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サリンジャーをつかまえた

NHKの新番組、『完全なる問題作』といういささかショッキングなタイトル。第1回は『キャッチャー・イン・ザ・ライ ライ麦畑でつかまえて』らしい。さてNHKの切り口はどこになるのだろう?

『サリンジャーをつかまえて』

もういつのことだか思い出せないが、古本屋でみかけた『サリンジャーをつかまえて』。言い得て妙なタイトルだと、ひとり合点がいった思い出がある。パラパラと開いてみたが、もう内容は覚えていない。今調べてみると、どうやら評伝のようだがサリンジャーはつかまらなかったみたいだ。
『ライ麦畑でつかまえて』に思い入れのある多くの人が、おそらくサリンジャーをつかまえたくなるであろう。わたしもその一人だ。

『ライ麦畑で・・』に共感した人にとってホールデンはサリンジャーであり、どこかの誰かではない。そして読者はホールデンの独り語りを受け止める親愛なる聞き手であり、「ホールデン、僕も同じだよ」とうなずき、寄り添うように読み終える。

浅井健一

浅井健一というミュージシャンが、愛車XS650にサリンジャー号という名前をつけていた。あれは1997年くらいだっただろうか。今はもう廃刊となったバイク雑誌『Mr.Bike』にインタビュー記事が載ったことがある。
「ふつうバイクにこういう名前ってつけないから面白いかなと思って…」というようなことを語っていた。もう思い出すこともできないが、たしかそれは黒塗りのタンクに白で「Salinger」と描かれていた。筆の筆跡にははねがあり、かすれがあり、ホールデンが秘めている荒々しさに重なった。正確に思い出すことも出来ないけれど、記憶の中で反芻するうちに浅井健一の「サリンジャー号」はわたしの中ではっ酵を続けた。

知らない人のために解説しておくと、浅井健一はBlankey Jet Cityというスリーピースバンドのボーカルだった人だ。メンバーの二人がハーレーをカスタムして乗っているのがまた浅井のXS650を印象深いものにしていた。当時ハーレーの印象には映画「イージーライダー」がまだ色濃くあり、ハーレーはアウトローの象徴としてメジャーな立ち位置にあった。しかし浅井のXS650はバイク好きしか知らない、しかも古いバイクで、社会へ浸透するような、象徴となるような、そういうものは90年代において何もなかった。そんな何者とも言えないXS650の立ち位置はホールデンの印象に重なっていた。アウトローからも弾かれた行方不明必至のアウトサイダーのようだった。

くわえて浅井健一の世界観がまたホールデンを思わせた。ほとんどの曲を作詞作曲していた浅井の歌はホールデンを思わせた。浄と不浄がまだらを描いたような世界観は、ホールデンのさまよう心模様と同じに思えた。
記事のなかでは、サリンジャー号に浅井がこめたものは分からなかった。バイク雑誌だったからなのかもしれないが、音楽雑誌ならば浅井の文芸の感性を探る記事があったのだろうか?あったのならば読んでみたい。

ホーデンの世界観と重なる歌を二曲だけあげておく。
「風になるまで」
「親愛なる母へ」

思春期

浄と不浄、心の中でそのどちらもが強く主張しはじめる時期がある。それを思春期と呼ぶのだろう。
多くの人間は、浄と不浄がやがて溶け合ってしまうさまを傍観しながら思春期を終え、かつてあった浄と不浄のまだら模様をまとっていた自分を忘れていく。灰色に溶け合ってしまった心模様は、何の問いももたらしてくれない。そして浄と不浄という矛盾を内包してなお純粋に生きようとするときに湧き起こる人間の強さ、そういうものを身につける機会を失う。

村上春樹訳

整体修行で内弟子生活をしていた頃、『ライ麦畑で…』の村上春樹訳が出るという報にふれた。ちょっとした興奮だった。わたしは初期の村上春樹のファンだった。三冊だけ。『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』『螢・納屋を焼く・その他の短編』だけが好きでとくに最初の二冊は5回以上読んでいた。本のなかでよく出てくる「僕は本が好きだった。沢山読むという本好きではなく、好きな本を何度も読むという本好きだった」という意味の一文が印象に残っていた。わたしは沢山の本を適当に読むタイプの本好きだったが、この三冊にたいしては何度も読む本好きだった。
『螢』は物語の途中でふいに終わるのが印象的だ。『ノルウェイの森』で続きが描かれたが、途中で終わる『螢』のほうが強い余韻を残してしまう。

村上の小説に出てくる「僕」は、『ライ麦畑で…』の「僕」ことホールデンとは違う印象だが、おなじアウトサイダーには思えた。村上の「僕」にホールデンが代われるとは思わないが、もし村上の「僕」がホールデンとして語ったならどうなるのだろう?興味があった。言うまでもなくわたしは村上の「僕」を村上春樹本人と思っていたし、今もそう思っている。
受付の女性がある日『風の歌を聴け』を読んでいた。00年代にこの作品を初めて読む人はいないだろうから(と勝手に決めつけていた)、「彼女は村上の初期作品のファンなのだろう」と思っていた。その彼女に「村上春樹が『ライ麦畑で…』を翻訳したらしいよ」と話した。その後のやりとりの細かいことは忘れてしまったが、自己否定が続く苦しい修行生活のなかで、ほんの少しかつての自分を思い起こして心の安定になったのだった。

救いへ

ホールデンの語りはかすかな希望を感じさせて終わる。ホールデンがサリンジャーであるなら、サリンジャーはきっと、その希望の先にあるところに生きてくれたはずだ。そんな期待があるからこそ、読者はサリンジャーをつかまえたくなるのだろう。
NHKのこの番組は、そんなサリンジャーをつかまえたかったわたしにとって、大きな救いとなった。

サリンジャーは高い塀に囲まれた邸宅に引きこもって生涯を終えたのではなかった。
自然のなかに生き、人々のなかで生き、引きこもることなく生涯を終えていてくれた。
サリンジャーをつかまえたことで、わたしのなかの『ライ麦畑でつかまえて』が、やっと完結を迎えてくれたのだった。

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