インターネットエスパー4段に俺も診断してもらいたい

https://note.com/meisounote/n/nbed9573f66a5

この記事とその引用元が面白かったので。

文章の書き方からその人の性格や思考パターン、雰囲気って確かに伝わってくる。個人的にはそれが味があって良いなとは思っている。

俺の場合、最近はCHAT GPTに要約させたものを読んだり、文章作るときもたたき台をAIに生成させちゃったりするので、そういう文章の癖や味を味わう機会が減ってきているような気はする。だから俺はnoteにAIを使わず文章書き殴って発散しているのかもしれない。

また、女性か男性か議論に関しては個人的にはどちらでもよいが、「女性」と感じられる文章がビジネスの場では批判されることは事実だろうなとは思った。俺個人としても「女性」的な文章でやりとりされると煩わしいことこの上ないとは思うが、多様性の時代今後そういう対応も求められるのだろうか?その時果たして俺は対応できるだろうか?と心配になった。


以下、記事本文に触れた感想。

記事の中の「自分の気持ちを主語にする」「イタコ論法」の部分が面白い。俺自身はあまり自分の感情にフォーカスを当てるのが得意ではないし、イタコ論法できるほど他人(ましてや創作物のキャラに)感情移入できないので、それが自然にできてかつ自己主張に使える人の存在が興味深かった。

男性の中にも女性”性”があるし、女性の中にも男性”性”がある。女性性の特徴として、「自分の気持ちを主語にする」「イタコ論法」を多用するというものがあるのだろうな。

ビジネスの場(と言う名の男性”性”社会)では「お前の感想は聞いてない」「事実と推測を分けて言え」「主観と客観を区別しろ」と言われることが多いと思うので、「自分の気持ちを主語にする論法」や「イタコ論法」は批判されてしまうことが多いだろうなとは思う。

でも「お客様にイタコする論法」は強いと俺は感じている。「お客様に自分の気持ちを語らせる」ことで間接的に「自分の気持ちを主語にする論法」を使用する裏技は存外男性性社会にも通用する。寧ろ、理路整然とした説明よりも通用してしまう(俺からすると大変遺憾ではあるが)。

男性性の強い俺からは「自分の気持ちを主語にする論法」「イタコ論法」は産まれないので、馬鹿にはできない。「女性オタク」からいろいろ学びたいと思う。

”池”という比喩で語られていたことは女性オタクに限らずどこにでも通用する話。俺は頻繁に全国転勤するので、職場はもちろん地域コミュニティーも転々とする。だからこそ、この”池”は強く感じる。”池”に慣れ親しんだ人が”当然だろ?”って顔で要求してくることに”え?”って毎回なっている。

クレーマー問題で騒げる今がもしかしたら最後かもしれないと想像する。今後AIが発達していった結果、各個人の趣向に合わせた作品が生み出され、互いの好みをぶつけ合うということがなくなっていくかもしれない。AIが生成した作品に慣れ親しんだAIネイティブ世代は逆にAIに最適化され皆同じ好みに統合されていくかもしれない。そう考えると今のうちに自分の好みを主張して、互いに批判しあうという毛づくろいを楽しんでおくのが良いのかも。







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