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ファン・マヌエル・スアレス『殺しの街』

 ファン・マヌエル・スアレスは私と同じようにボカ地区に住んでいる。彼は測量技師で、生活態度も酒癖を除けば良い。ファンはワインを空にして上機嫌になるとその足で背広を買い、ラ・プラタ川に飛び込んだ。川から上がってくる時には、背広は消えている。
 ファンは旅行好きで、私の知り合いの中でアメリカ旅行を実行した数少ない一人だ。彼が旅行したのはニューヨーク州のブルックリン地区だった。『殺しの街』はブルックリン地区を歩いたファンの記録である。物語には登場人物と呼べるようなものは存在せず、会話すらない。しかし、僅か数歩の距離をここまで鮮明に刻み込んだ書物は他に存在するだろうか? マルセル・プルーストの寝返りしかり、延々と間延びする世界を測量することはできない。時間がゼノンの矢と同じく測ることができないことと同じように。
『殺しの街』には暴力が一切描かれていないものの、これから起こる暴力を予言する。私がこの原稿を書いている時、あなたがこれを読んでいる時、審判の喇叭が吹かれてこの世が崩れ去ったとしよう。世界は偶然によってはじまったのだから、偶然、しかも、突然に終わったとしても驚きはない。鉄骨、コンクリート、火鼠の皮と呼ばれた石綿、他人から見れば価値はおろか意味を見出すこともできない感傷をくすぐる、思い出と呼ばれる品々、瓦礫の山。羽を休めるためにやってきた天使が瓦礫に腰を下ろし『殺しの街』を読んだとすれば、たちまちにブルックリン地区の建物はもちろん、塵すらも完璧な形で再生させるだろう。

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