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近未来視レンズ


「完成した、完成したぞ!」

 かび臭いラボの中を、男の喚起が響き渡る。声の主である男――全長3フィートほどの小柄な老人は、七色に光る眼鏡を掲げ、舞うようにラボ中を駆け回った。

「今度はナニを作られたの?ダンプ博士」

 脇のソファに寝そべっていた女性がダウナー気味に起き上がる。ダンプと呼ばれた男性の二倍以上高い背丈であり、白衣の中からは艶やかな黒い肌が覗く。その両耳は鋭く尖っていた。

「クレイ……何度も説明したじゃないか。君はもう少し私の発明に興味を持ってくれんかね」

 ダンプの説教を無視し、クレイは無造作に老人の手から眼鏡を取り上げた。

「これが今回の発明ですの?」

 クレイは眼鏡をかけてみた。するとレンズの中に、うつ伏せに倒れるダンプの姿が映った。

「博士が転んでますわ!」

「なに?それよりもレンズを返……おわっ!」

 クレイから眼鏡を取り返そうと背伸びをしたダンプが、バランスを崩しうつ伏せに転倒した。クレイは慌ててダンプを助けようとしたが、レンズ上には既に起こされた姿が映っていた。

「この眼鏡、もしかして……」

「そうだ。このレンズは対象の僅か先の未来を投影する機能を備えている。君はそれを通して、私が転倒する前から転んでいる姿を、私が助け起こされる前から起こされる姿を視ていたのだ」

「流石ですわ、博士!」

 クレイが拍手しようと手を離すと、レンズには再び転倒するダンプの姿が映った。実際、ダンプはバランスを失い転倒しそうだ。視界端、レンズの外で確認したクレイは、ダンプが倒れる前に急いで手を掴んだ。すると、レンズの中のダンプもいつの間にか椅子に座っていた。

「転んで……ない?」

「レンズに実際に映るのは演算された予測だ。本来は転倒する筈だったが、君が咄嗟に掴んだ事で変更されたのだろう。……長時間かけていると混乱するぞ。そろそろ外したまえ」

 クレイから眼鏡をひったくり、ダンプはふてぶてしく椅子に腰かけた。クレイの目に先ほど映った通りのポーズである。

「私はこの発明を近未来視レンズと名付けた。その名の通り近未来の光景を視ることができる、そういう道具だ。決して時間軸に干渉しているわけではないぞ。"猟犬"がうるさいからな。厳密には対象の脳波と周囲の幻子情報を元に未来予測を演算し、視覚上生じる結果を映像として出力しているのだ。その予測を見て何かしらの行動をすれば、思考・幻子が乱され――」

「つまりどうなりますの?」

「つまり、視た近未来を任意に変更できるのだ」

「凄いですわ!」

 クレイに賞賛され、ダンプは誇らしげに笑った。だが、直後。ラボの外から、強烈な破砕音が響いた。一度だけではない。二回、三回、四回……しかも段々と迫ってきている!

『ノームのクソジジィ!居るんだろ!?家賃払えや!』

(まずい、取り立てだ!)

 ドア越しに威迫され、ダンプの顔が蒼白に染まる。クレイが急いで彼を抱えると、部屋の隅に急ぎ非難し、壁際を力強く叩いた。すると、ダンプ達を隠すように偽装壁が展開する。外側からの視認を遮断するギミックである。これで身を隠すことが可能になる。

(博士。まだ家賃を滞納してましたの?)

(仕方なかったんだ!レンズの開発に莫大な予算が必要だったのだからな)

(このままお引き取り願えるでしょうか?)

(止むを得まい。近未来視レンズを外に置いておきなさい)

(分かりましたわ)

 クレイがレンズを放り投げた直後。強烈な破砕音と共に壁が崩れ落ち、二人の人物がラボに侵入した。両者とも、屈強な体格と緑の肌。一人はハンマーを、もう一人はナックルダスターを装備している。髪と服装から女性のようだ。偽装壁越しにその姿を視認し、クレイにはない暴力の気配に、ダンプは恐怖した。

「シット!これで何度目だよ。あのジジイすぐに雲隠れしやがる」

「コソコソ隠れてるんじゃねぇか?オラ、出てきやがれ!」

 女性がハンマーを振り回し、台上の機材群に破壊がもたらされる。

「よせよレヴィ。やりすぎるとアタシが怒られンだから」

「家賃取れねーとウチらが困るんだぜ、アタン。……ん、なんだこれ」

 レヴィを呼ばれたハンマーの女性が、足元に落ちていた眼鏡を取り上げる。偽装壁越しに様子を伺うダンプには、それが近未来視レンズである事が確認できた。

「メガネ、だっさ。色が気持ち悪い」

「それ捨てんなよ、売るかもしれないんだからさ。ここのジジイ、昔はどっかの国のお抱え学者だったんだろ?良い値がつく道具かもしれねぇ」

「どうせジジイが垂れ流した妄言だろ。コレも大したことないって」

 レヴィは眼鏡をアタンに投げ渡した。

「それより、とっととズラかんぞ。ジジイめ、覚えてやがれ」

「ケッ、見つけたらブッ殺す!」

 レヴィはもう一回ハンマーを振り回すと、アタンと共に唾を吐いて退出した。……数分後、偽装壁が解除された。クレイに降ろされたダンプは、破壊されたラボの惨状を目し、崩れ落ちた。

「酷い、酷すぎる。この研究の価値が分からん野蛮人どもめ……これだからオークは。私の研究が……!」

 半壊したラボの中から、嗚咽の叫びがストリートに響く。たまたま通りかかった者が一瞬ギョッとしたが、何事もなかったかのように通り過ぎていった。泣き叫びたくなる事など、この下層街には至る所で転がっているのだ。下層民は遥か上空に流れる空中運河と、その中を遊泳する上級魚民たちを見上げ、ため息をこぼし帰路を急いだ。




 ポリス・アルキオネ。宇宙広しといえど、これほどの栄華と繁栄を築いた宇宙都市は他に三つとない。魔王の襲来、暗黒銀河帝国の陰謀、幾度に渡る宇宙規模の大戦を生き抜き、今では亜人達にとっての理想卿的国家として銀河中に名を馳せていた。

 そんな輝かしい都市にも、当然暗部は存在する。上層からは運河と巨大偽装壁によって遮られたその下に、犯罪都市アンダー・アルキオネが存在する。亜人のはみだし者、暴力を抑えきれぬ者たち、犯罪者、かつて銀河帝国に仕えた者たちの末裔――最初は少数だった集落が、いつしか上層の者たちさえ干渉できぬほどの巨大社会を築き上げていたのだ。

 そんなアンダーの街路は、当然喧騒に満ちている。ゴブリンらの火遊びが街を朱色に照らし、オーガやサイクロプスといった巨体が至る所で喧嘩をしている。道路の隅では落ちぶれたエルフが自作薬物でラリっており、ノームとミ=ゴの技術集団が怪しげな犯罪計画を練っている。そして、そんな街中を、二人のオーク女性が足を広げて歩いていた。見るからに不機嫌そうな様子である。

「大した額にはならないかもって思ったけどよ、買い取り拒否ってことあるか?あのジジイ、やっぱりインチキ野郎だぜ」

 アタンの愚痴をレヴィが聞き流す。右手でつい先ほど拒否られたださい眼鏡をくるくる回している。

「……ってかさァ、今月カネ入んなかったらウチら危機でしょ。あと40日までにジジイが捕まるか分かんねぇし」

「アタシら、そろそろ別の稼ぎ口探さなきゃヤバイかもね」

 不平不満を言い合いながら歩く二人。その時、ふとレヴィは、手に持った眼鏡を特に理由なく付けてみた。その姿を見て、アタンが笑った。

「ヤバ、面白。なんで付けちゃったの?ちゃんと前、見える?」

「うざ。……アタン、あんた何拾ってんの?」

「拾って……え?ん、なんか落ちてっし」

 レヴィの発言を聞いて足元を見ると、確かに光るものが落ちている。アンダー特有の暗さで、拾ってみないと良く見えない。アタンがそれを拾った時、レヴィのレンズ越しの視界には、既にその先の姿が見えていた。

「すっげ、1000ポンベじゃん。よく拾ったね」

「1000……?嘘、ホントだ!1000ポンベじゃん!なんで分かったの?」

「なんでって……アンタが自慢してきたんでしょ」

 レヴィは困惑し、アタンから目を背けた。すると、丁度その時視界にいたゴブリンの頭が爆ぜた。レンズを外して良く見ると、ゴブリンは着火したダイナマイトを抱えて駆けているところだった。

「あ、アイツ、もう死ぬ……」

「マジ?」

 レヴィが指を差した数秒後……ダイナマイトが爆発し、ゴブリンの頭が爆ぜた。レヴィが前もって見た光景通りに。彼女たちは元々暴力の現場にいたので、その光景自体は特にショックはなかった。むしろレヴィの中には、何か特別な力を得た高揚感が湧きだし始めていた。

「アンタさ……いや、その眼鏡か?」

「うん、これ……視えるわ。未来」

 二人は息を呑んだ。ため息交じりに話していた、メイクマネーの手段が降りてきたような気がしたからだ。未来を視る眼鏡。これがあれば、あのジジイから得られる僅かな家賃よりも遥かに高額なカネが得られる。成り上がれる。

「なあ……行こうぜアタン。アタシらの時代がついに来たんだよ」

「まずはどうする?どっから行く?」

「最初はまあ……カジノっしょ。未来視えれば勝てるでしょ」

 先ほどまでとは一転、軽快に彼女たちは駆けだした。たまたま邪魔だったノームやゴブリンたちは、オークの手にするハンマーやナックルダスターの餌食となった。彼女たちの視界の先は、明るい未来そのものであった。




「……よし、発信機は生きているな」

 半壊したラボにて。ギリギリ原型を保つ椅子に座り、ダンプは腕を組んだ。

「こんな事もあろうかと仕込んでおいて正解だった。これでいつでも回収できる」

「その回収に赴くのは私ですの……」

 傍らのクレイは白衣を脱ぎすてており、肌色よりもなお黒い、喪服を思わせるような黒衣を纏っていた。銀に輝く長髪がなければ、暗闇の中で彼女の姿を捉えるのは不可能であろう。

「私は荒事には向かんからな。君に頼るばかりになるのを申し訳なく思っている。何、君であれば造作もない事だろう。何しろ、ね」

「心得ていますわ、博士」

 ザザ……ダンプの手にする端末から、先ほどのオーク達の声が流れた。盗聴器も問題なく機能している。しかも、会話の内容から察するに、既に彼女たちは未来視の能力に気づいている。

「良いか、クレイ。私は近未来視レンズの動作サンプルが欲しい。彼女たちはもう暫く泳がせておき、欲望のままにレンズを使用してもらう。しかし、しかしだ。この街の暗部には、特にああいう装置で観測してはならないものも潜んでいるのだよ。分かるね」

「把握しております」

「そうなる前にレンズを回収してもらいたい。できれば、彼女たちも無事なまま。狂暴な連中だが、アレくらいの奴らが派遣される程度でとどまっている方が、私としてもありがたいからね」

 クレイは深々と頷くと、影の中に消えていった。アレはうまくやってくれる。端末からは、カジノに興じるオーク達の喜声。愚鈍なれど真正の悪ではない者たち。実験の材料にさせてもらう詫びに、せめて僅かな間だけは楽しむといい。

 かび臭いラボの中で、ダンプは独り珈琲を啜った。天井に描かれた五芒星の中の瞳が、苛むように老人を睨んだ。



この作品はむつぎはじめ様主催の【サイエンス・ファンタジー ワンシーンカットアップ大賞】の参加作品です。


スキル:浪費癖搭載につき、万年金欠です。 サポートいただいたお金は主に最低限度のタノシイ生活のために使います。