中学受験で大切なこと(父親私見です)

 次男坊の中学受験から間もなく二年が経つ。
 2019年12月現在、長男は県立高校の二年生、次男は中高一貫の私立男子校の中学二年生。二年前はダブル受験で家にピリピリと緊張感もあったけど、今年は受験もなく、文化祭やら修学旅行やら、まあ、楽しく学校生活を送れているようだ。

 さらっと書いたけれど、
「楽しく学校生活を送る」
 それが何より基本だと思うんだよね。
 基本の基。
 親として、基本にして、最大の望み。

 そりゃあね、朝自分一人で起きて、机の上はいつもきれいで、決まった時間に勉強して、スマホはほどほどで、野球部で、成績上位で、毎朝「行ってきまーす」って出て行く息子だったら、それはそれは素晴らしいけれど。

 そんな夢のようなこと。。。
 あるわけがない。。。
 ってか、うちはない。。。

 実際、中二の次男は、朝何度起こしても起きてこず、机の上は物置状態、テスト前でさえ勉強している姿は見えず、マルチメディア部というのに入っているがほぼ幽霊部員、時間があればユーチューブを見ている。
 だから親子では毎日のように衝突する。「いいかげん起きろー」「早く寝ろー」「スマホとりあげるぞー」

 でもね、毎朝学校に行ってる。
 自分から楽しいなんて言わないし、台風で学校が休みになれば大喜びするし、先生はクソだ、とか言うし。

 でもなんか楽しそうだよ。
 そういう姿を見ていると、親としてはこの学校に行けてよかったなあ、って思える。

 今通っている学校は、第3志望のすべりどめ校だった。
 そしてそれ以外に受けた中学はすべて落ちた。5戦して1勝4敗。

 今思えば、行けるとこがあってよかった。そして、この学校に行けてよかった、と素直に思える。

 でも受験真っ最中は、この学校じゃちょっとなあ、と正直思っていた。
 偏差値的に。
 学校見学に行った時、「いい学校だなぁ。こいつにはあってるなあ」とは思った。
 穏やかでガツガツしてなくて。
 生徒たちも気持ちぽっちゃり君が多いような、なんか雰囲気があってる。
 ただ、第一志望の学校よりも偏差値的には二段階か三段階低かった。

 第一志望も、伸び伸びとした校風で「温泉」と評される中高一貫男子校だった。
 もちろん偏差値だけではない、と分かってはいても、行けるものなら、目指せるものなら、親としては目指して欲しい。

 元々、自分が公立育ちだったから、子供の中学受験なんて思いもしなかった。だから長男は何の迷いも疑いもなく、家の近くの公立中学に行った。

 持って生まれた性格なのか、遺伝なのか、育ちなのかは分からないけど、長男と次男とではまったく性格が違う。
 長男はマイペースでおおらかで、あまり気にしないというか、わりと環境になじめる、悪くいえば鈍感で、「ぼーっと生きてんじゃねーよ」と言いたくなる感じ。
 次男は周囲を気にするし、よく気がつく。頑固。習い事は自分から頑なに拒み、無理矢理連れて行こうものなら、嘔吐して抵抗した。臆病で繊細で敏感。花火の音が大きくて花火大会にも行けなかったし、ディズニーランドでもスピード系のアトラクションは乗る直前に「一人で待ってる」と周囲を困らせた。超がつくほどの内弁慶で、外面はいいが、家では王様。だけど、周囲に優しくて、意外に人望があり、友達は多い。

 公立中学にはいろんな生徒がいる、というのが、私の固定概念だった。自分がそうだったから。東大に行くような頭のいい子もいれば、かけ算九九もおぼつかないような子もいて、勉強はダメでもサッカーだけはうまい子がいたり。親の仕事や収入もバラバラで、育ちのいいお坊っちゃまもいれば、暴走族にはいってしまう子もいた。

 当時とはさすがに時代も土地柄も大きく違うけれど、それにしても長男の通った公立中学は優秀な子が多く、レベルが高かった。高校受験では内申点が低くて、苦労した。本人の問題はもちろんあるのだけど、周囲のレベルが高すぎると、内申点が低くなるのは事実で、千葉県には学校のレベルにより内申点が変わるという、わけのわからないシステムがあった。
 内申点はともかく、次男はこの公立中学でやっていけるのか、という不安が、中学受験を決断した一番の理由だった。勉強も部活も優秀な子達に囲まれて、ついていけなくなって、下手したらこいつは学校に行かなくなってしまうのではないか。
 もしそうなったら、一日中家にいて、しかもわがままで、きっと手に負えなくなる。
 だったら、伸び伸びとした自由な校風の私立で、高校受験を気にすることなく、自分の良さを伸ばしてくれればいいなあ、あわよくばそのままいい大学に行ってくれたらいいなあ、と。
 いい大学なんて言葉もどうかと思うけど、実際親心としてはなるべくいい大学にいって欲しいさ。

 さて、中学受験で大切なこと。
 わさわざ私見と書いたのは、そんな息子を持つ私の経験を踏まえての意見だからだ。
 中学受験で3戦3勝するような優秀なお子様をお持ちの方や、前向きで自信のある方は、この文章は読む必要がないし、読まないほうがいいと思う。

①「中学受験は落ちても当たり前」
 くらいの強い気持ちを持った方がいい
 一生懸命頑張っている最中に「落ちても当たり前」なんて、ふざけるな、縁起でもないって、思われるかもしれない。
 もちろん、受かる人は受かるよ。
 3戦3勝するような優秀な子はもちろんいる。
 でもね、実際結構落ちるのよ。
 だれもが合格を目指し、合格することしか考えていないけれど、落ちる覚悟もしたほうがいい、ということだ。

 受験は残酷だ。
 非情だ。
 合格と不合格しかない。
 どんなに頑張っていようが、合格ラインに1点でも足りなければ容赦なく落ちる。
 そして残念ながら、ほとんどの子供たちは落ちる。

 (実質倍率とかの話しはややこしくなるので、ここでは置いておくとして)
 倍率三倍だったら、三人に二人が落ちる。

 この当たり前の事実に、親はどうも目を反らす。
 三人に二人が落ちるってことは、三人に一人は受かるってことでしょ。
 そういう見方をする。

 そうです。そのとおりです。

 だけど、もう一度言うけれど、
 倍率三倍だったら、三人に二人が落ちる。
 
 大抵、自分より少し上のレベルの学校を第一志望にするから、必然的にレベルは拮抗することになる。

 そして、親も子も落ちることに免疫がついていない。

 落ちると傷つくし、精神的にきつくなる。
 落ちるのは、つらい。
 今思い起こしても、つらい。
 すごくつらかった。
「落ちた」
「また落ちた」
「また落ちた」
「また落ちた」
 長男の高校受験と次男の中学受験。長男も、次男も、受けるとこ受けるとこ、ことごとく落ちて、それはそれはつらかった。

 自分が落ちるのも嫌なものだが、自分の息子が落ちるというのも、なんとも、かなりつらいものだ。

 大抵の学校はWEBでの合格発表だが、第一志望の「温泉」中学校の合格発表は、今時珍しく現地確認だった。

 中学受験は日程に戦略が要求される。東京であれば2月の頭に試験日程が集中し、一度落ちても、同じ学校を二回受けられることが多い。
 驚いたのは、現地で合格発表を見た直後、親達が、次の試験に申し込むために、皆近くの銀行に行列していたことだ。今並んでいるのは皆、残念ながら落ちた人。そしてもう一回この学校にチャレンジする人。
 こんなにもたくさんいるんだ。
 受かった人より、落ちた人の方がずっと多い。
 そういえば合格発表の番号なんて、飛び飛びじゃないか。1の次が6だったり、100~110は一人もいなかったり。

 受かればもちろんそれでよし。
 でも落ちたって、そんなの当たり前くらいの開き直りが出来るように、一応覚悟はしておく。
 頑張った我が子を否定しない。
 自分のことも否定しない。
 オレたちはよくやった。頑張った。
 そう言えるように。。。
 へっちゃらへっちゃらって、次の一歩を、なるべく早く、強く、踏み出せるように。

②校風や学力レベル等、本人にあう学校、本人が行きたい学校を優先
 いろんな学校があって、いろんな子がいる。
 私も文化祭や学校説明会などたくさん見学した。
 勉強に熱心な学校もあれば、運動に熱心な学校もあり、校則が厳しいとこもあれば、ほぼ自由な学校もある。
 寒中水泳があるような学校など、うちのへたれな息子は、逃げ出しそうだし、あまり勉強勉強というのもなんだかなあ、と思ってしまう。

 冒頭に書いた、基本の基。
「楽しく学校生活を送る」
 親として、基本にして、最大の望み。

 受験真っ只中の時期には、そういうことは思いもしないし、忘れてしまう。だって必死だもの。
 少しでもいい学校、偏差値の高い学校、目標の学校に合格しようと、毎日頑張っている親子に対して、
「楽しく学校生活を送る」
 なんて、ピントがずれてるかもしれない。

 だけど、せっかく合格して、入学したのに、しばらくして不登校になってしまう子もいる。
 せっかく入った私立をやめて、公立に戻る子もいる。
 私立に落ちて公立に行って、結果よかったと言う子もいれば、不登校になってしまう子もいる。
 住めば都のこともあるし、やっぱりあわないこともある。

 受験をするということは、選択するということだ。
 結局最後は「ご縁」なのだと思うけれど、その縁を作るのは自分達。第一志望も第二志望もすべりどめも、自分達で選んでるのだから。
 偏差値はもちろん重要な基準だけれど、親としては、視野が狭くならないように、本人の性格や嗜好等も考えながら、なるべく範囲と可能性を広げてあげられたらいいなと思う。。。

③最後には笑えるように
 前述したとおり、二年前、長男と次男のダブル受験は、落ちに落ちた。けれど縁あって今の学校に入れて、二人ともなんだかんだ学校には行き、彼らなりに青春を謳歌している。ぶすっとしているときも多いけど、なんだかんだ結構笑ってるよ。お笑い番組でも、ユーチューブでも、笑えるならいいじゃない。
 花火の音が苦手だった次男は、今では友だちと花火大会に行くし、朝早くからディズニーシーに並び、「ソアリン」に感激した様子。アトラクション前で「一人で待ってる」と周囲を困らせた姿はもはや微塵もない。

 最高峰の大学を卒業し、世界でも有数の企業に入って、活躍する人がいる一方で、働きすぎて壊れてしまう例はたくさんある。
 何が正解で、何が幸せなんて、誰にも分からないけれど、長い目で見て、自分のいるところが正解で、自分のいるところが幸せ。最後にそう言って笑えればいいね。
 泣いても笑っても桜は咲くから。
 どこの桜の下でも、笑っていたいね。
 笑顔は自分で咲かせないとね。

 いよいよこれから受験を迎える皆様、頑張ってください。

 そして、最後にまた矛盾に満ちたことを言うけれど、こんな文章、さらっと流しておけばいい。落ちたときのことなんて考えなくていい。やるだけやったらいいじゃない。
 今はとにかく、やることやろう。

 幸運をお祈り申し上げます。

ほんの少しでも笑顔になっていただけたら幸いです。