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[後編]瀬戸内の太陽で乾いた糸がつむぐ布-広島県/備後絣-

日本諸国テキスタイル物産店の広報紙「民ノ布」にてご紹介する「備後絣(びんごがすり)」は広島県福山市の伝統布です。
広島県の伝統的工芸品にも指定されている「備後絣」は江戸時代末期にうまれた絣(かすり)の一種。絣糸と呼ばれる、あらかじめ染めた糸を経糸や緯糸に使ってかすれたような素朴な柄を織り上げていくのが特徴です。
福岡の久留米絣や、愛媛の伊予絣とともに「日本三大絣」にも数えられる備後絣ですが、今回は昭和30年代から備後絣を手がける「森田織物」で二代目の森田和幸さんに、おはなしを伺いました。

※前半はこちらです。


伝統布の「作り手」と「伝え手」

民さん(以下/民)
ここからはインタビュー後編です。
森田織物の職人、森田さんに
引き続きお話をお聞きしていきます。

森田和幸さん(以下/森田)
よろしくお願いします。


もう一人、備後絣に関わる方にも
ここからは加わっていただきます。
岡山県笠岡市で和布問屋「番匠」の
二代目として活動されている
小林光次郎さんです。
よろしくお願いします。

小林光次郎さん(以下/小林)
どうぞよろしくお願いします。

「作り手」の森田さんと、「伝え手」の小林さん(右)


小林さんがされている「和布問屋」は
和布(わふ)、つまり、日本で織られた布を
専門に取り扱っているんでしょうか。

小林
そうなんです。西日本の和布を中心として
いろいろな地域の国産の布地を「番匠」では
お取り扱いさせていただいています。
その中でも備後絣は特別で、
「番匠」の原点となった布でもあるんです。


和布問屋そのものがめずらしいと
思うんですが、どんなお仕事なんですか?

小林
「番匠」は先代の父が1990年に創業して
30年以上になります。
父が勤めていた呉服問屋の倒産を期に独立して
備後絣の産地 広島県福山市と隣り合わせた
岡山県笠岡市を拠点としています。
各地の織元と直接やりとりして
さまざまな種類の布地を取り揃え
全国の小売店やデザイナーさんに
一反ずつ手売りしながら、
和布の魅力を広めるのも仕事です。


小林さんが家業を継いだきっかけは?

小林
高校卒業後、県外で働いていましたが
日本の伝統を扱う仕事に興味がありましたし
父の仕事を間近で見てきて、父が築いたものを
一代でなくしてしまうのは寂しくて。
26歳のときに、後を継ぎたいと父に伝えました。

父がこだわったのは、行商でした。
日本古来の美しい反物を自分たちの手で
全国のお客様に届けること。
ただ売るだけじゃなく、直接、手から手へと
反物をお渡ししてその魅力を伝えたい
という想いがあったんじゃないかと思います。

商材も、最初は備後絣一本でしたが
私が番匠の仕事に関わり始めたころには
備後絣以外の伝統工芸布や古布も
取り扱うようになっていて
父の後について、全国各地を行商しました。
そのようにして父とともに仕事をする中で
「需要減でひっそりと消えていきつつある
日本各地の素晴らしい織物を
微力ながらお客様へ提案し、後世に残したい」
という想いを強く持ちました。


手から手へと、直接お渡しする
「行商」を大切にされてきたんですね。
備後絣については、どんな想いをお持ちですか?

小林
備後絣は、私どもにとって一番身近な和布です。
何十もの工程を3か月以上かけて
手間ひまかけて織り上げていく織物で
機械織りなのに手織りのような風合いを持つ
その温かさと素朴さに魅了されましたね。

ただ、森田さんのお話にもあったと思いますが
昭和30年代に絣の全国トップシェアを誇った
備後絣は、衰退の一途をたどって
私が会社を受け継いだ頃には織元が
たった2社だけになっていたんですね。
「このままなくなってしまうのか」と
備後絣を次の世代に残したいという想いが
ますます強くなっていきました。

染色場にて。工場に顔を出し、対話することを大切にしている。


作るだけじゃなくて、使ってもらうために
伝えることも大切ですもんね。
番匠という問屋さんがいることで
森田さんや織元のものづくりの良さを
いろんな方に知っていただく
きっかけが増えているんでしょうか。

森田
そうですね。うちでが手がける生地は
全盛期は着物用でしたが、洋装化が進んで
広幅の生地製造に切り替え、そこから
生地の用途も広がっていきました。
アパレルで使われることがいまも一番多いですが
それ以外にも寝具などのインテリア用や小物、
内装などでも使ってもらえるようになりました。
用途が広がっている一方で、
リピーターの方も増えていると思います。

小林
消費のあり方も変わってきたように思います。
ご自身でハンドメイドされるような個人など
良い生地を探しているお客様は実際多いんです。
でも、伝統布などの「良い生地」って
手芸用品店などの店頭ではなかなか売ってないし
手に取る機会も少ないですよね。

番匠では、行商や卸に加えてネットショップも
しているのですが、日本だけでなく海外からも
オーダーいただくこともあったりします。
お客様のニーズにより応えられるように
扱う生地も少しずつ増やしていきたいですね。

備後絣のリブランディングと恩返し


小林
備後絣といえば、もうひとつ
ご紹介したいことがあるんですけど
番匠独自の視点で備後絣を捉えなおした
備後節織」というブランドを
2013年冬からスタートしたんです。


ええっ、新ブランド!?
「備後絣」と「備後節織」の違いって
何でしょうか。

小林
番匠で扱っている備後絣は、
森田織物さんと橘高兄弟商会さんの
織元2社から仕入れて販売しています。
「備後節織」を始めたきっかけは、
無地の備後絣をもっと押し出したい、
という気持ちでした。

これからの備後絣を自分なりに
どう支えようかと考えた時、
準備が大変な割に単価が低い
「柄物」を押し出すよりも、
「無地」の良いところを見いだして
プッシュしたいという思いがあったんです。

国内の紡績工場で撚り方を指定して独自の糸をオーダーしているそう。


「無地」の備後絣の良さって
どんなところでしょうか?

小林
既存の備後絣の中でも特に
「ネップ」という節をもつ
風合いの良いものが一番特徴的でしたね。
ほかの生地にはない価値がある
と思えたので、ネップが際立つ生地を
選んで「節織」という名前を付けました。

そういう経緯で、備後絣から派生して
スタートしたのが「備後節織」で、
仕入れて販売するだけの関係性から一歩進んで
織元へ少しでも還元したいという想いで始めた
リブランディング プロジェクトなんです。
森田さんと橘高さんという二人の職人に
見守っていただきながら続けています。


なるほど。
プロジェクトが始まって8年ですね。
反響はいかがですか?

小林
備後節織の種類は、増えました。
無地生地の種類が一番豊富で、色もさまざま。
薄地、普通地、中厚地など厚み違いで
用途に合わせて選んでいただけます。

また、通常なら綿100%の糸を使うところ
綿と麻の混紡糸を使用した春夏向け生地や、
剣道着や柔道着として使われる
耐久性にすぐれた厚地の「刺織」、
糸の「節」がより強く、ランダムに出た
ざっくりとした風合いの「太節」など、
糸と織り方を工夫したものもあります。

備後節織の生地見本帳。ロゴや機屋のスタンプも設えた。

森田
少しずつ種類を増やしてきた一方で、
実は直面している問題もあって。
それは、天然染料の供給を支えている
職人さんの高齢化と引退。
父の代からずっとお願いしている柿渋染めの染料が
職人の引退で、もうすぐ入手できなくなります。
そうすると、これまで柿渋染めの糸で
作ってきていた柄がすべて織れなくなる。

小林
柿渋染め職人さんの引退は
避けられないとはいえ、とても残念で…。
染料そのものも高騰して、生地の価格に
跳ね返ってきますし、これまでどおりの
価格でご提供できないので
廃番が避けられない生地も出てきます。

ほんと、いろんな職人さんが関わって
備後絣ができているんだなぁと、
改めて思うとともに、どうやって
備後絣らしさを未来に残し、
伝えていくかがこれからの課題ですね。

〈作り手による生地解説 後編 まとめ〉


家業を継いで20年以上という森田織物の
2代目、森田和幸さんのお話 後編 では
備後絣の魅力を全国に広める和布問屋
「番匠」二代目の小林さんとともに
備後絣を作り、伝えていく大変さと
やりがいについてお話を聞きました。

「すばらしい手仕事を後世に残したい」。
その想いで、備後絣を生み出し、伝える
仕事を受け継いだ森田さんと小林さん。

天日干しの絣糸にふり注いだ瀬戸内の
太陽の温かさと、その糸が織りなす
素朴でやわらかい風合いを
手から手へ、渡し続けていけるように。
「作り手」と「伝え手」の二人三脚は
これからも続きます。


森田織物(広島県福山市)
取材日:2021年9月2日
取材・執筆:杉谷紗香(piknik/民ノ布編集室)
撮影:岩崎恵子(民ノ布編集室)


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