白いカーネーション

母は病気がちな人だった。僕が物心ついた時にはもう病院通いをしていて、よくバスに乗って一緒に出掛けた。最初は交通事故の後遺症であるむちうちの治療で、母が機械に首を吊り上げられている間、僕は待合室で持ってきた絵本など読みながら過ごす。おとなしく待っていると、帰りにスーパーでなにかしらご褒美を買って貰えたのだ。ガムとかお菓子とか、まぁその程度のものではあったけれど。そのうちに甲状腺機能が低下し、さらには帯状疱疹や腎臓病を患ったりと、母の体がその後健康な状態に戻ることは二度となかった。台所のテーブルにはいつも薬の山が出来ていたし、寝室の布団は敷きっぱなしだった。家族が揃って食卓を囲むこともなくなり、夫婦の閨房での営みも絶えて久しかったに違いない。それでもずっと寝たきりということではなくて、一応最低限の家事はこなし、多少元気になると友達と遊びに出かけたりもする。そういう時に新しく買った洋服を着ていくのが、母の唯一の楽しみだった。けれども、普段は具合が悪いと横になってばかりいる母の外出を、父はもちろん喜ばなかった。母の帰りが遅くなると必ずひどい喧嘩になる。皿やグラスがいくつも割れて、それで母は、やがて息子を連れていくようになった。もっとも、途中までだが。僕は大抵、母の女友達の家に預けられた。



仮に今、この人のことをせっちゃんと呼ぶ。せっちゃんは独身で母よりかなり若く、そして元気だった。母が出かけるのは、デパートのレストランで働いていたせっちゃんの休みに合わせていたのかもしれない。母は夕方、父がまだ仕事に出かけている間に家を出て、僕を彼女に預けてから何処へともなく消える。

「いつも悪いわね」と、母が言うとせっちゃんは、いいのよ、と共犯者のように笑った。

彼女にはボーイフレンドがいて、時々僕と鉢合わせをすることもあったが嫌な顔ひとつ見せなかった。料理が上手で、ムニエルやカルボナーラ、ハヤシライスといったメニューを初めて食べたのもこの家だったと思う。同じ形、同じ間取りの文化住宅が長屋のように並んだうちの一軒で、せっちゃんは玄関の引き戸の脇でバジルやフェンネル、イタリアンパセリといった香草類を育てていた。料理をしていると、時々この香草を取ってくるよう頼まれることがあったが、最初のうちはそれぞれの葉の形が判別できずによく間違えたものだ。なにしろ、僕はまだ十歳くらいだった。

ある日、バジルを取りに外に出ると、夕暮れの赤味を帯びた世界のなかでさらに真っ赤なカーネーションが咲いているのを見つける。何度も見ていたはずなのに、それまで気付かなかったのが不思議だった。もしかしたらあれは、母の日の頃だったのかもしれない。学校で配られた赤と白の造花のカーネーションのことが頭にあったのだろうか。母親のいない子供には白いカーネーションが当てがわれる、思えば残酷な行事だった。

「カーネーションなんか前からあったっけ」と、僕はガラガラと煩い音を立てる引き戸の外からせっちゃんに訊ねた。

「あったわよ」

すると家の奥から、歌うような彼女の声が返ってくる。

「お母さんにあげるの」

「僕もあげたい」

まだ灯りのついていない家はしんとして薄暗かった。やがてエプロンで手を拭きながら玄関まで出てきたせっちゃんが、僕を見下ろして言った。

「だから」と、冷たい声で。

「一本ちょうだい」

「それは駄目よ」

せっちゃんに何かお願いをして、拒絶された記憶は他にはない。ちょうどその時、ボーイフレンドの車が長屋の敷地に入ってきて話しは立ち消えになったけれど、僕は何故だかひどく悲しくてしばらく口がきけなかった。

「どうした坊主、今日はえらく静かだな」

ボーイフレンドの車はこれまた赤いスポーツカーで、中古で安く譲ってもらったと言っていたけれど、僕にはとても下品な色に見えた。彼は大の珈琲好きで、その日も買ってきた豆をせっちゃんに渡していた。確かマンデリンだった。

「いい香り」と、彼女はそれを喜び、三人分の珈琲を淹れてくれたけれど苦くて飲めなかったのを覚えている。




僕を預けた後で母がどこで何をしていたのか、はっきりしたことは分からない。僕はせっちゃんと料理をしたり、勉強を見て貰ったり、一緒にテレビを観たりして過ごす時間が好きだったから、そんなことはほとんど気にしたこともなかった。でもある日、父が運転する車に乗っている時に察したのは男の影だ。ラジオから流れてきた歌手の、歌ではなくその苗字に父が反応して言ったのだった。

「やな名前だ」と。

もちろん、父の嫌いな単なる知り合いの名前だったのかもしれず、仕事で嫌な思いをさせられた相手だとも考えられるけれど、それが母に関することだというのは直感だった。僕は中学生になっていて、もうせっちゃんの家に預けられることもなくなっていたけれど、体調がよくなると外出する母の習慣は続いていた。決して仲のいい夫婦ではなかったから、父が母に嫉妬するなど、思ってもみないことだった。

「なんで」

僕の質問に、父はやはり答えなかった。

直接母に訊くのは流石に憚られたので、今度せっちゃんに会ったらそれとなく切り出してみようと思いながら時は流れ、その機会はついに訪れなかった。




数年後、母が亡くなった後で前夫との間に娘が、つまり義姉がいることを知らされた。葬式で再会したせっちゃんは喪服に白いカーネーションを挿し、あの頃と同じように優しく綺麗だった。告白すると、彼女がうたた寝をしている時に一度だけ、僕はその唇にそっとキスをしたことがある。








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