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1月が終わりました。

「1月はがなる。2月はわれる。3月はだれる」とチバさんが言うだけあり、1月ははやいですね。あっちゅーまです。

まあつまらん生活をしてるというか、文藝賞・すばる文学賞・新潮新人賞に出す作品の直しばかりしています。新潮新人賞に出すものは致命的な欠陥が見つかって、出すだけというかんじになりそうですが、もう2作はもうちょっと何とかすれば、いちおう戦える形にはなるかも。いろんな方に読んでもらえて、いろんなフィードバックもらえたし。がんばります。

そうそう、さいきん、読書論とか執筆論の本をたくさん読んでいました。高橋源一郎・柴田元幸・保坂和志・アニーディラード・管啓次郎・はやみねかおる・若松英輔あたり読んだかな。それぞれに思うところあって、いいものだろうとわるいものだろうと学びになっているのですが、なにより、自分にとって「読む」「書く」とはなにかを見つめ直せるのがおおきい。畢竟、そういうところに「正しさ」だとか、なんらかの価値判断を置きはじめると、できることは一気に少なくなる。何文字書いたとか、何冊読んだとか、空虚な自慢にしかならない。というところで、読むのも書くのも、究極的には趣味なのですが、生きることそのものだな、と単純なところに行き着いたりしました。いま私は書くうえで「福島の浜通り」というテーマを置いており、できるだけながく(すくなくとも廃炉が終わるまでは)このテーマで書き続けたいと思っているのですが、べつに賞を取りたいとか、有名になりたいとか、小説で稼ぎたいとか、そんなだいそれたことは考えてなくって、ただ、このテーマをわかりたいんです。そしてわかる過程を文にすることができれば、また別のだれかの「わかる」につながるんじゃないかって。それはとても豊かなことだと思うから、そうしています。ただどうしても功名心みたいなものは出てくるから、よくないんですが。たびたび原点に帰って、自分のできる以上のことはやらず、丸く小さく丁寧に書きたいと思っています。

「原点に帰ることのできる場所」はいくつかあって、和歌山県色川のらくだ舎さんもそうなんですが、いちばんはやっぱりいわき・双葉・相馬といった福島の浜通り地方です。2月には「来て。割」といい旅費を一部負担してもらえるシステムがあって、ついにはじめて冬の福島に乗りこむつもり。3月は311で福島にいくし、4月は夜ノ森の桜祭りで福島にいくよ。こうしてたくさん福島に行けるなんて、2年前は予想もしてなくて、たぶん、好きになったのだと思います。だから「原点に帰る」というのは「好きなものを好きなだけ好きでいる」という在り方がちかい。いうなれば、そう美しいものでもなく、ずいぶん勝手なことしているなあ、という印象なのですが、付き合ってくれる湯さんには感謝しかない。ほんとうに福島を描くうえで、いろんな方に助けてもらっています。

福島をテーマにした小説で、北日本文学賞の四次を通過しました。残念ながら最終には残れなかったのですが、ありがたいことに新聞でコメントをもらえて、ちょっとした宝物になりました。

本作「メグミルクを飲むと降谷建志に優越感を感じる」(ふざけたタイトルだな!)は、カクヨムにも掲載しているのですが、今後冊子にもしようと思っています。そう長くないし、四次通過でそれなりに説得力あるし、自己紹介みたいな一冊になると思うとうれしい。「こういうふうに福島を描いてます」と、いろんな方に伝えられたらいいな。

あと、歌舞伎賞文学賞の一次にも残っています。悪ふざけみたいなノリにも見えるこの賞(すいません、私がそういうふうに見ていました)ですが、1600作ぐらいをひとりの方がぜんぶ読まれたらしくって、だいぶ見方を変えてしまった。いまは関われたことを光栄に思っています。二次にいけるかどうかはわかりませんが。

山際淳司の小説「イエローサブマリン」(ノンフィクション作家なので、小説はめずらしい)に「この国には三振してもかっこいい選手がいる」というくだりがあるのが好きです。私も「一次落ちしてもかっこいい作家」でありたい。作家というのは生き方だとかたくなに信じています。すこしでもかっこよく、説得力をもっていられるよう、目先の「いいね!」みたいなお手軽な承認欲求にとらわれることなく、自分の言葉で書きたい。書けてるのかな。春に出す3作はぜんぶ一次落ちでもいいから、落ちてもちゃんと胸をはれるよう、せいいっぱい力を出し切りたいと思っています。

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