自転車で埼玉から北海道まで折りたたみ自転車で行ってみた話

 私の地元は北海道にあり、大学時代は埼玉県に住んでいたので、せっかくの大学生活なので何か面白いことをやろうということと、純粋に話のネタとして面白いと思ったのでチャレンジしてみた。

結論から言うと、楽しかったよりは苦しかった記憶の方が多い。むしろ地獄であった。計画があまりにも適当すぎて、そもそもやろうと思ったのが出発の三日前で、当時アルバイトをしていた私のスケジュールは埋まっており、この旅に割ける時間は1週間程しかなく、かなりの弾丸旅行となった。

後に詳しく記述するが、とにかくトラブルが絶えなかった。半分以上雨が降るし、携帯は壊れるし、山奥でパンクするしまあ色々あった。

まず行く前に、自転車の走行アプリで、距離とどれくらい時間がかかるのかを調べてみたら、計算上5日あれば青森の岬に着くということだったので、それに合わせて津軽海峡を越えるためのフェリーを予約した。

ちなみにこの計算上というのは早朝から自転車を漕いだとして、夜の7時半くらいには休みたいなという希望を考慮しての計算である。

それが、地獄の始まりであった。

なぜなら、その自転車のアプリはあくまで自転車の計算をしているだけなので、生身の人間が乗っていることは全く計算に入ってない。要するに、ずっと同じペースで休憩もなく漕ぎ続けていることを想定した数字である。そんなことは少し考えれば分かる事であるが、私がそれに気付いたのは出発して2時間くらい経ってからである。

そこから、1日中ひたすら自転車を200km近く漕ぐだけの地獄の旅行が始まったのである。

★思い立ってから出発まで

 先程も記述したが、思い立ったのが出発の3日前である。

夏休みに入り、久しぶりの実家帰省を控えていた私は、テンションが高くなっていた。計画を立てることが苦手な私は当然飛行機の予約をとっておらず、むしろ電車で帰るのもありだなと思っていた。

そんな話を友達と話していたら、誰かが自転車で帰ればと冗談で言ったのがきっかけである。確かにそれも面白いなと思った私は、やってみようかなと半分、いや8割くらい冗談で言ったら、絶対無理でしょとみんなから言われた。それが、逆に火が着いて、「いやできなくはないでしょ」と思った。

むしろ絶対やってやるという熱い気もちが湧いてきて、その場で「絶対やってやるからまあみてな!」と宣言してしまった。

20分後やっぱ無理だなと思いました。

ただせっかくの大学生だし、面白いネタが増えるしやってみることにした。

出発に向けて用意したものは3つ

①折りたたみ自転車

②ラジオ

③大まかな地図

まず折りたたみ自転車は、元から自転車を持っていなかったわけではないが、万が一途中で心が折れてやめたくなったときに、たたんで電車に乗せて帰ってこれると思ったので今回の旅のために購入した。結果、タイヤが小さいので全然スピードが出ずに相当苦労することになる。

ちなみにこのときピンク色の(とてもダサい)自転車を購入し、ONE PIECEの海賊王ゴールド・ロジャーの船「オーロジャクソン号」に少しかけて、「ももいろジャクソン号」と名付けたが、誰にも浸透することはなかった。


2個目がラジオ。なんで用意したのかというと、遭難したときにもしかして役にたつかなと思い一応購入してみた。結果的に別の用途で役に立つことになる。後程記述します。


3個目の大まかな地図は本当に大まかな地図。

Googleマップで埼玉から青森までのルートを調べてそれを拡大して、埼玉から東北全部見えるくらいまでに赤いラインが引かれている感じで印刷して紙として持っていた。

なぜそれが必要かというと、道路によく〇〇市まで約何キロみたいな看板がをあると思うが、それが知らない場所だったときに進んでる方角が合っているかを確認するためである。だからその大まかな地図には市の名前が出るようにした。

逆に言うと、自転車旅をしようと思ったら別に道なんか知らなくても道路の看板だけ頼りに進んでいけば案外目的地に着く。実際私も埼玉から青森まで看板だけを頼りに進んで実際には着いた。

それら3個を事前に用意して後は着替えと財布と携帯だけを用意して出発した。

で後は、初日から数えて5日目の朝にフェリーを予約しているので、実質4日目の夜には青森に着いていなければいけない。そのために初日はここまで行く、2日目は〜みたいな感じで必ずどこまでは到達するというラインは決めてから行くことにした。

日程はかつかつで前日の夜までアルバイトをしていた私は、同僚から死にそうになったらすぐに連絡してよとか、辛くなったら迷わずに電車乗れよとか、どちらかというと失敗を想定した激励を受けたため、若干気合が入った。

ただすでにめんどくさいなという気持ちの方が強かった。

★初日 埼玉〜新白河市(福島県) 天気 晴れ→雨

 初日は朝6時に起床しすぐに出発したわけだが、ここでいきなり事件が起きる。前日寝る前に確実に充電器に刺したはずの携帯の充電がされていないのである。

旅は逐一ツイッターにあげていこうと思っていたので(そうしないと途中電車とか使ってズルをしたのではないかというあらぬ疑いをかけられてしまうため)携帯の電池がマックスではないのは痛手である。さらに、漕いでる最中音楽も聴けなくなるのでしんどい(自転車乗りながらの両耳イヤホンは違反なので注意)。

正直言うと前々から充電器の接続が悪いなとは感じていたので、ここでそれが出るのかくらいに思っていた。

家を出て速攻、電池式のモバイル充電器を購入し(いきなりの出費は痛い)とりあえず午前中埼玉県を抜けるまでは充電に専念し、そこから携帯を活用していこうと考えた。

しかし、壊れていたのは充電器ではなく携帯本体の方であった。

残りの残量が確か38%くらい。それに気づいたのが丁度埼玉を抜けるときくらいでだいぶ心が折れて、戻りたかったけど堪えた。というより、初日でのリタイアは流石に周りからのバッシングがすごそうなので仕方なく続行した。

そこからとりあえず携帯の電源を切って、県を超えて次の県に着いたときだけ、電源を着けてツイートするという流れで進むことにした。これが非常にめんどくさい。そして当然音楽は聞けないので、景色を鑑賞しながらの自転車旅行となる。

携帯の異変に気付いたくらいからもう1個やばいことに気付く。

全然進まない。恐らく私が計算した時間は、乗っている自転車が折りたたみということも、この日が真夏の炎天下だということも、私が疲れる生き物だということも全く計算されていない。

しかし無情にもフェリーを予約してしまっているのでペースを落とすわけにもいかない。この瞬間私の地獄の自転車旅行が始まったのである。

初日の午後過ぎには栃木県の宇都宮に到着予定あったが、自転車アプリの罠に嵌った私は若干遅れ気味であった。

当初はもし余裕があれば、道中の観光地をついでに堪能できたらいいなーとかも思っていたが、そんな余裕は当然ないので、ひたすら進むことに徹していた。それでもご当地グルメだけは食べたいと思っていたので、宇都宮の餃子を目指していたわけである。

決死の努力の甲斐もあり、14時くらいには宇都宮駅にくることができた。宇都宮駅でなくとも餃子は食べれるだろうといツッコミは受け付けません。

早くも疲労困憊であった私はここぞとばかりにお金を投入して、とにかく餃子を食べまくった。とてもうまかった。

がしかし、これがさらなる悲劇を生むことになる。

昼休憩後、また黙々と進むことになるが、餃子を大量に食べたことで、とにかく喉が乾く。

このころペースを掴みつつあった私は1時間ずっと漕いで20分くらい休むという流れで進んでいたが、餃子のおかげで飲み物の消耗が激しすぎて、すぐにコンビニによって新しい飲み物を購入していた。お金も時間も無駄である。

その結果、初日の山場とみていた那須高原の手前に到着するころには日が落ち始めていた。そして雲行きも怪しくなっていた。

今思えばこの全行程通しても一番の山場であった。

とにかく山を登る。果てしなく坂を登る。しかも傾斜がきついから何度も途中で押して歩いた。

ただ途中から雨が降ってきて、視界も足場も悪くなってきて、早く進みたい気持ちから根性で漕ぐ方を選んだ。で那須高原は、当然歩いたり自転車で越える用には考えられてないため、歩道がない。雨の中後ろからトラックがビュンビュン走って来るため、万が一転んだりしたら終わりだなという命も危険を感じた。

また、途中で完全に夜になり、視界がさらに悪くなった。街灯も当然ない。

トラックも怖いが、何か変なものを踏んで自転車がパンクするのも相当怖い。故に視界が悪い中地面には細心のの注意を払いながら前進した。この山中で雨降ってのパンクは死に直結すると本気で思っていた。

最初、もし間に合わないなと思ったら、夜遅くまで漕いでればいいやと思っていたが、この時夜は絶対にダメだと思ったので、次の日からは日没までに工程を終わらせる計画を立てることになる。

なんとか苦しみながらも無事に福島県の新白河市についた時の嬉しさと安堵感は今でも覚えている。

その後、新白河駅の近くにビジネスホテルがあったのでそこに泊まることにした。

ビショビショの汗まみれの自分が受け付けに来た時、ホテルの従業員はやばい奴が来たと思ったに違いない。

とりあえず初日は無事に任務を達成した。

★2日目 新白河〜仙台 天気晴れ→雨→晴れ

昨日の反省を生かして、日没前には工程を終わらせるために、朝早く起きて出発と言いたいところであったが、この日はホテルの朝食バイキングが7時半からのスタートで、何としても食べたかったので、出発から遅れが生じる。

その分漕ぐスピードでを上げて気合いでカバー。

ちなみに2日目の出発の時点で太腿とお尻はボロボロで階段の登り降りですら相当苦しい状況である。

さらに初日の反省を活かしてカッパと水筒と自転車用の手袋を購入。

カッパは言わずもがな。水筒に関しては、喉が乾く度にジュースを買っていたらきりがないので水を持ち運べるように購入。手袋に関しては自転車の長旅は意外に下半身と同じくらい手が痛くなる。特に坂を登るときはハンドルを強く握るため豆ができてしまう。それを緩和するために購入した。

いずれも本来は、計画の段階で揃えておく必要があるもので、あまりにもお粗末な計画である。自転車でよく旅をする人からしてみれば用意して当たり前の物ではあるが、初めて自転車旅に出たいと思った人は参考にしてください。

東北全般的にそうであったが、そのなかでも福島県はとにかく坂が多い。登っては降りて登っては降りてのくり返しである。また、正面から大型トラックが通ると一瞬向かい風で戻される。それが本当に腹が立つ。折りたたみ自転車では少しの風ですらしんどいのである。

というわけで2日目にしても早くも満身創痍の状況になってきた。

そこで登場するのがラジオ。携帯は使用できないので、ラジオを聴きながら自転車を漕いでいたわけであるが、東北であるからなのかたまたまそのチャンネルがそうだったのかは分からないが、当時流行っていたあまちゃん特集がずっとつづていた。

その時の私は一回もあまちゃんを見たことがなかったが、作中に出てくるが曲が頻繁にかかっていたので、多分ほぼ歌詞を覚えることに成功した。特に潮騒のメモリーは1番2番ともに完璧に覚えてしまった。

そのラジオのおかげで苦しい走行が少しは楽しくなった。ほんの少しであるが、、、。

午後には福島駅に着いたが、福島のご当地グルメを知らなかったし、調べるために携帯の電源も着けたくなかったので、普通にその時一番食べたかったカツ丼を食べた。

2日目の午後からまた雨が降り始めるが、今度は濡れることなく、ひたすら漕ぎ続けた。

同じ体勢で漕いでいると色々と痛くなるので、各部位を休ませながらの信仰となる。

その甲斐もあって夕方には仙台市に到着することができた。

若干いいペースで来れて時間に余裕もあったので、東北楽天ゴールデンイーグルスのホームスタジアムであるクリネックススタジアムにも寄ってみた。

当時のエースであった田中将大選手の等身大のパネルがあり、でかいなーと感激した記憶がある。というか1日漕ぎ続けた達成感がすごすぎて、その時はなんでも楽しく感じた。

この苦しいだけの旅のいいところは1日の終わりが心から幸せを感じることである。

その後、牛タンを食して、仙台駅近くのカプセルホテルに泊まって2日目を終えるわけだが、そのホテルでねぶた祭りのポスターを見つける。

丁度青森でねぶた祭りが開催されている時期で、私が青森に到着する予定の日も開催されていることが判明し、モチベーションが高まったのを覚えている。

むしろ次の日はそれだけを考えて自転車を漕いでいた。

★3日目 仙台〜盛岡 天気雨→晴れ

全行程の中で3日目が一番距離が長い。それは初めの段階からわかっていたので、この日は、早起きし、より一層漕ぐことに専念していたため、特に何も起こらなかったし、今思い出しても全然記憶がない。

ただ、前日から手袋を着装していたにも関わらず、朝の時点で手の皮が剥けてきてしまっていた。下半身に関してはもう普通に歩くことすらしんどいくらいまでになっていた。とにかく折りたたみ自転車は普通の倍漕がなければいけないので本当に効率が悪い。

前日に引き続き雨が降ったがそんなのことは気にせず、ひたすら漕ぎ続けた。

無事に夕方に盛岡についた私はジャージャー麺を食べて、ビジネスホテルに泊まって3日目は無事終了。

ホテルの新聞で見る限り明日の天気は晴れ。このままいけば意外と余裕だなとか思ってしまったから翌日にばちが当たることになる。

★4日目 盛岡〜青森の岬 天気晴れ

4日目はねぶた祭りに向けて早朝から活動開始。天気は晴れ。むしろめちゃくちゃ暑かったが、2日目に購入した水筒が大活躍し途中までは快調。

ただ岩手と青森の県境にある(名前はわからない)山にたどり着いてから様相が変わった。

まず炎天下の中永遠と続く上り坂に体力が持ってかれて水筒の中身も枯渇してしまう。当然山の中なので自販機などあるわけもなく、脱水との戦いも始まってしまう。

それでもなんとか登りさえ終わればと思って、頂上に差し掛かろうとした時に最大の事件が起きる。なんと一番恐れていた自転車のパンクが起きてしまう。

やばいと思い、試しに携帯の電源をつけてみると圏外とアンテナ1個を行き来している状況であまり使い物にならないということがわかった。

体力も限界に差し掛かっており、やっと登りが終わって下りで楽できるというときのこのパンクは本当に絶望した。これは流石にやばいんじゃないかと思った。

とりあえず、何かしなければと思いたまに走るトラックに親指を立ててヒッチハイクを試みたが、無視されるか、尋常じゃないくらいのクラクションを鳴らされるかのどちらかであった。

30分くらい歩いて(体感では3時間)、そろそろ寒気がし始めて来た頃、山中にぼろぼろの工場みたいな建物をみつけた。本当にぼろぼろで夜中みたら妖怪がいるのではと思うほどである。

そこに水がないかダメ元で除いてみたら、なんと人がいた。しかも2人。恐らく住んではいない仕事かなんかだと思われる。

埼玉から来てて自転車がパンクして困ってるってことと、とりあえず飲み物はあるかどうかを尋ねると、爆笑されたものの、飲み物を恵んでくれた。

ただその2人はけっこうな高齢者で方言がきつすぎて何を言っているあんまり聞き取れなかった。

で飲み物だけでなく、クーラーボックスに入っているスイカまで食べさせてもらった。しかもスイカを食べてる間、知り合いに頼んで軽トラックを手配してくれていた。

とても聞き取りにくい方言であったが、その軽トラックで山の麓の自転車屋さんまで乗っけてくれると言っていた。見ず知らずの若造にどれだけ優しくしてくれるのだろうかと思って、本当に泣きそうになった。こんなに素晴らしい人がこんな山の中で何してたんだろうとすごい気になったがそれは聞かなかった。

今でも本当に感謝している。

車の中で、話をしているとき、恐らく私のチャレンジ精神を褒めてくれていたのかと思う。それだけでもこの旅の価値はあるのかもしれない。

この人たちがいなければ本当にやばかったかもしれない。


無事に自転車が直った私はそこからまた順調に進む訳だが、途中道の駅についた時にあることに気づく。

というかその道の駅に青森県の全体図に現在地が記されている看板を見て思ったが、青森県の形はU字みたいになっており、私が目指している岬はU字の窪みなのか出っ張りなのかどっちかわからない。

携帯で調べるしかないと思ったが、さっき電源をつけてから消すのを忘れていたため、電池の残量が虫の息になっていた。

急いで私は友達の電話番号をメモして電源を切った。その後、メモした電話番号に公衆電話から電話をかけ、明日のフェリー時間を伝えて、それが青森のどこから出るかを調べてGoogleマップに印をつけてスクショしてLINEに添付してくれ、俺は30分後に携帯の電源を着けると伝えた。

この友達が電話に出なかったとしても死んではいないだろうが、一発で出てくれて非常に助かった。

道の駅の場所がU字の出っ張りを少し進んでいたのもあったのと、なんとなく出っ張りが正解な気がしていたので、30分待つのもったいないので出っ張りに向けて私は進み始めた。

30分後携帯を見ると、窪みじゃねーか。

というわけでなんとか窪みに無事着いて、ビジネスホテルもチェックインしていよいよねぶた祭りである。

ちなみに青森の岬に着いた時の爽快感と達成感は本当にやばかった。こんなに充実感を味わったのは初めてである。ただし、もう一度やりたいかと言われればやりたくない。

でねぶた祭りであるが、残念ながら私が行ったその日は昼間の運行であった。あんなに楽しみにしていたのに、よりによって今その日に限って昼だったのだ。自転車がパンクしている間には全てが終わっていたのである。

ただ、今思えばなかなか悔しいが、その時は爽快感で気にならなかったし、花火が見れてラッキーくらいに思っていた。

結局この日は運が悪かったみたいに記述していたが、いい人に助けられたし、途中で岬の場所がどうなのかにも気づけたし、結果的には運が良かったのかもしれない。

★5日目 旅の終わり 天気 曇り

5日目はまずフェリーに自転車を乗せて津軽海峡を越えるところから始まる。

フェリーでの道中は特に何もなく、無事に北海道の函館に着く。

そこで少し恥ずかしい事件が起きる。折りたたみ自転車も一応車として扱われるため、フェリーの車置き場に置くことになる。

フェリーが着くと、まず乗客が降りて、車を乗せている人は運転手だけが車で出る事になる。運転手の家族等は外で自分家の車が来るのを待っている。

最初に大型トラックから外に出て行くわけだが、入口がそんなに大きくないので1台ずつ外に出ていく形になる。私も自転車でそこを降りていくわけであるが、なぜか大型トラックの集団の後が私であった。するとどうなるか。

外で待っている家族の目線になると、最初に大型トラックが何台も外に出て行き、そろそろ私達かなと注目しているところを自転車が通るわけである。しかも折りたたみ自転車はスピードが遅いので、みんなの注目を浴びながらノロノロと進む事になる。これが非常に恥ずかしかった。

フェリーに折りたたみ自転車は絶対にやめた方がいい。これがこの旅でわかった事である。

私の実家は札幌市にあるため、函館からまた、自転車の旅をする必要があった。

ただ私はそこで辞めて、自転車を電車に乗せてそのまま札幌に向かった。

なぜそこで辞めてしまったかというと、まず携帯の電池がないのでツイート出来なくて、記録に残らないということ。後は肉体が限界を超えていた事。さらに前日のねぶた祭りで達成感を得て燃え尽きてしまった事。

これらの理由で私の自転車旅はこれにて終了した。ここまできてなんとも中途半端である。


最後に、もし自転車の旅を楽しみたい人がいれば、ちゃんと計画を立てて無理のないペースで進み、いろんなところを見て回ったほうがいい。

逆に自転車で行ったという結果だけが欲しいという人がいれば、このやり方を勧める。運が良かったと言われればそれまでだが、実際計画なんて立てなくともそれなりになんとかなる。

この旅をやってみて実際どうなったかというと、面白い奴だと認識されるようになった。計画を立ててやってしまうとただの旅行になってしまうかもしれない。どれだけ面白くない人でも、とりあえずみんながやんないことをやってみればそれなりに面白い奴だと認知されるようになる。

やって良かったかと言われればこうして笑い話になっているので良かったかもしれない。

だから、自分を強引に変えたいなって思ったらぜひやってみてください。意外と死にません。




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