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再々提出:設題:テキスト第5章において筆者は、沖縄の子どもたちの学習内容面での不利さについて例を挙げながら考察している。この考察をふまえて、その他の学習内容面での不利さについてあなたの体験を交えながら具体的な例をいくつか挙げたうえ考察しなさい。

提出ありがとうございます。ただ申し訳ないですが再提出をお願いします。
 繰り返しになってしまいますが、論点がずれています。
今回は「学習内容面での不利さについてあなたの体験を交えながら具体的な例をいくつか挙げ」
てもらうことになっています。そうした経験に基づいた例が見当たりませんでした。
 例えば動画にあるような10月10日の例のように、
沖縄の友達と話をしていて噛み合わなかったなどのエピソードがあればいくつか挙げてみてください。
もし沖縄で書くのが難しいようであれば、ご自身の出身地での経験に基づいて記述してください。
 批判も結構ですが、いくつか事実誤認がありますし今回の論点からはずれていると思いますので、
もしどうしても書くと言うことであれば次回に回してもよいと思います。
 よろしくお願いします。

再提出

 沖縄の子どもたちの学習内容面での不利さについて、テキスト第5章に挙げられていないその他のその理由について、私自身の体験を交えながら具体例を挙げたうえで以下に考察する。
私自身、沖縄出身ではなく、沖縄の糸満に2年住んだことがある程度であり、沖縄の子どもたちと触れ合った直接的な経験はない。よって、沖縄の子どもたちの学習内容面での不利さについてはわからないというのが正直なところである。他方、想像力はあるので考察は可能である。
学習内容面での不利さについて、自分の体験としては、これも沖縄以外の人がしばしば経験する話だと思うが、沖縄の方々との会話の中で、「〇〇しましょうね」というような表現を始めてされたときに、私がそれをしなければならないのかと誤認してしまい、その意味合いは、私が○○するから、やっておくから大丈夫ですよというようなニュアンスであることに面を食らったことがある。これは、お互いに円滑なコミュニケーションにならず、噛み合わなかった体験であった。ただ、このフレーズは、だんだんと慣れてくるもので、やんわりとした表現でもあることから、沖縄で生活しているうちに自分でも使うほどになったが、このニュアンスが沖縄の子どもたちにとって、国語の学習において日本語を理解する上で不利に働く可能性があるのかもしれないのではないだろうか。
沖縄ではないが、与論島で会議をしたときに、自分以外の数名が与論出身であり、会話が与論語(与論の方言)で交わされたときには、会話の内容が理解できず、議事録すら取ることが出来なかった経験をした。このことは、沖縄の方言で育った子どもたちが、標準語で授業を受ける際に、物事の観念やイメージがしっくりこない感じや、湧きにくいということと同様な事例なのかもしれない。このあたりの標準語とのずれが、学習内容面への不利さに関連していると言えるのかもしれないだろう。
沖縄の子どもたちの学習内容面での不利さを再定義すると、学習内容として一律に文部科学省が指定しているが、それについて具体的に沖縄の子どもたちが通常の沖縄での生活において認識することが困難なもの、文化的に認識できないといようなものであり、一般的な都市部の子どもたちに比べて不利に働く要素となるものである。具体的に思いつくものは、電車を見たことがない沖縄の子どもがいるとすれば、電車にまつわる算数の問題は問題を解く際に概念化しにくいのかもしれないだろう。また、同様に山を見たことが無い沖縄の子どもがいるとすれば、山に関わる自然環境的な学習内容について、直感的な認識力に欠けることにつながり、それが点数を取るというような学習の局面では不利に働くことにつながるかもしれない。これらは、例えば、エスキモーが多数の雪の性状を認識することができるが、雪を見たことが無い人間にとっては、せいぜい2種類程度の雪の種別を区別できるというような話と似ている。ここでは、電車、山、雪の例を挙げたが、これらは沖縄の子どもたちが普段の生活で認識することが少ないものが、学習内容面での不利さにつながるという例を挙げた。
考察として、学習内容面での不利について、沖縄だから不利さが多い、だから学力テストで点数がとれないのであるというのは、ある程度事実な側面はあるかもしれないだろう。しかし、それを強調することは、私は、なんとなく恥ずかしいと感じる。なぜなら、自分たちの環境の不遇さを盾に、自分たちの至らなさを正当化するようなものであると考える。それらの不利さをどのように乗り越えるかについて、教育政策を構築する側が制度としてこどもの学習に落とし込むことに価値があると考えている。
付け加えると、実際に沖縄の義務教育を受けていないものにとっては、沖縄育ちの方が、いかに沖縄の学習内容面での不利さは沖縄以外で生活する上で辛い面があることを直感的に共感することが難しいだろう。学習内容面での不利さに関し、辛い思いをしている人たちの立場でものを考えることは、不利さを経験していないものにとっては、不利さを感じている人たちに寄り添い思いやることが大切なことなのは言うまでもないだろう。
以上(1,705文字)

 このレポートの評価者は、
  1回目のフィードバックの時に、なぜ2回目のフィードバックのコメントを含めて書かなかったのか。また、批判について、ウェルカムではなく、批判してくれるなというような狭量を感じる。事実誤認と受け止められるような伝え方をしている点について、改める気持ちはなく、独善的であるような印象をうける。
 いずれにしても、この人に、反応せず、淡々と課題を提出するだけである。

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