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哲学者・宮野真生子の大勝負

9月下旬に発売される哲学者・宮野真生子さんとの20通の往復書簡である『急に具合が悪くなる』(晶文社)。

通常、共著の場合、著者の順番はあいうえお順ですが、本書において宮野さんの名前がはじめに来ているのは訳があります。

それは本書が、文字通り命をかけた、宮野さんの大勝負だからです。

この本の中で宮野さんは自分がどんな病気にかかり、どんな闘病生活を送り、そして今自分の身体がどんな状態であるのかということを開示しながら、自分の哲学を展開します。

これは哲学者としては珍しいことと言えるでしょう。あくまでも私の浅薄な理解でしかありませんが、哲学というのは、一般的に自己開示をする学問ではないと考えます。自分の人生を背景にしながらも、徹底的に抽象度を高める中で、自分という存在をそこから消してしまう。

これは哲学に限らず、学問一般に見られる傾向ですが、哲学はその傾向が特に強いと私は考えています。

だからこうやって自己開示をし、それを哲学と名付け、そして自らを哲学者であると名乗って文章を綴ることへの批判が、ともすると自分に近いところから来る可能性があることは宮野さんは十二分に承知の上だったでしょう。

また付け加えれば、そもそも宮野さんは自己開示をする人ではありません。7月の終わりに宮野さんの訃報が流れたとき、彼女を知る多くの人が驚きをもってそれを受け止めていました。でもそれは宮野さんが突然死に見舞われたからではありません。ごくごく限られた人を除いて、宮野さんが自分のことを話していなかったからなのです。

そこまで自分のことを話さない宮野さんが、なぜこの書簡の中で自分のことを明かし、哲学をすることを決めたのか。それは、そうしなければ世界に放てない、そこまでして伝えたい言葉があったからに他なりません。

その意味で『急に具合が悪くなる』は哲学者・宮野真生子の大勝負です。

また宮野さんは、磯野を書簡のやり取りの相手とし、それを出版することで、内容の異なる批判が磯野にもやってくるだろうこと、そして自分が先にいなくなることで、その引受先が一人になる可能性も予測していたと思います。だから宮野さんは、書簡の「はじめに」で、「この往復書簡をやってみようと言い出したのは、私、宮野真生子です」と宣言し、「磯野は巻き込まれただけだ」と説明することで責任をできる限り自分に巻き取ろうとしてくれました。

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でも特に言葉を交わしたわけではありませんが、私たちの間には、「だったらその批判を超えて行こう」という合意があったとは感じています。

宮野さんは、偶然性という哲学の本丸に位置する抽象度の高い概念を研究される一方で、恋、愛、性、家族といった、それが何かが誰にでも思いつくような具体的なテーマも研究の対象にしてきた哲学者です。

『急に具合が悪くなる』では、宮野さんの覚悟の自己開示により、生と死、病いという私たち一人一人の生に根ざしたテーマが、彼女が20年をかけて追求した偶然性という概念と出逢い、かつそれが広く一般に向けて開かれています。

宮野さんは、同じく九月にご自身の博士論文を基にした『出逢いのあわい:九鬼周造における存在論理学と邂逅の倫理』(堀之内出版)を出版されます。こちらはまさにガチの学術本で、素人がさらっと読める本ではありません。ですが『急に具合が悪くなる』の中で生まれる宮野さんの言葉が、一体どんな学術的背景の中で生まれてきたのか、彼女は極めて抽象度の高い哲学用語を、どんな言葉に移し替えることにより、多くの人に届けようとしたのか。

宮野さんが人生をかけて伝えようとした世界を、この二つの本を行ったり来たりする中で、感じてもらえれば嬉しいです。

【関連note】

『急に具合が悪くなる』〜著者二人が物語を駆け抜けた書 (8/29)

このマガジンは、不思議な巡り合わせで同時期に出版されるダヴルノマの3巻本、『急に具合が悪くなる』(晶文社、宮野真生子&磯野真穂)、『出逢いのあわい:九鬼周造における存在論理学と邂逅の倫理 』(堀之内出版、宮野真生子)、『ダイエット幻想ー痩せること、愛されること』(ちくまプリマー新書、磯野真穂) の紹介ページです。

今後の予定はこちら。
・編集者・江坂祐輔という勇気(9月12日)
・”逆張りの問い”と信頼(9月20日)
・急に具合が悪くなる:「出逢いのあわい」の長い”終わりに”(9月27日)
・ダイエット幻想:「なぜ恋」と「なぜふつ」が合流した書(10月4日)


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