・まえがき 自分の産まれた季節、って、好きとか嫌いというよりも「特別」って言葉が当てはまる、というお話。夏は暑くて苦手だし、冬は寒くてイヤだし、秋は比較的マシなのに短いし、、、 人間と違って季節はものを言わないからマイナスな言葉を投げちゃうくらいにはあまり四季を楽しめない側の自分でも、春、という季節が来るたびに「あ、今年も来たんだな」と少しだけ心が弾む音が鳴るのがわかる。 そんなちょっと自分にとって特別な季節がさらにスピードを増していった4月の記録。 合言葉は「
・はじめに ↑ のつづき、です。 ・3/16 at 新宿 ↑どちらも実際に言われたことです 裏お目当てで考えてたPLEVAILが活動休止になり、後ろもジエメイ観て5分でVIDENTまで移動する方法考えたけど結局編み出せなかったので長考の末「Quubiを今月、もう一度観たい」がいちばんに来たタイミングでチケットを買い新宿へ。 4月の2マンの予行演習のようにYOLOZから入り、ほっかほかのフロアにガソリンが投入される。 より好きな音を聴きたい、音に触れたいと求めて
・まえがき 3月。 その文字を見るだけで「寂しい」って気持ちが芽生えてくる、という視点からみると間違いなく唯一無二の月だと思う。基本的には平和なこの国で育っていれば、この月になれば誰しも”別れ”というものを通って育つ。 昔、ちょうど卒業式の日が誕生日だった友人が居た。彼に寄せ書きを頼まれた。縦に並ぶ「元気でね」「頑張ってね」という、自分のアルバムにも並んでいたありきたりな別れの言葉の横に「お誕生日おめでとう」という誰かの筆跡を見つけて、思わず「良い一年にしてね」と
・まえがき 時は数年前。 投げられたボールを金属の棒で打ち返す野蛮な陽キャ部活と、読書の虫のハイブリットとして生きていた頃。図書室の新書はだいたい制覇していた僕が、唯一、あまりにもつまらなくて途中で読むことを中断した小説がある。 読破した感想は忘れるけれど、読破を「しなかった」ことは滅多にないから、その"つまらないもの"から唯一収穫として得たのが、チャットモンチーというバンドの「風吹けば恋」という曲の存在だったことも含めて、しっかりと記憶に残っている。 察しの
・まえがき 年を重ねるとだんだん「新年を迎える」という事象に対する感動とか心持ちが薄れてくるんだよな。 年が明けたからどうしたいとか、どうありたいとか、年を越える前にどうしておきたいとか。行動を思考を変えたいと思えども、特別ではない一日として溶けていってしまう。 年を跨いでも、積み残した気持ちが山ほどあって、その咀嚼に専念したひと月。2023年13月のつもりで記していく。 ・1/2~4 at 渋谷 12月、あまりにも疲弊していた気持ちの整理のためにちょっと間を
・まえおき こんばんは。 蘇生の呪文は「ご報告」と「写真集」、大妖怪セイユウスキーことぴぃ高ちゃんと申します。 お前、もっと掘って書くべき日の話があるだろってツッコミはとりあえず受け付けないことにして、ちょっとした良い経験をさせていただいた引き換えに課題文の提出を求められたため久々にトピックを絞って筆を取ることになりました。 と、言ってももはや地下に染まった私のことを知らない人も多かろう。 ということで俺、声優オタク時代のスペック。 好きな女性声優: 深川芹
↓ コレのつづきです ・12/17 at 新宿 新宿BLAZEでの群青の世界。数ヶ月前に自分の気持ちに深い楔を打ちこんだ最後の瞬間。閉じ込めていたビデオテープを巻き戻すかのような気持ちで入ったのを覚えている。 何度もライブを観てきたグループにいくつかある、フォーメーションについた瞬間に全てを察する曲。そのうちのひとつだと分かった瞬間、「ああ、ここに幕を引き直して、本当に良かった」という気持ちが溢れて止まらなかった。一度目の幕引き、この場所に居たいと望むようになった日
・まえがき 言葉は穴の開いた砂袋のようなもので、届けるころには大事なものまで巻き込んで削ぎ落されて軽くなってしまう。だからこそ、思いたったときに言葉に残しておくべきだ。 そうとは分かっていながらもなかなか言葉に出来ず、重たい出来事はどんどん上流から流れてくるから穴だけが広がり続けて「書けない」状態になってしまった前の月からなにひとつ状況が変わらなかった、そんなひと月。 書けない原因は言わずもがな、この一か月広がり続けた穴のせい。 この穴が広がり切るのを待って書き
・まえがき コンスタントに文を書く習慣をここ3年くらい続けているからこそ、「あ、書けない」と思うタイミングが必ず年に一度は来るんだよね。これは精神的な負荷の総量には全く関係なく、前触れもなく、急にやってくるからどうしようもない。 厄介なのはこの「書けない」という焦りに似た気持ちが喉に刺さった小骨みたいに転がり続けることと、さっきも言った精神的な負荷が、書けなくなるきっかけにはならないくせに、筆だけは重くすること。このちょっとした違和感と負荷と連れ添って過ごしたひと月の
・まえがき(2) これの続き。 一度時計の針をとめたもの、実はもう一つあって、それとどう付き合ったのかと、急激に生えた視点ももう一つ。そのことについて書いていく。 ・10/16 at 幕張 ごめんなさい、ホントに気持ちよかったのでこれだけは書かせて。 2005年からこの弱いチームの草野球、何度も不平不満たらたら零しながら観てるけど、なんだかんだこういう気持ちのいい試合をしてくるのがクセになっちゃうんだよな……千葉ロッテマリーンズはDV彼氏。来年はシーズン終盤
・まえがき ナンバリングして「日記」って形にまとめるようになったのは今年からなんだけど、それよりもずっと前から細かい心の機微とかをしたためる習慣はあったから、文章の積み重ねというものは実は4年分くらいあったりするんだよね、というお話から。 過去の自分の稚拙さに(いまもたいがい稚拙だけど)耐えながらそれにじっと向き合いたくなるタイミングってあるよね、と見返してみると、どうやら秋にリセットボタンを押したがる傾向があるらしい。 ずっとやっていたゲームのアニバーサリー期間が
・まえがき 四季のなかで最も最高な季節を知らない日本の気候が許せないと思いませんか?私は許せない。暑すぎてイヤになるけどそれなりに思い出深い夏の余熱を保ちつつ過ごしやすくなる秋。もっと長くあるべき。 そんな気候の落ち着きとともに、ある程度気持ちも落ち着けて、夏から始まったこの過ごし方からあっという間に過ぎていった1年間を整理することに徹した9月について、記していく。 ・9/2 at 宇都宮 初めて行く場所って、きっかけとかもそうだけど「誰に」連れてきてもらった場
・まえがき 時は遡り、2022年8月7日。 人生で通ってきたいくつかのターニングポイントがあるけど、間違いなく今の僕に直結するのはここ。いちばん遠くのブロックから本来の目当てを忘れて見入ってしまったあの日、あの人、あのポニーテール。それからもう1年が経ったらしい。 この一年、予想もつかないくらいに心のスペースを占めるようになった人たちや、音との出会いがあったことを思い出しながら、暑さに9割負けて走ってきた今年の夏、後半戦の記録。かき氷のように思い出が削れて溶けてい
これは時は平安、文化が花開いたこの時期から日本には四季というものがあり、そのどれもがクソということを簡潔に示した有名な一説である。 そのなかでも雅と教養を身に着けた文化人の代表と名高い清少納言すら「シンプルにくたばれ」と切り捨てるのがこの夏という季節。陰キャ文化人の僕も、体質的には相当この季節が苦手。 ……なんだけど世間的にはイベントに適した季節とされているこの季節、少しでも好きな夏を見つけるために一歩外に出て、見つけた夏の思い出を書いていこうと思う。 ・7/1
・まえおき ↑の続きです 手軽に読める媒体を目指しているので分割、長くならないようにするにはライブ行かなくなる以外の択がないから泣いてる ・6/12 at 渋谷 たまたま有休にしてたら空から降ってきたワンマンライブ。 素晴らしい壮行会。この日に有休消化ぶつけてた天才に褒め言葉をあげたいね、situasion欲しかったもの全部載せ、ホントにありがとうございました。フライデーナイトのイントロで奇声をあげてしまい申し訳ありません 良い音の場所、ただでさえ楽しい
6月、世間では梅雨と分類される時期。 日本の端っこに住んでいた僕にとって梅雨といえばもっとわかりやすく、長い季節だった。 一度降ると必ず大きな水たまりを作るほどの大粒の雨がグラウンドを濡らし、その後の練習メニューに一喜一憂する日々。 あの頃も雨は嫌いだったけど、夏に向けてはやる気持ちを冷ますには良かったんじゃないかなと思っている。 上京してから短く、曖昧になった梅雨。 色々な熱を冷ますには物足りない雨量のなか、あっという間だった上半期最後の月について。長す