俺が”常識とされているから”やっていること

俺が世間では当たり前過ぎていまさら「何でそんなことをするの?」と言えなくなってしまったことを書く。

僕も面倒事は嫌なのでとりあえず周りに合わせてやっているけれど、いまだに何でやっているのかよく分からない風習?をどう割り切って行っているのかを書く。

①挨拶

挨拶は大切らしい。皆挨拶してくる。だから俺も挨拶を返す。そういうものだと思って自動ボットよろしく反射で返している。

俺は基本的に常に何か考え事をしているので、本当にただ挨拶するだけの挨拶によってその思考が一瞬でも途切れるのが正直嫌だ。用がないなら挨拶してこないで欲しいと切に願っている。

挨拶したくて挨拶している人が本当にいるのだろうかと疑っている。「挨拶しない人は非常識」と言われてきたから皆やっているだけなのだと俺は信じている。少なくとも俺はそうだ。

「用もないのに挨拶をするのはマナー違反」という常識が広がれば皆挨拶しなくなるはず。ぜひ社会実験をして欲しい。

②「~しなければならない」「~してはいけない」という考え方

これらの言葉は本来そのあとに「さもないと○○」が続くものだと思っている。この○○が許容できるのであれば別に何をやってもやらなくても良いという意味が「~しなければならない」「~してはいけない」という意味だと思っている。

人と話していて思うのは多くの人がこの「さもないと○○」を省略してくることだ。

例えば、「このルールは破ってはいけません」とだけ言われることが多い。「破ったらどうなるんですか?」と聞こうものなら「え?」と言う顔をされることが多いので、最近はなかなか聞き返させなくなってしまった。

実は俺が気付いていないだけで、「さもないと○○」が周りの人間には共有されているのかもしれないとは思っている。

かなり頻繁に「さもないと○○」が省略されてしまうので、「~しなければならない」「~してはいけない」と言われたら脳内で「思考停止して言う通りにせよ」という命令だと置き換えるようにしている。

この思考停止が難しいので、いまだにこのような命令にはうまく従うことができない。

③善悪や良し悪しの判断

多くの人が「○○が良い」とか「××は悪」のように判断しているのを見る。俺も言葉の綾として、そういった表現をするけれど本質的にはこの世に良いも悪いもないと思っているので実は善悪や良し悪しの判断を問われるのは苦手だ。

だから、そういうことを聞かれると「統計的には~」「確率的には~」「論理的に考えると~」「効率が良いのは~」と言って逃げてしまう。

「どっちが良いと思う?」の質問は難問。正直どっちでもいいと言うかどういう観点と基準で良し悪しを判断して欲しいのかの指定がないとどっちが良いとは言えないという陰キャ丸出しの回答しか言えねえ。

好きとか嫌いとかいう話も苦手だ。好みは基準が曖昧過ぎて判断しかねる。

「あなたの意見に賛成です」とか「あなたの意見を尊重します」って言えば良いって分かってからは楽にはなった。

俺個人に限っての物事の判断は爆速なんだけど、他人が関わると優柔不断になってしまうのはあるある。やはり一人は最強。


あとがき

何事にも理由を求めてしまう性格だから、常識とされていることをやるのが一番難しい。頭の中に浮かぶ「何で?」と闘わなければならないから。哲学書とか自己啓発本を読めば多少は答えを掴んだ気がしてくるけど、所詮は一時しのぎの麻酔薬。結局自分で納得しないと再発する。面倒な性格に産まれちまったものだ。



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