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This is the Base Ball Bear.「永遠に続く、音への片想い」

※え?今更?感あるかもしれないですがこのことは流石に書いとかないかな〜と思い立って半分くらい書いてた下書きを実家にいる期間で仕上げたものになります。ちょうど2ヶ月なので時効ギリギリみたいなもんだし、セーフ!と思って読んでいただければ幸いです。



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・2011/??/?? 00:00:00~



世界で最も面白い「野球マンガ」は何?


 僕と同じ世代を生きてきた人間であれば、間違いなくそのファーストチョイスは「MAJOR」であったり、先日惜しまれつつ完結した「ダイヤのA」なのではないか。


 前者は1人の野球選手のリトルリーグからメジャーリーグに至るまでの人間ドラマであり、後者は甲子園という、高校球児が夢見る舞台を目指す「部活に命を懸けた」物語。


 描き方は違えど、この2作品は根底に野球というスポーツに賭けるキャラクター達の「熱」や、「王道的展開」を共通項として持っている。
 当然、僕も野球というスポーツを愛する人間としてこの2作品にはしっかり触れていて、その世界観に魅了されたひとりである。



 しかし、世界で最も面白い「野球マンガ」は何か?という問いに対するファーストチョイスに、この2つは当てはまらない。
僕には、それ以上に心を揺さぶられた作品がある。


それが「おおきく振りかぶって」


 新設されたとある高校の野球部を舞台にした物語である。


 この作品に心惹かれた理由はその当時、野球というスポーツをテーマにしたほかの作品になかった「平熱感」にある。


 登場人物の野球に触れたきっかけ、あくまで「野球部員である前に高校生」であることを意識させる展開、「何故、この練習をするのか」を説明する視点。


 ひたすらに根性、努力、友情を意識させる常時40℃超の情熱的な作品に辟易していた僕にとって、この「36.5℃の体温に近い熱」との出会いは衝撃的なもので、思い返せば「視座の違いによって、物語の描かれ方が変わる」という物語の"癖"をはじめて植え付けた出来事、と言える。


 そんな作品との出会いと並行して、僕の人生に大きな影響を与えた出会いが存在した。「おおきく振りかぶって」テレビアニメ第一期のOPテーマ「ドラマチック」



 この楽曲を歌っている「Base Ball Bear」というロックバンド。

 僕が11年聴き続けた「音楽」であり、文字通り「青春」を共に過ごしてきた概念のひとつである。


 11年前といえば、だいたい中学生になったか、なっていないかの時期だろうか。


 その頃はまだアイドルを推していたし、アニメなんてジャンプ系統のもの以外は縁遠いものだったし、後々色々と心にシミを作るアイドルマスターとかいうよく分からないものはアの字も知らなかった。


 11年が経つと好き嫌いはガラリと入れ替わり、大抵の物が手から離れていく。

「懐かしい」

「久しぶり」

 そんなラベルを貼って隅に押し込んだ数多の概念を横目に、抱え続けた唯一無二。それが僕にとってのBase Ball Bear なのである。


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・2022/11/10 18:25:00



 2022年11月10日。

 そんなBase Ball Bearの、実に10年ぶりの日本武道館公演に参加した。

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 数多のアーティスト達や、そのファンが一度は夢に見るこの場所でのライブ。そんな場所に、これだけのブランクを数えながら、それでいてコンスタントに活動を続けながら再び戻ってくるグループとなるとそう多くは居ないだろう。


 この10年の間に、彼らと同世代 ー即ち、リスナーである僕らの青春に寄り添ってきたー 数多くのバンドが解散であったり、活動休止であったりといった、音楽を止める決断をしてきた。


 そんな中、彼らは変わらずに音を鳴らし続けてきた。大きな変化といえば、ヘッドセットの右側からレスポールの音が聞こえなくなったくらいだろうか。その10年間、いや、結成から20年の積み重ねの先の、勤続表彰のような舞台。そのお裾分けを貰いに行くような気持ちで九段下の坂道を通り抜け、入場。

 多くのCDジャケットに用いられてきた、彼らの象徴とも言える電波塔を模ったセットを文字通り目の前にして、昂る気持ちを抑えていた。


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・201?/11/17 10:17:17 


 お馴染みの出囃子、XTCの「Making Plans for Nigel」を纏い現れた3人が、少しのミーティングを挟んで鳴らした一曲目は「17才」


 青春のど真ん中である17歳の日々を「檸檬が弾けるような日々」と例えたフレーズがぐさりと突き刺さったあの頃、僕は多分14歳くらいだっただろうか。それからあっという間に過ぎていった17歳の出来事を思い出すことは出来ないけれど、17歳になったその日にこの曲を聴いた、檸檬が弾けるくらいの一瞬の出来事は鮮明に覚えている。


「檸檬が弾けるような日々」とは、染み込んだ檸檬の味のことより、弾けた一瞬の記憶が強く残っていることを指している。リスナーとして、11年目にして、この曲の新たな解釈を得た。

 続いて「DIARY KEY」

 去年20年目の節目に合わせるようにリリースされた「集大成」感溢れるこの楽曲。ギター・ドラム・ベースの構成にこだわり、鍵盤や同期の音に頼らず、どこまでやれるかを追求してきたBase Ball Bearが音を削って仕掛けてくるフィジカル勝負。長年追ってる身にはひとたまりもない。


 重ねた月日を感じさせる演奏、随所に出てくる歌詞の小出節。

 この曲を聴くたびに湧き上がる、隠したつもりは無いはずのこのバンドへの気持ちを閉じ込めた心の日記の鍵を開ける音は、この日も最後のサビの直前に挟まるギターの不協和音が代弁してくれた。


「TO ALLIVE BY YOUR SIDE」


 連れ添った音楽はいつも君の側にあるんだよ。そう語りかけてくるかのような最後のコーラスを浴び、二曲目にして感慨のバロメータは頂点に近づいていた。


・2022/11/11 01:05:15


 そんなこの日のセットリストは、17才から記してきた日記を読み返すような意図を感じた。

 頭2曲の並びが「日記のページを捲る前のちょっとした回想や、日記を書く以前の出来事に思いを馳せる時間」だとしたら、「LOVE MATHEMATICS」からは日記の内容に踏み込んでいく。

 恋を数式に例えた遊び心に溢れた歌詞に合わせて「1.2.3.4.5…」と指折りしていると、目の前で「もっと来い!」と煽るようにドラム、堀之内大介氏が頷きかけてくる。最近通うようになった現場仕込みの大きな動きでこちらも応える。歌詞の中の男が「数学似だが、公式にない」恋に熱狂していくにつれて、会場全体に熱狂が広がっていった。


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・2006/04/12 00:00:00


 「武道館は延長金が厳しくて……」

 そう言いつつも普段と変わらないくらいの尺を使ったMCで笑いを誘ったあとに披露されたのはメジャーデビュー曲「GIRL FRIEND」

 ここまでの4曲で檸檬は1回弾けて2回齧られていることに気付いてひとりで少しクスっと笑いながら、メジャーデビューからブレない小出節の蓄積を真正面から受け止めた。


 ゆっくりとしたギターリフから突入していく「LOVE LETTER FROM HEART BEAT」。数式に恋を例えていた心の余裕は無くなり、衝動的に綴った"GIRL FRIEND"のこと。

 そんな彼女に向けた「ラブレター」をおそるおそる書き出すかのようなイントロから、徐々にビルドアップしていく演奏。

 文章は一度書き始めたら勢いのまま進んでいく。きっとこのラブレターは、書き終えるところまでは完璧だったのであろう。

 2番を終えてイントロのようにゆったりとしたテンポに戻り、丁寧に歌われる「カナダより彼方より あなたへ届けたい」というフレーズ。

 カナダと彼方という秀逸な韻の踏み方と、物理的にも精神的にも、あるいはその両方とも離れていって届かなかったラブレター。

 一曲でも十分完結するドラマを、セットリストという流れに組み込んで「ドラマのワンシーン」にも変えられるのがこのバンドのストロングポイントなのである。


 そして「short hair」


 日記の男が出会った髪の短いこの子は、果たして"GIRL FRIEND"と一緒なのだろうか。

 Base Ball Bearのライブでは、この曲のドラムがひとたび鳴ると、空気が変わる。


わっ、という歓声が上がるわけでも、拍手が起こるわけでも無い。

啜り泣く声や、膝から崩れ落ちる誰かがいる訳でもない。

 聴こえるのは「あ、この曲が"来る"んだ」と息を呑む僅かな音だけである。


 こんな空気感を味わえる楽曲はノリと勢いで多くの現場に行ってきた僕でも指で数える程しかない。ギター・ドラム・ベースの音を重ねていき、どんなオーケストラも敵わない荘厳さを持ち合わせて襲いかかってくる間奏を終えて、放たれるこの曲の核心。


「変わり続ける君を、変わらず見ていたいよ」


 髪の短い女の子に宛てたこのフレーズは、この10年を経てじっくりと醸成され、「Base Ball Bearを追い続けた我々の、彼らに宛てた気持ち」が乗っかって、双方向のメッセージとして昇華される。ラブソングでいて、ラブソングにとどまらない異質さこそ、この曲の空気感の正体なのであろう。


 ここで閑話休題。

 僕の音楽観だけでは無く、Base Ball Bearは性癖も作り上げた、と言っても必ずしも嘘にはならないのがこの曲の存在にある。あまりにも丁寧に描かれた「髪の短い女の子に恋をする思春期の男の心の機微」。この曲をリアルタイムで聴いて髪の短い女の子に恋をしていた、あの頃の僕の姿をフラッシュバックさせるこの曲。甘酸っぱいあの頃の気持ちをこの曲を聴きながら浸りたいという深層意識がキャラクターの好みや推し遍歴に如実に現れているのが小恥ずかしいところである。



「君の短い髪に 触れて気付いた気持ちがすべてだったあの日のこと」


この曲の最後、聞くたびに胸を締め付けられるフレーズである。


 ひとつの恋を終え、新たな出会いに踏み出していく様子を歌った「初恋」でおそらく日記はひとつの区切りを迎える。


 セットリストにおいて鍵を開けた2曲以降、4人編成でリリースされた楽曲が続いたのは偶然では無いように感じている。4人から3人の曲に組み直す過程で欠けた音は、日記に書いていない=思い出せない細部の記憶のメタファーのように感じられた。


 この曲には「天才」とべた褒めするフレーズがある、とかつて書いた記憶があるが、聴きどころは他にもある。それがギターソロ

強者は間奏とアウトロで二回刺す。歌詞という言葉よりも雄弁に語る一本のギターを網膜の隅まで焼き付けた。


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・2019/01/30 00:00:00


 一度閉じた日記を、ふとしたきっかけで、思い出したかのように開くときがある。


 Base Ball Bearにとって「ポラリス」という楽曲は、新たに続きを書き出した日記の、1ページ目のあとがきのようなものなのではないか、と感じている。

 メンバー全員が変わる変わるメインボーカルや楽器ソロを務め、ここぞとばかりに「3」という数字を意識させる歌詞。

 3人編成になったからこそ出来る、4人編成の予期せぬ解体から様々な試行錯誤を重ねて行き着いた答えとそのプロセスが凝縮された、 3人編成のための曲。そんな曲をかつて4人で辿り着いた「最大キャパ」の日本武道館をもう一度ぎっしり埋めて披露する。コレをドラマチックと言わずしてなんと言えば良いのだろうか。


 その後に続くのが「ホワイトワイライト」。インディーズ時代から存在するこのバラード。


「忘れたくない気持ちがあるなら 
忘れないよ、残しておこう 
時代に願いを置くなんてしないさ」


 変化を恐れず、変化を受け入れ続けてきたこのバンドの在り方を感じさせるラスサビ前のフレーズ。インディーズ→アルバム収録曲→4人から3人編成へと、何度も焼き増し、書き足し、描き直しを経たこの曲の果たす役割は、セットリストの中の一曲という言葉で片付けるには軽すぎる。


 続く「海へ」
 青春を綴った日記をそのまま使っていたら、余りページが切れ、2冊目の日記に移る直前の壮大な振り返りを「ホワイトワイライト」とともに果たしたこの楽曲。

「さよならは言わなくていいよ 
 失くしたものにもどっかでまた会えるのさ」


 10年ぶりに彼らが戻ってきた日本武道館という場所で歌われるのに、あまりにも相応しいフレーズ。
 僕のように懲りずに11年聴き続けてきたリスナーも、バンドのちょっとした停滞に合わせて現場から離れ、久々に帰ってきたリスナーも手放さない。そんなメッセージを感じた一曲だった。



全てが今変わっていく
 全てがはじまる。


 会場中に集まった全員の置かれた立ち位置を受け止め、日記は2冊目に入っていく。

 何気ない日常の中に変化の予兆を感じ取る様子を歌った「changes」

 「short hair」で感じた双方向の「変化」に対するメッセージとはまた違う、どちらかというとバンド側からの「変化を愛せよ、変化を見よ」という強い言葉。
 4人から3人に変化して大きくアレンジが変わったうちのひとつであるこの曲を歌う小出氏の目を、かき鳴らされるギターをじっと見つめていた。


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・2022/10/12 00:00:00

 11年という時間。

 音楽シーン全体を見渡すと毎年のようにヒット曲が生まれ、アーティスト達が入れ替わり立ち替わり注目を浴びていった。


 その中でBase Ball Bearにスポットライトが当たったことが何度あっただろうか。正直なところ追い続けている僕にも心当たりがほとんど無い、と言っても良い。

 コンスタントに曲を作り続け、ツアーを周り、大きなフェスにちゃっかり呼ばれて、しっかり仕事をこなす。俯瞰してみると平坦な道を走ってきたようなバンドヒストリーだけど、一歩足を踏み出すと、その時々で分かりやすく「作りたい作品のコンセプト」が見える。彼らの魅力は、そこにある。


 このバンドを周りの誰も知らない、という事実。

 大きなタイアップでもつけばいいのにな、思う瞬間は数知れずあった。ただ、注目を浴びすぎると「求められたもの」を作らないといけなくなってしまう。「作るもの=求められるもの」の領域まで辿り着けるアーティストなんてMr.Childrenクラスのものだろう。


 幸か不幸か、この長い期間「求められるものではなく、作りたいものを作り続けられる」立ち位置に居続けているBase Ball Bearが次に向かいたい場所を示した最新曲「海になりたい part.3」


 タイトルを目にした瞬間に「きっとこんな曲が出来上がる」とイメージした通りの音と、イメージを飛び越えていった歌詞


 直前のMCで「キッズになったつもりで作った」と言っていた通り、10年前の武道館ーちょうど「part.2」がリリースされたくらいーの頃を彷彿とさせるギターリフに乗せて歌う、愛だ恋だを高らかに叫ぶには成熟しきってしまったバンドマンによる、音楽に対する永遠の片想いを綴った歌詞。

 武道館という場所で踏み込むペダル、構えるピック、握るスティックは、どんなペンや弁舌よりも雄弁に「彼らの今、鳴らしたい音は何か」を語っていた。

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・2022/11/10 19:50:46


 ここからはラストスパート、と言わんばかりに畳み掛け。リスタートを切った日記のページを続々と埋めていくターンに入る。

 13-17曲目までに共通するのは、彼らのリリースしてきたアルバムの「一曲目」を飾った、「顔」の役割を果たしてきた楽曲であるということ。


「すべては君のせいで」ライブバージョンの一音下げで披露されたこの曲。心を動かされる女性との触れ合いを「心が♯していく」と表現する小出節は、この曲が「♯する」ことで本来の姿に戻る、というギミックを内包しているように見えた。

「「それって、for 誰?」part.1」。

 4人編成最後のリリースとなり、成熟しきった4人の次の世界に期待した傑作「C2」の最初を飾った楽曲。この頃から格段に骨太になったリズム隊はさらに力を増し、ギターの音が一本減った分、よりこの曲はよりダンサブルに姿を変えた。
 そんな曲をしっかり耳に傾けると皮肉満載の歌詞が聴こえてくるのだから、このバンドは面白い。

「十字架 You and I」。
 10年前にこの武道館をステージ上も含めてダンスフロアに変えた一曲が、今度は小細工無し、音だけで魅了してやると言わんばかりに帰ってきた。

「The Cut」。

ピックを持つ手でマイクを握り、スポットライトを浴びる小出祐介。
 後のルーブル美術館を彩る画家が、若かりし頃にモデルとしたと言われる構図。

 本職のRHYMESTER無くとも披露される遊び心満載のラップをギターロックと融合させる唯一無二の音楽。10年前からは想像も出来ない手札のひとつをこの場で繰り出してきた。

 そんなラッシュの最後を飾ったのが「stairway generation」

この武道館というステージに最も相応しい曲は何か、という問いに対して「これ」と用意していたから、特徴的なベースのイントロが流れ出した瞬間の高揚は何にも変え難いものがあった。

日比谷野音では武道館公演開催の発表直後に披露されて、これからも進みづけるバンドの決意表明と、武道館のスタンドのキツイ階段、九段下の傾斜を思わせた楽曲が、20年イヤーを駆け抜けてきた彼らの階段の先にある景色を見せてくれる。ひとつの曲が見せるコントラスト。
聴く人、場所によって感じ方が変わることを認識させてくれたのは、このバンドだったということを思い出させてくれた。

 そんなライブの本編最後となったのが、僕が彼らを触れるきっかけとなった「ドラマチック」

 ふとしたきっかけで出会った一曲のタイトルは、彼らのバンドヒストリーを総括する一単語に姿を変えて、僕の前に現れた。


「また出会えそうで 一度きりのドラマ」


彼らと出会い、この日、この武道館という場所に立っていることの再現不可能性を示したこのフレーズを浴びて、去っていく彼らの背中を見つめていた。


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・YYYY/MM/DD hh:mm:ss


 全方位から鳴り止まない拍手に包まれて戻ってきた彼らがアンコール一曲目に披露したのは「風来」


 なかなか意外な選曲だな、と思っていたが、「旅」をテーマにしつつも、ツアーという形で回ることができず披露が出来なかった、というMCで腑に落ちたし、そのもどかしさをぶつけて、次のステージで、ツアーでまた音を届ける旅を続けたいという彼らの意思を受け止めた。


 後に続く「夕方ジェネレーション」。ここまでインディーズ時代にリリースされた楽曲が無かったから流石に来る、と思っていたところでこの曲。

 このバンドはメジャーデビュー以降、高速カッティングや飛び道具の音が飛び交うギター・テクニシャンの側面が出てくるから、3人編成での音作りが洗練されたものになるアルバム「C3」「DIARY KEY」のようなシンプルなアレンジに戻ろうとすると、こんな昔まで遡ることになるんだ、という気付けそうで気付けなかったことが武道館の、アンコールという最後も最後に浮かんでくるなんて、他のアーティストで果たして味わえる感覚だろうか。


 そんなBase Ball Bearというグループの歩んできた20年の最後に歌われる、かつ次の21年目に向かう入り口に歌われる曲は一体何になるのか。会場の誰もが固唾を呑んで見守っていた。

 小出氏がギターのカポの位置を変え、一音ずつ鳴らしたイントロは「ドライブ」。


20年間チューニングを繰り返し、走り続けてきたバンドの着実な車体の歩みを示しているとも、思い出が積み重なる記憶媒体のことを示しているとも取れるタイトルでゆっくりと歌われるのは、日常の心の機微を許しながら生きていこうというメッセージ。


「生きている音がする 
 やんでも また再生しよう」


 青春を歌い続けた彼らが成熟し、再び戻ってきた大舞台で記した壮大なエンドロール。 

 まるで日常に溶け込むかのように曲の最後に明るくなった会場は、「暖かい」という言葉が何よりも似合う場所だった。


This is the Base Ball Bear.
 「永遠に続く、音への片想い」


 そんなタイトルを付けられた日記は、こうして2冊目の役割を終えることとなり、新しい3冊目に手をかける準備が始まった。





・あとがき


 というわけで2か月前のライブのクソ長レビューを書いてみたわけなのですが。この日、なんというか「素晴らしい」の一言では片づけられない感慨がありました。だからこそ感情の咀嚼に時間がかかりまくったというかなんというか……


 日本武道館って場所でのライブが相当特別なものである、というのは虹コンオタクの身内の様子から感じ取っていたのですが。いざ自分がそれを浴びる立場となるとこんなにも感動するものなんだなと。


 11年同じ音を聴き続ける、簡単そうに見えて相当難しい経験が出来たのはひとえにこのバンドのおかげだな、と思っています。次のツアー、日程の綾と「女性に会いたい」というエゴのせいで千秋楽だけの参加ですが相当楽しみ。


 それとこの日、「今まで生きてきた全ての運を席ガチャにぶつけてきた」(本人談)友人にも感謝を。拡大したらしっかりフリ素でした。

だいたいここら辺から観てた

 ではまた。

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