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「武道ガールズ」 9 構え

9 構え

「日曜の朝からさくらがお出かけなんて珍しいわね」
「なんだデートか?」
「ジャージでデートはないでしょ。友だちとスポーツクラブの無料体験だって」
「なんだダイエットか?」
「無料だからっていきなり契約しちゃ駄目よ、月会費が高いんだから」
「でもまあなんだ。さくらはもっと好きなことをやっていいんだよ。いつも何かっていうと我慢してるからな」
「桜木高校に行ってくれただけで、もう十分親孝行。家計に優しい県立様々。よかったねー、一緒に行く友だちができて。さくらは友だち少ないんだから。ちゃんと優しくして、仲良くしてもらいなよ」

 父と母のそんな会話に見送られながら、日曜の朝9時にさくらは本部道場の体験見学に行った。
 別に隠す必要はないのだけれど、合気道というと余計な心配をされそうな気がしたし、なんとなく恥ずかしくて、スポーツクラブの見学とはぐらかした。
 
 道場には昨日、体験見学に行く旨を連絡していた。家から自転車で15分。学校に行くのとさして変わらない距離だが、こんなところに道場があるなんて、ずっとこの地で暮らしてきたのに今の今まで知らなかった。
 道場は、住宅街の外れにあり、プレハブ小屋のような感じだった。
 道場前でヒナコと待ち合わせ、一緒に中に入ると、初めて合気道に出会った日にチラシをくれた、サラサラショートカットの春名が二人を出迎えてくれた。
 狭いロッカールームで着替えを済ませ、少し緊張しながら道場に入る。
「道場に入る前に、まずここで正座して一礼します。とりあえず私の真似をして」
 道場の入口で春名は美しく正座し、一礼する。見よう見まねで、さくらとヒナコも一礼。次に白髪のおじいちゃん先生の前に行き、「おはようございます!よろしくお願いします」と挨拶。これも見よう見まねだが、なんだか照れくさい。
「本日体験の仙道さくらさんと笹岡ヒナコさんです」
 と春名が紹介してくれた。
「こちら高遠先生」
 70代くらいだろうか。おでこから上はだいぶ寂しくなっているが、白髪の短髪は清潔感がある。面長で、眉毛と細い目は優しくたれ下がり、にこにこして優しいどこにでもいるおじいちゃんといった風貌だ。身長はさくらとほぼ変わらないから、160cm程度。小柄で瘦せ身だが、姿勢はいい。
「仙道さくらさん、笹岡ヒナコさん、それでは怪我をしないように、頑張ってください。よろしくお願いします」
 高遠先生はそう言ってニーっと笑った。
 
 稽古がはじまるまでストレッチをしながら周囲を観察する。
「高遠って、あいつのお父さんかな」
「お父さんってことはないんじゃない?」
「じゃあ、おじいちゃんか?」
 道場は50畳程度だろうか。学校の武道場よりは一回り小さい。小さい子どもと父親、あるいは母親の姿が多い。
 全員が白い道着を着ているなか、ジャージ姿の二人の女子高生はいかにも体験者だが、皆自分達のことでわさわさしており、ほどよい距離感だった。春名の他にも袴をはいた人が数名。桜木高校で合気道の先生だったジョーもいて、フレンドリーに話しかけてくれた。
「かたっ。ってそれ、冗談だよね。」
 とヒナコに苦笑されるほど、さくらの体は固かった。開脚は180度どころか90度も開かない。そのまま体を前に倒そうとしても体を垂直に保つのが精一杯で、ややもすると後ろに倒れそうになってしまう。
 一方のヒナコは軽々と美しくストレッチをこなす。
「ちょっと押してあげるよ」
 とヒナコが、体重をかけて上に乗っかろうとするが、さくらの体はほんの少し前傾するだけだった。
「痛い、痛い、ムリムリムリムリ」
「ちょっと本気?」

「整列!」
 の声で皆集まり、横一列に正座する。さくらとヒナコも一番端にちょこんと正座する。
「目をつぶって。背中伸ばして」
 さっきまでの騒々しさが嘘のように、道場がしんと静まりかえる。
 黙想。
 空気が凛とはりつめる。
「この感じ、懐かしいな」
 ヒナコは中学の頃、剣道部で正座した感覚を思い出す。
 さくらは静かに高揚する。
 はじめて合気道に出会った日、学校の武道場でパイプ椅子に座って見学した、あのときと同じ空気、緊張感。
 高遠先生が静かに前にでて正座をする。
 一呼吸置いて、小学生の女の子が号令をかける。
「正面に礼!!」
 皆、きれいに揃って一礼する。
 正面を見ていた高遠先生がこちらに振り返る。
「先生に礼!!」

 大人と子供とに分かれ、稽古が始まると、さくらとヒナコだけ道場の端で別メニューとなった。春名が二人の先生だ。
「今日は体験なので、まずは構え。それから正座法。受け身。あと、それだけではつまらないと思うので後半に技を一つ。いきなりは出来ないし、分からないと思いますが、とりあえずは見よう見まねでお願いします。はい。じゃあ構えから。私のマネしてやってみてください。気をつけ!右半身構え!」
 春名は、右足を前に出すと同時に、左手をへその前、右手を胸の高さにすっとだした。
 たった一歩前にでるだけなのに、凛として格好いい。自然体で安定感がある。
 さくらとヒナコも真似をする。
 初めてにしては、ヒナコは様になっている。
「あら、いいねえ、何かやってた?」
 春名がヒナコに話しかける。
「剣道を」
「どおりで、姿勢がいい」
 一方、さくらはなにかおかしい。様にならない。
 すっと前に出ようとするが、体は左右にぐらつき、動作が一致しない。普段から内股気味なので膝が内側に入る。
「構えはすべての基本です。稽古のはじめと終わりにも毎回必ずやります。すべての技がこの構えから始まります。なので、もう少しやってみましょう」
 その後も春名の号令にあわせ、繰り返し構えを練習した。
「はい、気をつけ!かかとしっかりつけて。背筋伸ばして。右半身構え!で、スッと前にでる」
「左手おへその前。右手胸の前。手のひらは開いて、指先まで力入れる」
「肩の力抜いて。後ろ足のつま先は真横。後ろ足、膝曲げないでピンとはる」
「おへそやや下向き。視線まっすぐ前」
 そんなにたくさんのことを言われたって分かるわけない。出来るわけがない。
 鏡に映る自分たちを見て、ヒナコが笑いをこらえる。
「ダチョウ俱楽部だ」
 まじめに構えるさくらに合わせ、
「ヤーーーーッ!!」
 とヒナコがニヤニヤしながら声をだす。
「構え直れ! 続いて、左半身構え」 
「ヤーーーーッ!!」
 さくらもつられて声をだす。
「ほら、ふざけないの」
 笑っちゃいけない、笑っちゃいけない、注意しながら、春名の目も笑っていた。
 その後、正座法、膝行法、受け身を教わった。
 正座ひとつにも、手順があり、何度か立ったり、座ったりを繰り返す。背中が伸びると、ぐっと美しくなる。
 膝だけで歩く膝行法は、よく分からないので、とりあえず真似をするだけ。
 後方受け身は、後ろに転がりながらバンと畳を叩く。ヒナコが畳を叩くと、稽古をしている皆が一瞬こちらを見るくらい、バーンと大きな音が出た。
 前方回転受け身は、飛ぶように回転するのだが、いきなり飛ぶのは怖いので、両手をついてでんぐり返しをした。
 基本とはいえ、はじめての動きだ。見よう見まねでついていくうちに、二人とも汗ばんでいた。
「そろそろかな」
 春名は道場中央の高遠先生の動きを遠くからうかがい、一人うなずいた。
「はい、じゃあ基本はこのくらいにして、次は技を。そろそろ次の技が始まりそうなので、ちょっと近くに行ってみましょう」
「技!」
「技?」
 技という響きに期待と不安を感じながら、道場の隅で稽古をしていたさくらとヒナコは、中央の輪に加わった。

ほんの少しでも笑顔になっていただけたら幸いです。