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手放すことでうまれる、すこやかな未来

伝統的な工芸技術の維持が日本において課題とされる中、縫製産業の継承も実は重要な問題なんですが、その意義を十分に理解している人はまだまだ少ないのが現状です。

世界の工場だったかつての名残はほぼ消えつつありますが、それでもなお日本の生産技術は世界に対して優れているとなんとなく思っている人はまだまだ多い印象。

私はアパレル、しかも産業的に言えば極小ロットの小さな小さな世界しか知らないので大きいこと言える立場ではありません。
けれど、20年近く縫製の現場と関わりを持つ者として思うのは、品質と生産能力、そして工賃のバランスがここ1、2年で急激に崩れてきたということ。

少し前まで「品質がいいのに手頃な工賃」だったのが、今はもう「品質は申し分ないからまぁこの工賃になるか」になってしまった。
そしてもうすぐ「この程度の品質なのに高い」になるのが目に見えている。

”なってしまった”と書いたのは、価格が上がることに文句をつけた訳ではなく、ものづくりにおける日本の国際的な優位性や日本製のよいイメージが失われたという意味。

これは、品質を担保していた熟練工やパーツ縫いを担っていた内職さんがコロナきっかけで廃業し、日本に仕事と学びを求めて来日する外国人実習生が円安や労働環境の問題で少なくなったからに他成りません。
今まで彼らに多くのパートを任せてきた日本人従事者の技術が、毎日何百枚と捌いている海外の若者達に勝るとは正直言い難いですよね。(モラル面は置いといて)

こうなってくると、すぐに生産を海外に移すとかいう話になりがちですが、私はここで違う提案をしたいのです。

大量生産を手放しませんか?

日本に残る数少ない日本人縫製従事者達は、丸縫い(ひとりで最初から最後まで縫い上げること)の鍛錬をし、仕立て職人としての地位と仕事を取り戻す。
そして、消費のスピードを落としつつも一人当たりの衣服費を下げないような価値観を広め、ロングライフスタイルを日本が率先して実証していく、みたいな世界線。

絵空事を。と笑う人も居るだろうけど、私は本気でそっちの未来を望みます。

望むだけじゃ結局のこころ傍観者のままなので、早速自社のブランドみんふで実践をはじめています。

コロナ禍で縫製場を変えざるを得ず、半強制的にリブランディングせねばならなかったことが今となってはプラスに働いたかもしれません。

春から仕事をお願いしている山陰の縫製工場では、ひとりの方にすべての縫製をお任せするスタイルを選びました。

彼女がみんふの全商品を手掛けています。


縫製技術は道具の選定や糸の使い方、針目の正確さなどの細かな技術が求められます。縫製の組み立て方にはセンスも必要です。
効率的でキレイに上がるよう考えるのも経験が必要な為、丸縫いできる人は限られるのですが、それでも「ひとが責任を持って1着1着縫っている」という事実をほんのり浮かび上がらせて、押し付けがましくなく意識してもらえるようにしたいのです。

もちろん、先方にもこちらにもその方ひとりに納期がのしかかるというデメリットはあります。
先方がプレッシャーに思ってしまうなら考え直さねばなりませんが、がんばってみると言ってくれた以上はこちらも信頼して任せ切るつもりです。
工場には縫いに集中してもらうため、仕上げパートを縫製工場から切り離し、福祉作業所に検品と袋詰めをお願いしたり…実験は今後も続いていきます。


服って、植物から出来てるし、人の手によって作られてるって忘れがち。


生地と違って、国や文化の違いで差別化出来ないのが縫製。

だからついつい「機械みたいな精密さ」だけを求めてしまいがちですが、縫製は、今も昔もそして当面人の手によって行われる行為です。
家で縫うのも工場で丸縫いするのも、マクロでみると同じなんですが、工場で作っていると聞くと一気に距離が生まれてしまうのは何故でしょう。

それは、今まで裏側を知ってもらう必要がなかった分、伝える努力を怠っていたからだと思います。
でも今後放っておくと近いうちに産業としての国内縫製は消えゆくものになってしまいます。

微々たるものとわかっていても、何とか精密さ以外の価値も伝えられるよう、これからも真摯に工場とお客様に向き合っていきます。



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