。本場アメリカでは、「コスコ」が正しい発音のようです。

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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