春の文学賞に向けて(メモ)

春の文学賞(文藝賞・すばる文学賞・新潮新人賞だね。ごぞんじだね)に向けて書いた原稿(二稿)をありがたいことにいろんな方に読んでもらっており、だいぶいただいた評が揃ってきたので、現状と対策のメモ。

現状:
構造的な欠陥が多岐にわたっており、どこを直せばいいという問題ではない。特に震災・福島である必然性がないことと、何が伝えたいか分からない点は致命的。

対策:
いまのまま直してもよくて(「小説の体を成していれば通る」といわれる)一次通過。新しく書き直したほうがいい。

「現状」で挙げた問題は、秋に出した文學界新人賞・群像新人文学賞・太宰治賞の作品とも共通しているので、いま待っている・これから出す作品に目はなく、ちゃんと構造的に解決された作品を、新しく書いたほうがよさそうです。テーマをしっかり決めて、プロットを作って。

受賞を狙うならそうかな、と思います。ただ私の書く目的は受賞したいからでもプロになりたいからでもなく「好きなものを好きなだけ好きでいたい」とか「福島を知っていく過程をいろんな人に知ってほしい」にあるので、そういう意味では、いまやってることは、そんなに間違ってないのかな、と。その目的にたいし、どれだけ的を射ているかという視点で、がんばって3月末まで修正しようと思います(もちろん読んでくださっている方は、あくまで受賞を目指してアドバイスくださっていると思うので、それでぜんぜん助かっています。ありがとうございます)。目的を叶えつつ受賞できればいちばんですけど、まだ遠いということで。

すごいへんなこと言っちゃうと、もし「作家」を「人間」にたとえるなら、賞をめざしてる作家って「人権がない」と思うのですよ。書いているだけで大切にされたり守ってもらえることはない。受賞するのはひとりかふたりだけで、あとの作家はよくて名前が誌にのるだけ、選評もなく、わるければ出したかも分からないまま捨て置かれる。

みんなそういうものだと(私ふくめ)割り切って書いて出してると思うのだけれど、こわいことに、大切にされなかった人間はほかの人間にたいしてもおなじ扱いをするようになる。自分は小説やほかの作家にたいしそうなっていないだろうか。それがすごくこわい。

受賞するとか、プロになるとか、そういうんじゃなくって、ちゃんと人間を大切にできる小説を書かないと意味がないと思うから、いいものを書くことばかり気にするんじゃなく、ていねいに、人間の顔をした小説を書こうと思います。じゃないと福島を書く意味がないし、失礼。

というわけでがんばって直すので、まだ感想くださってない方も、ひきつづきよろしくお願いいたします。感想にまよったら「お前、にゃんしーだろ。もっとにゃんしーしろよ」と書いといてくれたらだいたい間違いないです。小説なんか、自分が自分でいられたら、それでじゅうぶん。

(補足)読んでくださった方で「現状」を見て「えっ、もっと別のことも言ったやん!聞いてなかったんかい💢💢💢」という方もいらっしゃいましょうが「良い点」「悪い点」があれば私は「悪い点」のいちばん低いところに合わせて受け取ってしまうのです…ネガティブでごめん…。良かった点などもちゃんと受け取って、修正に活かしておりますため(そういう点をnoteに書いても自慢にしかならんしという面もふくめ)ご容赦、および、ひきつづき叱咤激励をくださいますと幸いです。基本的に褒められて伸びる子です。

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