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人類学的地域/1.ヨーロッパならびに地中海盆 人類が生まれ、育ったのはヨーロッパである。それゆえ、この大陸の諸人種が一番研究され、最もよく知られているように考えられるかもしれない。


 ⚪︎北方人種/ノルディック人種/スカンジナビア人種/アーリヤ人種[典型的な白色人種で最も完全に定義できる人種の一つである。身長は高く、平均1.73m、身体はすらりとして肩幅が広い。皮膚は赤味を帯びた白色で、陽に照らされても、褐色にならないで、夏日斑が現れて赤煉瓦色となる。毛髪はブロンドまたは栗色、目は青または緑色である。頭は長く、軽度の長頭あるいは中頭、後頭部は突出が顕著である。顔もまた長い。顔の上方には斜めの額があって、下方は軽く隆起した眉上弓に終わっている。鼻は狭く、つねに明瞭に突出し、鼻梁は真直ぐか、弱い突出を示している。唇は薄くしまり、頤はがっしりして、よく突出している。北方人種の領域は、もっぱらバルト海と北海の周囲に広がっている。つまり、北部を除いたスカンジナビア、デンマーク、フィンランド西部、ポーランドとドイツとオランダの北部。ベルギーとフランスの北部海岸、イングランドとスコットランドの大部分などである。この人種の特徴が最もよく出ているのはスウェーデン中央である。そのほかでは、変異を示すことが多いが、その原因が別の人種との混血によるものか、原始体型の自然的変化と関係があるのかを述べることはむずかしい。たとえば大ブリテン島では、毛髪がブロンドよりも褐色の場合がずっと多い。ドイツや南部スウェーデンでは頭は短頭に向かう傾向があり、同時に顔も幅広に、ずんぐりと頑丈な体格となるが、北方人種の他の特徴である高身長・明色は残っている。これが《ダーク体型》であって、特別な一人種としようと考える学者もある。

古代スカンジナビア人 スカンジナビア


 ⚪︎東方人種/東ヨーロッパ人種/オリエンタル人種[前者よりもいっそう明色でさえある。皮膚は青白く、毛髪はブロンドか灰色を帯びたブロンドで、はなはだしいのは白色となることもある。目は淡青色または灰色である。だが、その他の体制によって、北方人種とは明らかに区別せられるのであって、身長は高さを減じーもっとも、1.66から1.69mであるから、平均よりは常に高いー、身体はずんぐりとし、頭は、示数が軽度ではあるが短頭となる。顔面は幅広で骨張り、頬骨が突出している。鼻は非常に特徴があって、短く広く、凹んだ鼻梁は鈍い先端で終わっている。東ヨーロッパに局在し、主にポーランドと北部および中央ロシアに住んでいる。東プロシア、フィンランド、バルト海諸国において、北方人種と接種しているが、混同することはない。東方は、シベリアの各地に溢れでている。

ポーランド人


 ⚪︎アルプス人種[皮膚はまだ白色とはいえ前述の二郡よりも色素が増し、毛髪は褐色あるいは栗色、眼はしばしば明色を呈するが、純粋な青色は例外的である。身体1.63〜1.64mで低い。身体はずんぐりして、太り気味、胴が長く、四肢は短い。頭は非常な短頭で示数は85〜87を示す。顔もまた幅が広く、輪郭は極度に丸い。鼻は狭いが、割合に短い。鼻背は時として凹んでおり、女性においてとくにはなはだしい。主として、東および中央ヨーロッパの大陸的地方を占めている。つまりフランス中部、スイス、北イタリア、南部ドイツ、ボヘミア、ハンガリアなどである。東はポーランドに達し、東ヨーロッパ人種と接触しているが、これとは以前、いっしょに考えられたものであった。ラップという小群は、アルプス人種の分離した枝を表している。

 ⚪︎ラップ人種/ラップ人/サーミ人※ヴァロワはアルプス人種の分離してできた地方形とみなしているが、独立した人種として考え追加した。
[背が小さく、腕脚も短い。短頭で顔の幅が広く、左右の目の間が広く、顎骨はきゃしゃで、歯も小さい。スカンジナビア半島北部ラップランド及びロシア北部コラ半島に分布しトナカイ狩猟・漁撈ところによっては農業に従事する特殊なヨーロッパ人で数ヵ国のなかを何ら制限されずに移動する特権を与えられているウラル語族に属するサーミ諸語を話すサーミ人(ラップ人)のことである]

ラップ人

 ⚪︎ディナール人種[身長を研究した結果、濃色の毛髪と眼を持つヨーロッパの諸地方において、バルカンの西部は、背の高いことで目立つということがわかった。この特徴によって、ここに新たな一人種、《ディナール人種》を分つことができる。アルプス人種や、東ヨーロッパ人種と同じく、ディナール人種は、短頭であるが、その頭は、幅が広いというよりはむしろ前後に短く、後が平ぺったいのである。また、頭は高い。顔は長く、鼻はかっしりとして突出し、鼻梁は凸型である。頤は非常に突出している。身長1.68〜1.72mで、北方人種とほとんど同じ大きさであるが、身体はそれほどすらりとしていない。眼と毛髪は明らかに濃色である。西部バルカンの山岳地帯こそ、この人種の特徴が最もよく表れるところであるが、カルパチア山脈でも見出すことができる。北は、本来の意味でのアルプスに達して、アルプス人種と接触し、彼らとの間に、分類するのに困難な移行型を作っている。東は、小アジアのアナトリア人種と連絡する。お互いに多数の共通特性を持っているので、一つにまとめようとした学者もある。

『 ⚪︎地中海人種[非常に広い地域を占めている。大規模に北アフリカに侵入し、前方アジアにもまた、彼らを見出している。この広大な領域において、多様な特徴を示し、他のヨーロッパの人種よりも、定義するのにいっそうの困難を生じさせている。しかし、二つの特徴がつねに認められる。すなわち、頭の長いことー長頭あるいはわずかに中頭ーと、色素の多いことである。皮膚は褐色で、陽に当たると焼けて、ほとんど黒くなってしまうことさえある。眼は濃褐色で、毛髪は非常に黒い。色素は、前述の二人種に比べてはるかに顕著である。広範囲に分布し地方的な変異も多く典型的な地中海人種を定義するのはなかなか難しい亜種的に意味を持つところの三郡を区別する事ができ以下の三亜人種に細分化される]
 「 ⚪︎イベリア島嶼亜人種[典型的な地中海人種である。身体は華奢でほっそりしているが、身長は低く、1.63〜1.64mである。純粋に長頭で、顔は長く卵形の輪郭を持ち、頤は丸い。鼻は狭く真直ぐな鼻筋を持ち、尖った先端で終わっている。眼は大きく唇は肉が厚い。この型は、イベリア半島、フランスおよびイタリア南部、西地中海の島々、バルカンの南東部に居住している。だが、常に海岸地方に極限されているわけでなはなく、非常に大きな核が、南部ロシアに見出される]
   ⚪︎大西洋地中海亜人種[より高い身長(1.66m)と、やや中頭の頭を持っていることで区別される。頻度は高くないが、スペイン・フランスの各地に観測される]
   ⚪︎サハラ亜人種《サハラ》
[北アフリカ全体に居住している。東方は、アラビアならびに小アジアを占める南東人種と接触する。多くの学者は、地中海人種複合体をなす同一群の、二つの枝とみなしているほどで、相互の差異はきわめて小さい。身長(1.68〜1.70m)という高身長、明色であり、長頭で、顔は長くしばしば卵形であり、鼻はほっそりして狭い。チュニジアには少ないが、西方では数を増し、アトラスの高原地方を占め、モロッコでは優勢であるようにみえる。大多数は、髪も眼も褐色であるが、オレス山塊およびモロッコのリフやアトラス地方では、ブロンドの髪と明色の眼を持っているものがある。この人々、《ブロンド・ベルベール人》の意義は、論議を醸したものであるが、現在では、北方人種に属することがはっきりしている。彼らが早期にアフリカに入ったことは、古代エジプト人が、青い眼をしたリビア人を描いたことからわかる。褐色長頭については、混交によって明るい色彩を失った北方人種とみなす傾向があった。この説明は認容しがたいものがある。褐色長頭高身長は単に、地中海人種の、身長の高い一変種を表わしているに過ぎない。彼らは、特別に考察されねばならない。彼らは、後に見るように広くサハラに分布している。サハラ砂漠そのものには、わずかしか人が住んでいないが、周囲に、一部は遊牧する三つの群、西にムーア、南にトアレック、チブーが棲息している。
    ⚪︎ムーア族/モール人[アラビア語、ベルベール語のいずれを語るかを問わず、牧人、戦士として、モロッコからセネガルまでの大西洋沿岸に住んでいる。身体はすんなりとして高く、皮膚はきわめて濃色であるが、ヨーロッパ人の特性を持ち、毛髪は波状毛あるいは彎曲毛で、モロッコのベルベール人が西アフリカの黒人と混交して生まれたものであることは疑いない。だが、人類学的にはあまり知られていない。
    ⚪︎トアレッグ族
[典型的なサハラ亜人種である。ベルベール語を用い、確かにローマ征服以前の古地中海文明から由来したところの非常に古い習慣を幾つか守っている。彼ら自身は、おそらく北アフリカの出であって、サハラに侵入したのは、西暦紀元のはじめ頃であったらしい。若干の種族は、この砂漠の山岳地帯に棲息しているが、大部分は、その南縁、スーダンの北に生活している。ムーア族(モール人)のように、彼らも黒人との強度の混血を示しているが、母権制度ならびに、貴族・戦士の差別が存在していたために、一種の貴族階級を維持し、これが非常に純粋な種族タイプを保存したのである。真のトアレッグは、平均1.75mという高身長の人々であって、きわめて細い肩と腰を持ち、非常な長頭で、顔は長く、鼻は長く鉤形である。皮膚は褐色、毛髪と眼は常に濃色。これが典型的なサハラ亜人種であって、小アフリカの高身長長頭濃色の人々よりさらに純粋である]
   

トアレグ族 サハラ砂漠

 ⚪︎トアレッグのずっと東、チベスチの山塊に、フェザンからチャド湖まで遊牧しているところの、チブー/ゴラヌ/テダ族/ティブ族が生存する。彼らはトアレッグと同じ型に属するらしいが、黒人の血がはるかに多くまじっている。南方で諸種族の主要な要素を作っているのは、この黒人である。チブーは、非常に背が高く、すこぶる濃色の皮膚をして、しばしば球状毛を持つ。


テダ族 チャド


地中海人種以前の考え《小アフリカ/モロッコ・アルジェリア・チュニジア・トリポリ》北部ハム人種[フランスではごく一般に、この地方の土着民にアラビア人の名を与えている。しかしながら、歴史的見地から見て、二つの構成要素を区別せねばならぬことが、早くから知られていた。一つは原住民であって、ローマの征服時代にすでに存在した《ベルベール人》と呼ばれるものと、数次の波をなして東方からやって来て、イスラム教をもたらした侵入者、すなわち《アラビア人》である。言語(ベルベール語はハム語群に、アラビア語はセム語群に属する)、それにある程度まで生活様式によっても、この二群を区別することができる。ベルベールは、実際トリポリ、チュニジアに住んでいないのであるが、西方に行くにしたがってしだいに多数となり、モロッコはほとんどベルベールばかりである。この分布は、人類学的な相違に対応するものであろうか。かつてはそう信じられていたもので、背が高くすらりとして、長く狭い頭を持ち、卵形の顔、鷲鼻の《アラビア型》が中位の身長で、身体がずんぐりとし、頭が幅広、顔は四角で、鼻が真直ぐか凹状である《ベルベール型》に対比させられた。だがやがて、ほとんどあらゆる地方で、いわゆるアラビア人とは、征服者の習慣、言語を取り入れたベルベール人にほかならないことが認められた。真のアラビア人、すなわち10、11世紀の侵入者の子孫は、たしかに非常に少数である。記載された二つの型は単に因習的なものであって、さらに完全な人類学的研究によれば、その代わりに、非常に相異なった特徴を持つ三つの人種(地中海人種の三つの亜人種)を用いねばならぬことが明らかとなった。
    

※セム語派があるのにハム語派が存在しないのは、エジプト語、ベルベル語、クシ諸語、チャド諸語がハム語族に分類されるわけであるが、これら四つの言語(群)は互いに近い関係にあって、かつて一つのまとまりをなしていたというのではなく、セム語派の周辺に分布し、おのおのがアフロ・アジア語族に属するセム語派と個別的になんらかの関係にあるというのが実情である。アフロ・アジア語族にはセム語派、エジプト語派、ベルベル語派、チャド語派、クシ語派、オモ語派の6つの語派がある。

※《カナリー諸島》特別に考察されねばならない。現在では、非常に混血した集団が居住しているが、十五世紀にヨーロッパが征服した頃は、グワンチェ人という、スペイン人に対して猛烈な闘争を行った独立の集団があったのである。グワンチェ人の一部は、大陸における隣接民と同じ群に属し、地中海ならびにアルプス人種であるが、その他、まったく異なった体型をもった者が若干あった。非常な高身長で、中頭、低く幅広の顔、角張った顎と低い眼窩を持った人々で、旧石器時代に北アフリカに棲息したところの、クロマニヨン人種の一分枝の、最後の痕跡であった。この地方において死滅したのは、一万年も前のことで、先史時代の遺跡で発見される若干の人骨によって知られるに過ぎない。人類学者が、その小さな枝が、近代にいたるまでカナリー諸島に生を保っていたことに気づいたのは驚くべきことである。真の生きた化石たる、彼らの最後の末裔たちは、多少の混血を受けながら、今日ですら生存している。

 ⚪︎トゥラン人種 /トルコ韃靼人種[アナトリア半島の北方に沿って分布し、なかんずく、南ロシアおよびトルキスタンの大草原を流浪する遊牧民を含む。どちらもトルコ語を話すが、ここでもまた、言語と人種とを混同してははらない。言語はシベリア北岸にまでいたっているから、人種よりもはるかに広い分布を持っているわけである。トゥラン人種は、中位の身長で、やはり非常な短頭であるが、よりすんなりした体軀、より長い顔、いっそう突出した頬骨、時に凹状で、はるかに小さい鼻とによって、アナトリア人種と区別される。唇はより薄く、眉毛はそれほど濃くない。眼は、蒙古皺襞をかいているが、しばしば外方に釣り上がっている。これらの特徴はすべて、蒙古体型へ移行を示すもので、多くの著者が、トゥラン人種を黄色人種に近づけたのも、もっともである。だか、彼らは、白人に入れたほうが妥当である。トゥラン人種の領域は、カスピ海から、パミール高原、アルタイ山脈、すなわちロシア領トルキスタンならびに近接諸地方に広がる大草原、トゥラン高原である。また、トゥラン人種は、タタールスタン共和国の住民ヴォルガ・タタール/ヴォルガ・トルコ人、ウラル山脈西斜面バシコルトスタン共和国の住民バシュキール人などとともに、ヨーロッパへはみだし、東方は、中国領トルキスタンに侵入している。パミールのタジク族は言語はトルコ語系民族ではないがこの人種に属するに違いない。
※ キプチャク語群の一部であるキプチャク・ブルガール語群に属するヴォルガ・タタール人、バシュキール人が代表。
⚪︎ヴォルガ・タタール人
  ⚪︎カザン・タタール人(中部タタール)
  ⚪︎ナガイバク人
  ⚪︎クリャシェン人
  ⚪︎カシモフ・タタール人
  ⚪︎アストラハン・タタール人他
  ⚪︎ミシャル・タタール人(西部タタール)
  ⚪︎テプテル・タタール人他
  ⚪︎シベリア・タタール人(東部タタール)
  ⚪︎バラバ・タタール人他
⚪︎バシュキール人
※タジク族
(インド・ヨーロッパ語族インド・イラン語派イラン語群に属する)



タジク族


『 ⚪︎アナトリア人種[中位の身長(1.65〜1.67m)で、頑丈な身体を持ち、手足は短く、ある程度肥満型への傾向を持っている。頭は、それほど幅広ではないが前後に短い短頭型で、示数は84と85の間を動く。その上、非常に高く、砂糖入りパンの形にふくらみ後頭部は扁平であるなど、すべての特徴が明らかにアルプス人種と区別される。顔が長く、額が真直ぐで高い点もやはり彼らと異なる。鼻大きく肉が厚く、鼻筋は真直ぐである。毛がよく生えて、眉毛はきわめて濃く、時に正中線で左右相合している。アナトリア人種の中心地は小アジアである。東では、イランの北部からパミール高原まで、さらにシリア海岸の山岳地帯にも延びる。遥か南方には、孤立した核が、アラビア南岸ハドラモートの山地に現れる]
※オグズ語群に属するトルコ人等

イスタンブールの住民ートルコ 

「 ⚪︎変種アルメニア人種/類アルメニア人種[鼻は《ユダヤ鼻》という特徴ある凸状形をし、同時に短頭がその度を増し、下唇が軽く外翻している。この体型は、若干のアルメニア人およびクルド族に観察されるほか、先に行ってわかるように、北部ユダヤにも見られるものである]

※アシュケナージム/アスケナジム/北方ユダヤ人(はじめライン川沿いに定着したユダヤ人の北方集団で、11世紀に十字軍に迫害されて東へ移った。彼らの多くはロシアとポーランドに落ちついたが、そこで土地の所有を禁じられたので宝石と貴金属の売買を業としながら各都市でゲットー(ユダヤ人町)を構成して生活した。今も言語は中世ドイツ語の一形態にヘブライ語とスラブ系の言葉が混じったイディッシュ語を伝える。過去つねに彼らは迫害を受け、ロシア語で彼らに加えられた迫害をとくにポグロムーロシア語で'襲撃'の意ーという。第二次世界大戦中にナチ党のユダヤ人根絶政策の犠牲となり500〜700万人を失った。難民と生存者の多くはアメリカ合衆国に移住した。)

※アルメニア人はがっしりと小柄で、古代のヒッタイトやアッシリア人ーアシュケナージムとよばれる西ヨーロッパのユダヤ人にも容貌が似ていたーの特徴であるワシ鼻と長い顔が多い。

 ⚪︎南東人種/アラビア人種/セム人種[特性全体から見て、地中海人種を想起させ、その一亜種に過ぎぬと考えるのが確かなところであろう。身長は1.65〜1.68mで、人類の平均身長よりわずかに高く、体軀は華奢で痩せている。非常に長頭で、突出した後頭部に終わり、かつ非常に高い。顔は長く狭く、楕円形の概形を持つ。鼻も非常に細く、鼻翼は圧縮され、鼻筋は直状または鷲鼻、鼻根が目の間に高くそびえている。彼らの眼は、特徴のある扁桃形をして、内角は丸味がある。唇は薄く、髪は波状毛あるいは彎曲毛である。全地中海人種と同じように、色素は豊富で、とくに眼が黒い。南東人種は主として、前方アジア南部の半砂漠地帯、アラビア、メソポタミア、内シリア、パレスチナなどにすんでいる。《セファルディム=南方ユダヤ人》]

アラブ首長国連邦の人々

※人類学的な見地からすれば、《ユダヤ人》は一つの人種ではないし。またかつてそいうであったこともない。彼らは、言語・宗教・文明によって、1000年の間、パレスチナにおいて独立した民族であって、二つの人種ー北方はアナトリア人種の変種たる類アルメニア人種、南方は南東人種ーによって形成されたのである。


イスラエルの人々

  ※参考文献 
人種とは何か 著者寺田和夫 岩波新書 1967年
人種 (著者アンリ=ヴィクトル・ヴァロワ 訳者寺田和夫) 白水社 1971年
モンゴロイドの道 朝日新聞社 1995年
「民族」で読み解く世界史 著者宇山卓栄 日本実業出版社 2018年
世界民族辞典 弘文堂 平成12年
世界民族言語地図 東洋書林 2000年
世界の民族全20巻 平凡社 1979年
中国少数民族辞典 東京堂出版 平成13年

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